鴨着く島

大隅の風土と歴史を紹介していきます

きのう啼いたカラスが・・・

2020-04-27 18:57:09 | 災害
昨日は悲観的な見方で書いたが、昨日今日と東京の新型コロナ感染者数は有意に減少した。

小池都知事は昨日の記者会見で、「土曜・日曜は検査数自体が少ない傾向にあるので、減少したからと言って手放しでは喜べない」というような見解を漏らしていたが、以前の土曜・日曜と比べて明らかに減っているのだ。

これは評価すべきだろう。このまま5月6日までのあと10日間の外出自粛を守れば、何とか目標の一桁台に行くのではないだろうか。

東京都民および周辺3県の頑張りを期待したい。

鹿児島では感染者自体が極めて少ないのだが、それでも薩摩半島側と中央部に位置する姶良市および島嶼部では合計10名の感染者が出ている。だが、こちら大隅半島側はいまだにひとりの感染者も出ていない。

4月に入って県外に本社のある会社員や海上自衛隊員で県外からの移動がかなりの数であったはずなのに、感染を聞かないのはいったいどういうわけか。

大隅半島と同様に感染者がまったく出ていない地域がある。それは宮崎県南部の都城市および周辺市町村である。

長男の嫁が都城圏域の三股町出身なのだが、先日嫁の実家に電話を入れたところやはり感染者が出ていないことが話題になった。先方もやはり理由は分からないという。

昨日のブログでも書いたが、どうも毎年秋に接種するインフルエンザワクチンの効用ではないかという気がする。

というのも、自分は11月に個人的に病院で受けたのだが、所属する町内会では公民館で町民に対する接種が日を決めて実施された。いわば強制接種である。

こういう点から見ると、大隅半島(おそらく鹿児島全体)の住民は漏れなくインフルエンザの予防接種を受けているに違いない。地続きの都城圏域でもたいがいそんなところだろう。

思うにこの圏域全体は畜産王国であり、7,8年前に家畜の「口蹄疫感染」によって甚大な被害を被ったという共通点がある。また鳥インフルエンザとか豚コレラの流行も数年おきに少なからずある。

このことがこの圏域に住む人々に感染症予防の重大さを知らしめ、インフルエンザ予防にも並々ならぬ関心を啓発し、ワクチン接種への取り組みが半端ではなかったのだろう。

インフルエンザワクチンの接種が今度の新型コロナウイルス感染を防止したというのは時期尚早だが、有意に関連性はあるのではないかと状況証拠的には言えよう。

今後の解明を待ち望む。

スイートピーのつるに這わせたクレマチス(てっせん)が咲いた。去年まで鉢に行灯仕立てをしていたのを地に下し、スートピーのつるに絡むようにしたのだが、うまくいったようだ。

終息の動きが鈍い新型コロナウイルス感染

2020-04-26 15:22:54 | 災害
東京の新型コロナ感染者数が一向に下火になって行かない。緊急事態宣言が出されてからもじわじわと増え続けている。

東京の50倍も感染者の多いニューヨークで、無作為に無症状者3000人を対象に抗体の有無を調べたところ、約14パーセントに抗体ができていたというニュースが入った。

これによると単純に計算して850万の人口のニューヨークでは、これまでに120万の感染者が出たことになる。

ということは実際に陽性と判断された40万人の3倍もの人々が知らないうちに感染し、免疫力が強かったため抗体が発生し、症状が現れる前に収まったということになる。

これを東京に当てはめると、新型コロナウイルスの到来数と免疫力はニューヨークとそう変わらないと仮定して、すでに140万もの人々が感染していると計算される。

今現在の感染者数(症状が表れて入院した患者数)は4500ほどだから、140万に比べたらウソのように少ない。インフルエンザ並みではないか。

日本では多くの人たちが秋になってインフルエンザワクチンを注射されるが、このワクチンが新型コロナウイルス感染による重症化を防いでいるのかもしれない。

俳優の石田純一が新型コロナに罹患したが、緊急入院してからすぐにインフルエンザ治療薬の「アビガン」の投与を受けて3日ほどしたら平熱に戻ったとワイドショーで紹介された。

このことも併せて考えるとインフルエンザワクチンとインフルエンザ治療薬の双方により、日本ではかなりの重症化を防げるのではないかと思われてくる。

しかし一昨日(23日)はあの岡江久美子が新型コロナ肺炎で亡くなったという驚きのニュースが飛び込んだ。この人の場合は入院した時点ですでに相当に重症化が進んでいたようだ。

聞くところによると、去年の秋に初期の乳がんの手術を受け、年明け以降2月まで放射線治療を継続していたといい、その放射線が胸部に浸透して肺にダメージを与えていたらしい。

おそらく放射線治療に通院していた病院で感染し、免疫力が低下していたために肺へのウイルス浸潤が早かったのだろう。

あの江戸っ子らしいはきはきした物言いながら、相手への気配りも愛嬌も十分あった得難い個性が失われたのは返す返すも残念である(4月23日逝去。享年63歳)。

同じように入院、即、救命治療室行きとなったコメディアン志村けんも発症後わずか10日で亡くなっている。こちらは4,5年前にヘビースモークによる肺炎で入院しており、肺への免疫力が絶望的に足らなかったようだ(「だいじょぶだあー」というわけには行かなかった。3月29日逝去。享年70歳)。

志村けんの感染経路は小池都知事の言う「ナイトクラブやキャバレー・スナック」の類の「ガールズバー」だったらしいから、本人も納得づくだったろう・・・。

いずれにしても、どちらも東京出身の大物芸能人だ。新型コロナウイルスの脅威はまだ続く。

濡れ縁を作る

2020-04-22 15:12:56 | 日記
10日ほど前から家の南西の部屋の外に「濡れ縁」を作りたいと考えていたが、昨日と今日で完成させた。

1日目の状況。土台作りが終わったところ。幅200㎝、出幅60㎝、高さ50㎝で二回り大きい木製ベンチというところ。ただし、土台には南側三本の柱の下は「根石」で固定してある。

材料は、市内の量販店「きたやま」の防腐剤注入木材を購入した。根石と角材・8分板・ステンビスなど、総額8000円ほどである。

今日の昼過ぎには完成した。手前下の5分板は無くもがなだが、5分板が一枚余ったので補強に取り付けた。床下の犬走りには何かを格納できる(赤玉土やそのたぐいか)。

早速上に乗ってみたが、ミシリともしなかった、やれやれだ。ただ、最後の隠し板を取り付ける段になって2㎝ばかりの狂いがあり、そこを手鋸で引いた削ったので疲れてしまった・・・。

17年前に新築してから、今度で4つ目の造作。あともう一つ最後の大きなやつが残っている。西側の空き地に建ててあるビニールハウス式の車庫(兼倉庫)を取り払い、木造の片流れ式倉庫を作りたいと思っているのだ。今年中にはと計画している。

東京一極集中の弊害

2020-04-21 20:43:05 | 災害
4月21日早朝5時配信の「東洋経済オンライン」に掲載されたジャーナリストの山田稔氏の『東京一極集中の強烈なリスク』の内容に私はほぼ賛成である。

山田氏は東京および首都圏にいかに多くの人々が集合しているか、また官庁はじめ企業の本社機能の集中がなされているかを最新のデータを基に緻密に論じている。

特に若者世代が学業後の社会人として、いかに多くの人材が東京を目指したかも数字を挙げている。

まさに今起きている新型コロナウイルスに対する緊急事態宣言下で口を酸っぱくして言われているのが、「密集・密閉・密談」(自分は3つの中の最後を「密談」としているが、これは単に「密接した中での談話」のことを省略して言っているに過ぎない)を避けて欲しい――だが、これをそっくりそのまま「東京一極集中」に対しても口を酸っぱくして言いたいのだ。

30年前までよく言われた「過疎問題」は、バブル崩壊後、都市圏でも大変な事態を迎えたことでいつの間にか話題から消え、さらに東日本大震災が起きてまた話題からは遠のいていたが、安倍さんが首相に返り咲いてから「地方創生」が掲げられたが、結局のところデフレ脱却を目指す「アベノミクス」が独り歩きしてしまった観がある。

今度の新型コロナウイルス感染をめぐっては、「三密」を避けるためにも「過密問題」を祖俎上に載せなければいけないのだが、残念ながら「給付金10万円」ばかりがメディアを席巻している。

今度のウイルス感染もだが、本当に怖いのは首都直下型地震の方だ。

ウイルス感染は三密を避けつつ緩やかに広がって行けば「集団免疫」が発生してやがては下火になり、そのうちに治療薬かワクチンが開発されたら終息するはずだが、天災である地震はそうは行かない。

いきなり始まって一日か二日のうちに数万単位の人が命を落とす。命が助かっても住む家も職場も失い、被害者の日常は「三週間から一ヶ月は家にじっとしていなさい」などが安易至極のたわごとにしか聞こえないほどのダメージを受けるのだ。

火山噴火・地震・台風(豪雨)が目白押しの天災大国日本が採るべき道は、首都分散で、まずは東京から経済的な部分を大阪へ、名古屋へ、皇居(宮内庁)を京都へ(=還都)という風にすぐにでも着手すべきだろう。

公官庁(各省)の移転に関しても各地に分散したほうがいい。分散すると仕事が二進も三進も行かなくなり非能率そのものだ――など思わないことだ。今はインターネットがある。紙媒体の文書など時代遅れだ。それこそ「働き方改革」ではないか。


夕べのニュースで地震予知連絡会が「千島海溝」と太平洋の日本海溝の北側で巨大地震が発生する可能性があると指摘した――とあったが、北海道沖を震源とする地震のマグニチュードは9.3に達するかもしれないという不気味なことをまで言われていた。

南では南海トラフ、東南海トラフがやがて確実に断裂を起こすわけだから、日本列島はどう転んでも東日本大震災並みの災害が近いうちに発生するだろう。

今度の新型コロナウイルスによるダメージに対して国は総額120兆円近い財政支出を決めたが、首都分散など20兆円もあれば一切が済むのではないか。

皇居の平安京への「還都」を真っ先にすれば最も日本らしいやり方ではあるまいか。令和の時代に是非実現して欲しいものだ。

田んぼの風景

2020-04-19 09:00:31 | おおすみの風景
3月の末頃から始まった早期米の田植えは、今ようやく終わろうとしている。

一昨日、市内の温泉で会った知人も、その前日に終えてホッとしたと言っていた。

どのくらいの面積かは聞かなかったが、田んぼの広さにかかわらず、年明け以来の荒起こし、堆肥やり、水路の保全、苗の発注、そして苗が来る前の施肥耕耘と田への導水、最後に水を張った状態での代かき、畔塗り――と、息の抜けないというほどではないにせよ、何かと気ぜわしいものだ。

代かき・畔塗りまで終わればあとは田植えとなるが、その日の気温やら天気やら気がかりは多い。だが、植え付けてほんの10センチもあるだろうか、田の水面に行儀よく並んだ小さな苗の列を見ていると確かにホッとする。

自分は田植えをしなくなってもう20年になるが、近隣で水の張られた田んぼの畔に数人が出揃い、田植え機が入って植え付けているのを眼のあたりにすると、懐かしいというか、心がほころぶ。

鹿屋市吾平町の植え付けられたばかりの田んぼ。幼苗の並ぶ水面に山や木々が映っているが、左上のこんもりと刈り込まれた木の生えている小丘は「飴屋敷跡」である。

「飴屋敷」は神武天皇の父に当たるウガヤフキアエズノミコトが養育された場所と言われており、養い主は叔母のタマヨリヒメ(トヨタマヒメの妹)という海人族の娘だ。

未婚であったためお乳が出ないのでこの近辺の老婆が「飴」を作って献上し、そのおかげで養育することができたという伝承がある。この「飴」はキャンデーの飴ではなく、米を発酵させて作るモロミの一種だったろうと思われる。
(※パルショータという名のモロコシ製の発酵飲料で暮らしているアフリカのスーダンの一部族が現存しており、そのことからウガヤ王子の摂取した「飴」も同様だったろうと推察して書いたのが、当ブログの『パルショータという発酵食品1・2・3』である。)

ここの田んぼ地帯は西側を姶良川が取り巻くようにして流れており、水の便はすこぶる良い。2キロほど上流にはウガヤフキアエズノミコトの御廟という「吾平山上陵」がある。

ただ私見ではウガヤ王朝が何十代か続いたと考えており、吾平山上陵の洞窟陵に眠るのはウガヤ王朝最後の王ではなかろうかと思っている。

日向神話上の三代(ニニギノミコト・ホホデミノミコト・ウガヤフキアエズノミコト)はすべてそれぞれが数十代の王統をもち、南九州に君臨しつつ、九州島はもとより本土や朝鮮半島との交流も行っていたとも考えている。(※以上のことも以前に書いているので参照されたい。)


これは我が家の東3キロばかりにある道路沿いの崖から池園町の田んぼ地帯を見下ろしたもの。ここは普通作が多いのだが、早期米を植え付けた田んぼが6~7枚ある。

こうして見ると水の張られた田はまるで「太陽光パネル」だ。太陽光パネルは太陽光で電気を作るが、田んぼは太陽光で米というでんぷんを作る。

太陽光で作られた電気は流れて行ってどこかでエネルギーに変換される(消費される)。一方、米の方は流通し、どこかで消費(消化)されてエネルギーに変換される。

ただ米の優れたところはコメそのものが蓄電池であることだ。ストックも利くし大口流通も小口流通も様々な加工も可能な優れものである。

日本列島が弥生時代の初め頃(二千数百年前)に津々浦々まで大々的に米作りを導入して以来、今なお飽くことなくその生産を続けているのもこれあるからだろう。

田起こし、代かき、田植えという一連の作業が済んだ後の田んぼの広がりに心が和み、初夏の青田に元気づけられ、収穫後の掛け干しに温もりを感じるのは、この2千年来の田作りとともに命を繋いできた伝統的遺伝子のなせる業に違いない。