鴨着く島

大隅の風土と歴史を紹介していきます

祖父母参観日

2023-11-30 16:46:10 | 日記

今日は娘方の孫2人の通う幼稚園で発表会があった。

12月2日の土曜日が発表会本番なのだが、3世代が一緒だと混雑が激しく感染症にかかりやすくなるので、その予防として、祖父母と両親の参観日をずらしている。

この方が祖父母としては有難い。

昨日は年中組の参観日だったが、今日は年長と年少が同時にあったので、都合がよかった。

年少組(4歳児)には娘の一番下の女児が入っていて、最初の出し物は何と「オズの魔法使い」だった。

どうなることかと見ていたら、要するにオペレッタだった。全員で30名足らずの4歳から5歳児が懸命に演じているのを見ていると、何とも心がほころぶ。

園の先生方の指導よろしく、まっすぐ客席の方を見つめての身振り手振り。それぞれの子どもの個性が出ているようだった。

年長児の演技にはセリフがとても多くて、間違えはしないかと少し心配だったが、そんなことは微塵も感じさせず、大きな声を出していた。

結構長いセリフを言うのだが、物おじしないし、動きながら歌うのも堂に入ったものだ。

それぞれの演技のあとには合唱(年長さんは合奏)があったが、よく揃っていたと思う。

最後に指導に当たった先生があいさつに立ったが、よほどホッとしたのだろう、祖父母の「よくやった」の声にほろほろと涙を流したのがとても印象的だった。

 


「おふくろ」は永遠

2023-11-28 15:33:39 | 母性

一昨日の日曜日は隣町の文化センターでカラオケ発表大会があり参加してきたが、その大会には二人のプロ歌手がゲスト出演した。

二人とも高齢で、ブレイクしたヒットソングはないが、50歳を過ぎてからプロ歌手となった点では共通している。

私はふたりの内より高齢な松島進一郎という歌手の持ち歌を一緒に唄った。年齢は明かしてくれないのだが、私より5歳くらいは上のようだ。

この人は大阪富田林出身で、会社を経営していたとも聞いている。歌手名の「松島」は大阪では著名な歌手に弟子入りしたとかで貰った芸名だそうだ。

5年ほど前に、とあるカラオケスタジオに彼がゲスト出演した際に購入した「総集編」と銘打った14曲入りのCDを聞いてみて、その中で特に気に入ったのが3曲あるのだが、一昨日唄ったのは2番目に好きな「人生おとこ道」という歌だった。

1番好きな曲はと言えば、「おふくろ」というタイトルの曲である。「人生おとこ道」がいわゆる演歌の定番的な歌であるのに比べ、「おふくろ」はスローテンポの何とも言えない味わいの歌で、松島進一郎の真骨頂の歌に違いない。

これは私が唄っても、到底、彼の味わいには達すべくもなく、今回は断念した。それほど彼の声の質やバイブレーションは独特なのである。

もう一人の歌手「Nobby(ノビー)」だが、今度初めてお目にかかった歌手で、そもそも「ノビー」という芸名は何ぞやという疑問があった。

今回最後の「ノビー・ショー」で歌の合間に本人が語ったことによれば、何でも40歳の頃にアメリカの西海岸に渡り、現地のエフエム放送で「日本の音」というタイトル番組を3年間担当したそうで、本名が「のぼる」だったので愛称が「ノビー」になったという。

帰国後に歌手デビューし、去年までの約20年間で18曲のCDを出している。最新曲は「ふるさと恋し」でそのCDは手に入れていたのだが、最初の曲つまりデビュー曲は「おふくろ」だというのである。

これには驚いた。なにしろ松島進一郎も先に書いたように「おふくろ」という曲を出しているではないか。

調べると歌のタイトルにおいては同じタイトルでも発表できるそうなのだ。

それには納得だが、たしかに他にも「酒」とか「別れ」とか「女の未練」など同名のタイトルは散見される。

さて両者の内容はひとことで言えばどちらも「母親には苦労を掛けたが、いまだに孝行ができないでいる。ごめんなさい」というものだ。

松島の歌ではおふくろはもう他界しているのだが、ノビーのはまだ存命で、その点は違うのだが、いずれにしても母親への深い思い入れがたっぷりと伝わってくる歌である。

母親(おふくろ)を唄った歌は数知れずあるが、どの曲も母の懐かしさと思い出、そして多くの曲の背景には「ふるさと」が見えている。

「おふくろ」と「ふるさと」とは、誰の脳裏にも切り離しがたい永遠の記憶として残されるものなのだろう。

 

 

 


大リーガーと大相撲

2023-11-27 09:46:53 | 日本の時事風景

昨日の大相撲九州場所千秋楽で、大関の霧島が2回目の優勝を果たした。

関脇「霧馬山」だったが、大関になった際に師匠の陸奥(みちのく)親方から、親方が現役時代の大関の時に名乗っていたしこ名の「霧島」を贈られてからは初の優勝だ。

これで師匠への恩返しになった。だが、師匠がなし得なかった横綱への昇進が残っている。これが本人はもとより、陸奥親方と陸奥部屋全体の悲願でもある。

男前で筋骨隆々、和製ヘラクレスと言われたのが陸奥親方(元霧島)だった。たしか賜杯は1度だけ手にはしたが、最高位への昇進はならずに引退しているから、師匠としても部屋としても横綱を出したい思いはとても強いはずだ。

今の大相撲は一人横綱で、その頼みの綱の照ノ富士が2場所連続で休場しており、横綱不在の解消は多くの大相撲ファンの願いでもある。

ところで今場所の優勝力士霧島(元霧馬山)はモンゴル出身だ。今朝の新聞によると、この優勝はモンゴル人力士による優勝としては100回目だ。

2002年の九州場所でモンゴル出身の朝青龍が初めて賜杯を手にしてから、今度の優勝までちょうど21年経過しており、その間のモンゴル人力士による優勝者の割合は、何と驚くなかれ、80%という超高率だそうである。

つまり5場所のうち4場所がモンゴル人力士の優勝ということになる。大リーガーで日本人唯一の2年連続MVPを獲得した大谷選手も真っ青だ。

これほど歴史と伝統のあるスポーツで、継続的に外国人にトップの大部分を奪われ続けている「国技」もそうざらにはあるまい。

北欧の国技とも言われているスキーのジャンプで日本人の高梨沙羅選手は優勝60回という驚異的な記録を持っているが、これとてあくまでも一個人による継続的なトップに過ぎず、日本人選手だけに偏った好記録というわけではない。

大相撲は独特の親方(部屋)制度があり、力士の育成や稽古でも部屋独自の運営がなされているから、この意味では世界でも稀な組織体制である。しかもモンゴル人力士はモンゴル部屋というのがあるわけではなく、各部屋に属しながら稽古に励んでいる。

各部屋横断的にモンゴル人力士は優勝を重ねているのだが、結局モンゴル人力士の相撲部屋という組織への順応性と稽古熱心と勝負への熱意が多くの優勝者を生む要因だろう。

モンゴル人力士の金星インタビューや優勝インタビューを聞いていると、この人たちの話す日本語が極めて日本人に近いのに驚くことがある。

おおむね標準語をしゃべるが、単語の発音にしろイントネーションにしろ我々のとほぼ変わらない。余り耳にすることはないが、中国人力士の発音やイントネーションは、顔立ちが日本人並みであるのでかえって目立つ(耳障りになる)。

西欧系の力士も、単語そのものの発音は良いのだが、やはりイントネーションでどこかひっかかることが多い。

そこへ行くとモンゴル出身力士のしゃべりは流暢の一言に尽きる。相撲放送の解説者として呼ばれることの多い元横綱の鶴竜などはピカ一だろう。

現在の大相撲の起源は平安時代初期に確定した宮中相撲で、宮中相撲自体の起源は九州南部から天武天皇時代に上京した日向隼人(大隅隼人)の奉納相撲であることが文献上で解っているが、ではその先はとなると、今のところ高句麗時代の半島壁画に描かれた相撲(格闘技)だろうか。5世紀頃とされている。

朝鮮半島から北へ伝えられると「モンゴル相撲」になり、南へ伝えられると「隼人相撲」になったのだろうか。

それとも逆に隼人相撲が半島へ渡ったのか。もしくはモンゴル相撲が半島北部に伝わったのか。

今度優勝した霧島の風貌を見ていると、何となく彼には南九州か沖縄の血が流れているような気がするのだが、有り得ないことか。

相撲を通してモンゴルと半島と九州のつながりを考えてみるのも面白いかもしれない。

 

 


初霜(2023.11.25)

2023-11-25 22:05:42 | おおすみの風景

今朝の寒さは相当なもので、7時過ぎに玄関の温度計を見たら4℃だった。

新聞受けの新聞を取りながら周囲を見ると、南側の畑にうっすらと霜が降りていた。

きつい霜ではなく、7時過ぎの日の出を受けて見る見る溶けて行く霜だった。

玄関の温度計では4℃だったが、8時半頃のニュースでは鹿屋市の最低気温は0℃だったそうだ。

そこまでの寒さは感じなかったが、今期の最低気温である。

昼前に我が家から西に3キロほど離れた娘一家の庭のムクゲの木に、イルミネーションを飾り付けた。

電飾だから電気を引かなければならず、探すと家の裏側にある合併槽のモーターファン用のコンセントがあった。そこから12メートルほどの電線を引っ張り、イルミネーションとつないだ。

イルミネーションとつなぐタップは雨ざらしにできないので、プラスチックの容器の中にタップを入れ込み、イルミネーションのプラグを差し込むようにした。

なかなか手間取ったが、何とかうまくいった。

やれやれというわけで、週末お決まりの温泉に出かけた。

このあたりでは4か所の温泉施設があり、うち2か所は本物の温泉で、あとは沸かし湯だ。

今日は本物の温泉である串良町の「さくら温泉」に浸かることにした。地下1500mから汲み上げているという弱アルカリ性の肌触りの良い温泉である。

温泉から出てみたら、さくら温泉の40畳はある休憩室で「第1回カラオケ大会決勝」というイベントがあった。1時間余り聞いていたが、今回初めての催しだそうだ。

主催は当温泉をはじめいくつかの温泉施設を受託管理している会社だ。

温泉(湯上り)とカラオケは良い組み合わせだと思った。知人が二人参加していたが、ひとりは25名中4位に入った。次は自分も挑戦してみよう。


かのや農業まつりと英明(2023.11.23)

2023-11-23 18:58:28 | おおすみの風景

今朝は朝から上天気で、混雑しているだろうとは思いながら霧島が丘公園で開催されている「かのや農業まつり」に出かけてみた。

案の条、霧島が公園への登り道はたくさんの車でノロノロ運転だった。1キロちょっとのみちを30分以上かけてようやく山頂の駐車場に辿り着いたのは11時を回っていた。

すでにお笑い芸人の「芋洗い坂係長」の出番が始まっており、踊りを交えた軽妙なライブはパワフルだった。

30分後に始まったのが、鹿屋出身の物まね歌手「英明」の舞台だ。

英明の持ち歌は本物の歌手徳永英明の歌で、特に徳永の最初期の「壊れかけのラヂオ」が十八番で、10年ほど前の日テレの物まね大賞をもらっている。

最初に唄って聞かせたが、なるほど当の徳永英明本人が認めただけあって堂に入っている。

この10年余りの道のりは平坦ではなかったようで、いきなり大賞を獲得したことで芸能界ではむしろ干されそうにもなったらしい。

あのコロッケに「徳永英明だけではない物まねを身につけないと全国では受け入れられない」とアドバイスをもらい、改めてボイストレーニングを始め、いろいろな歌手の歌マネに挑戦し始めたそうだ。

高音部では米良美一の「もののけ姫」の主題歌を唄ったが、観衆は驚きの声を挙げていた。また低音部では秋川雅史の「千の風になって」だったが、似ているとまではいかないが、それなりの声量感は大したものだった。

さだまさしの物まねも良かった。さだの物まねをする人物はほぼいないから磨きを掛けたらいいと思う。

歌と歌の間の繋ぎのトークも、4、5年前にかのやばら園の春祭りに登場した時に比べれば格段に進化していた。

最後に「実は」と前置きして「物まねではないオリジナル曲を作ったのですよ」と唄ったのが、『時計裏のメッセージ』という曲だった。

英明の父親はデビュー後、数年のちに亡くなったというのだが、彼が実家に帰ったら、母から工場の掛け時計の電池を入れ替えて欲しいと言われ、ハシゴに乗って時計を外したら、裏側に父の字で「ヨッチン キバレヨ」とマジックで書いてあったのだそうだ。

これを忘れずに心の中に暖めておいたのを、今年になって詞と曲を作り上げたのが『時計裏のメッセージ』である。

『時計裏のメッセージ』CDのジャケット。父が書いた字とその掛け時計が印刷されている。

ライブ後に英明自ら販売していたのを購入した。価格は1000円。製作所は「EM RADIO」。

一番下の極小の注意書きが笑わせてくれる。

①このCDを何度も聴きかつ徹底的に脳裏に記憶する事。

②個人的な範囲を超える使用目的で複製することを許可する。

③ネットワーク等を通じてこのCDに収録された音をどんどん送信して世の中に広める事。

何とも人を喰っている。

お父さんも天国で笑っているだろう。「キバレ(頑張れ)ヨッチン(本名が市来良史)」と。