鴨着く島

大隅の風土と歴史を紹介していきます

県知事選(七夕選挙)たけなわ

2024-07-03 20:06:59 | おおすみの風景
7月7日投票の東京都知事選は全国区の話題に事欠かない。

何しろ空前絶後、前代未聞の56名の立候補者があるというのだ。

このうち当たり前の候補者は半分で、残りの半分は某泡沫政党が「金(300万円)を出せば候補者にエントリーしてやる」とこの政党の候補者として本当にエントリーしたらしい。

この政党がひどいのはこれら金ヅル候補者の選挙ポスターを張りまくり、中にはえげつない写真を載せたポスターまで張る始末で、別の意味で話題が全国区になった。

何とも呆れ果てる行為だが、公職選挙法には違反していない所業だそうで、候補者としての資格を得る法定準備金を選管に収めた以上、「問題なし」だそうだ。

「金があれば何でもできる」とはとある実業家の「金言」だが、人として不評を買っては後生が悪かろう。

都知事選と同じ7月7日に投票が行われるのが鹿児島県知事選挙で、こちらはわずか3人の立候補である。

現職の候補者(男性)の他に2人が立候補したのだが、その二人は何と女性なのだ。

これはこれで前代未聞の出来事だ。

鹿児島県知事にこれまで女性がなったことはなく、また女性の立候補もなかったのである。

女性のうち一人は県議をやめ、現職よりも早く立候補を表明した。

その主たる動機は、鹿児島市の海沿いにかつてあった「ドルフィンポート」という公園施設の跡地に現職の知事が「300億円ほどかけて県立総合体育館を建設する」と言ったことに対しての異議だ。

元県議の女性候補は――ドルフィンポート跡地は桜島を間近に臨む景勝地であり、これを阻害するような建物は要らない――と言う。

それは確かに一理あるが、では県立の総合体育館をどこに建てたらいいのかについての代替案を提示していない。

私などは県立なのだから大隅地区にそれを建てたらよかろうと思うのだが、こういった案は他の候補でも全く歯牙にもかけられていないのが残念だ。

大隅の鹿屋地区なら何の問題もなく広大な土地に、体育館だろうが何だろうが立派なのが建つだろうに。

仮に全国からのアスリートを集める大会が行われても、鹿児島空港からは1時間余りの距離で、これは空港から鹿児島市への距離とほぼ変わらない。

現職の男性知事は元県議の女性候補がさっそうと現れて、ちょっと度肝を抜かれたようだが、もう一人反原発を掲げる女性候補が出たことで、「女性票が割れる」と安堵したかもしれない。

いずれにしても6月20日に始まった県知事の選挙戦も7月7日には新しい鹿児島県知事が決まる。東京都知事も決まる。

エンペラーウェザー

2024-07-01 09:56:18 | 日記
梅雨にどっぷりと漬かった6月が終わり7月に入ったが、相変わらず今日も雨が降っている。梅雨明けが待ち遠しい。

さて、タイトルのエンペラーウェザーは直訳すると「天皇の天気」、少し散文的に言うと「天皇日和」だろうか。

今回英国を国賓として訪れた天皇皇后ご夫妻だが、その日程(6月22日~29日)の中で、行く先々で雨にあったことのないのが話題になった。

これをエンペラーウェザーと一部で報道されている。

エリザベス女王は女性だからエンペラーとは呼ばないが、女王の崩御にともなって行われた国葬の式典では、始まる前に降っていた雨が途中で上がり、式場のウェストミンスター寺院の上に虹が現れた。

これをしもエンペラーウェザーと呼んでいるそうだ。たしかにいわゆる「奇瑞」だ。葬儀だから「吉祥」とは呼べないが、参列者にはエリザベス女王の何がしかのサインと感じられ、感激して涙を流す人も多かったと聞く。

天皇が30年前の皇太子時代の2年間をオクスフォード大学に留学されていた時はどうだったか、報道にはなかったが、おそらくそんな現象には遭遇されなかったのだろう。

やはりエンペラーになると、報道のボルテージが上がり、一挙手一投足というと大げさだが、国民の天皇への関心度は飛躍的に上がる。

天皇もその気を感じつつ、国民への思い入れがより一層強まる。双方の気と気が反応昇華して「天の気」に感応するのだろうか。

中世では「天気」と言えば、気象のことではなく「天皇のお気持ち」「天皇のご機嫌」だったから、都市伝説的に言えば、こちらの方が正しかったことになる。

巷では「昭和天皇は晴れ男だった」と言われているらしい。最も劇的だったのが、1964年10月10日に開催された東京オリンピックの開会式だったという。

前日までの雨模様が当日はカラリと晴れ上がり、秋空の下、あの昭和天皇の高らかな宣言「第18回オリンピアードの開会をここに宣言します」というお声が今でもよみがえる。

この開会式ではもう一つ「奇瑞」があった。それはブルーインパルスによる「五輪マーク」が非の打ち所のない形で空に描かれたことである。

リハーサルでは一度もきれいな円形の五輪マークが描けなかったのだが、当日に限って目の覚めるような完形が描かれたのだそうだ。当事者でさえ驚いたという。

また似たようなことがオリンピック開会式の直前(10月1日)に行われた新幹線開業でも起きたようだ。

とある本(『昭和の鉄道4新幹線時代の幕開け』2007年小学館)を読んでいたら、その日の前日までとにかく故障続きだったそうである。

新幹線に使用された動力は「0系交流電源」であったが、東海道新幹線の開業を控えて車両を大量にメーカーに発注したのはいいが、電気系統の配線ミスが多く、試験走行をしたら途中で立ち往生が頻発した。

開業当日、大阪発東京行きの東海道新幹線「ひかり2号」を運転した運転士は上司から、

「発車したら、みんな(来賓や報道関係者)が見えなくなるところまでは何とか走ってくれよ」

と言い含められて出発したそうだが、それまでの不調がウソのように東京駅まで走り通し、しかも定刻通りに到着したのだった。

これだけではなく、その日に運行されたすべての車両が終着駅に定時に到着したのである。これはいまだに不思議がられているという。

このことまでエンペラーウェザーに結び付けるのは早合点かもしれないが、初のオリンピックを迎えた日本全体が成功への「大いなる気」に包まれていたことは事実だ。

たぶん――これは憶測だが、昭和天皇も国民のその大いなる気を受けて御自らの気を融合させた結果のように思われるのだが、如何。



「安かろう、良かろう」日本

2024-06-28 18:49:56 | 日本の時事風景
外国人訪問客数が新型コロナ前の水準に達し、今後さらに増えて行く見込みだという。

街角で訪日外国人客にインタビューする場面がよくテレビで放映されるが、彼らは異口同音に日本の物価の安さに驚いている。

例えば「日本の通常価格で2000円の寿司が、欧米では5000円はする」だったり、ハンバーガーセットの1000円が向こうなら2000円以上だとか言っている。

勿論その理由の大半が為替、つまり日本円がドルやユーロに比べて安いことなのだが、彼らが使ってくれる消費額(円)を受けた方が日本国内で使うのであれば何の不利益は生じないのだが、その円を持って欧米に行って使うとなれば相当な不利益になる。

日本でハンバーグセットを売って得た1000円を、向こうで全く同じハンバーグセットを食べて支払うと2000円相当のドルなりユーロなりを払うことになり、差し引き1000円の赤字だ。

しかしこの1000円のハンバーガーセットをそのままの形で欧米に輸出すれば、向こうでは2000円で売れるので大儲けになる。

ハンバーガーは輸出できないのだが、日本製の自動車を向こうに売って大儲けしているのがトヨタはじめ自動車業界で、部品の原材料の輸入では円安のためにアップアップしているが、完成品では逆に儲けが大きい。

その結果、日本の貿易収支は大きく黒字になっているし、その利益への税収も増加している。

その一方で加工貿易国家の日本では輸入する原材料(食品を含む)費がバカ高になり、国内向けの加工品は軒並み割高になっている。

この頃はコメの値段も上がっているようで、消費に見合った生産量が確保されていないのか、その理由ははっきりしない。

食卓に上がるごはんよりも、コンビニなどのおにぎりや弁当への使用が増えたため引き合いが強いからなのだろうか。

いずれにせよ、訪日客が日本に来て味わう寿司やラーメンなどの日本食や、手土産の工芸品などが彼らにとって、「こんな良いものがずいぶん安い」と喜んでいる現実は悪いものではない。

50年昔の日本の「加工貿易品」は「安かろう、悪かろう」が付いて回ったが、いまは反対に「安かろう、良かろう」になったと思えば、プライドも生まれよう。

「日本買い」は株式の取引で使われる言葉だが、実体のある「日本買い」は「安かろう、良かろう」が定番のこれからの日本の採るべき方向性になるかもしれない。



パリ五輪まであと1か月

2024-06-26 09:52:04 | 災害
7月26日に開会式を迎えるパリオリンピックまであと1か月となった。

今回の目玉は開会式だ。オリンピック史上初めて競技場の中ではなく外で行われるという。その中でも「メイン会場」はセーヌ川らしい。

具体的にはどう行われるのか分からないが、とにかくどのような形であれ、数万人の警察や警備会社が出て「テロ」への警戒を担うというからこれも史上初めてではないか。

テロはイスラム過激派によるもので、何年前になるか、パリ市内何か所かで同時多発テロが起きて数十人が犠牲になっているので警備の大きさはやむを得ないだろう。

下手に競技場内で開会式を行うと、テロによって多数の各国要人が巻き込まれる恐れがあるから、外で行うようにしたに違いない。

パリオリンピックの前代未聞の競技場外開会式――このことも一種の災害だが、それよりももっと考えなければならないのがオリンピック開催日程だ。

7月26日に始まって、終わるのが8月11日という。

前回のパリ五輪の日程は不明だが、仮に同じ時期とすると、100年前(1924年)のあの頃、ヨーロッパでもやや北寄りに位置するパリではおそらく真夏と言っても日本の5月(秋なら10月)くらいの気温だったはずだ。

その当時ならいざ知らず、近年とみに暑さを増しているヨーロッパ全体の傾向から見て、7月下旬から8月上旬というのはすでにかつての日本並みの気温30度以上の日が珍しくない。

アフリカ大陸の高気圧が張り出した時は、40℃にもなろうかという暑熱が襲い、多数の熱中症による死者が出たのが報道されたこともあった。

競泳種目にとっては最適だろうが、陸上種目には最悪だ。なぜもっと涼しい季節を選ばなかったのだろう。

これも例のアメリカのメディアによる「アメリカのスポーツシーズンである稼ぎ時の秋には開催しないでくれ。その代わり暇な夏場ならそれなりの対価を支払う」という金まみれのごり押しの故か。

選手ファーストならぬ米メディアファーストはオリンピックの私物化だ。日本でも同じ構図でオリンピックをめぐる利権が長いこと取り沙汰された。

ただマラソンだけは涼しい北海道での開催となったのが救いだったが、秋に開催すれば東京中心の一か所で済んだだろうに。

もうオリンピック開催地は各国持ち回りを止めて、古代競技会発祥の地で近代オリンピック第一回開催地であるギリシャのアテネに固定して欲しいと思う。

そもそも近代オリンピックはスポーツを通じて各国が相互理解を深める「平和の祭典」「参加することに意義がある」という理念で始まった。

既に各スポーツによる「世界大会」「国際大会」は一年中どこかで行われており、スポーツによる国際交流は日常化しているではないか。

近代オリンピックが「国際的な平和交流の要」としての位置づけを保つのであるのならば、過度の国家間競争やメダル争いに終始するのではなく、古代競技会から昇華した近代オリンピックの最初の理念に立ち返り、アテネでの恒常的かつ最適な気候の下での開催を望みたいものだ。





沖縄全戦没者慰霊の日(2024.06.23)

2024-06-23 16:27:34 | 日本の時事風景
今日6月23日は沖縄戦が終結した日で、沖縄県糸満市の摩文仁の丘にある慰霊碑の立つ公園で沖縄県主催の「沖縄戦全戦没者追悼式典」が行われた。

小学校から高校生まで7人が代表で追悼の碑に献花をした。

あれから79年が経ったことになるが、昨日と今日の民放やNHK番組では当時10歳から15歳くらいだった生存者の話を特集していた。

異口同音に語られるのは戦争の残酷さであり、国が二度と戦争を起こさない覚悟が必要ということであった。

もちろん生存者によって「残酷な体験」の内容は様々だが、いまだに大小のトラウマを抱えているのは共通している。

そのトラウマが消えることはないだろうが、人に語ることによって自分だけが抱えているという重苦しさから少しは解放されるはずである。

今年の「平和の詩」に選ばれたのは宮古高校の3年生の男子だった。たしか「これから」というタイトルだったと思う。朗読詩の良さが横溢していた。(※明日の新聞に全文が載るはず。)

国土防衛線の「南西シフト」が着々と進んでいる一方で、沖縄米軍のうち海兵隊がグアムに移駐する話が進んでいる。一見、沖縄の米軍基地負担が軽減されるように思われるが、どうもそうではないらしい。

中国が進出して久しい南シナ海で、中国とフィリピンが対立しているのを見越してグアムに拠点を設け、対中牽制を強化するのがアメリカの目的だ。

現実に中国海警とフィリピンの海軍との間でいざこざが起きているが、アメリカが関与する可能性はないのか、憂慮される。

※今朝(24日)の新聞に平和の詩「これから」の全文が掲載されていた。作者は宮古高校3年生仲間友佑(なかま・ゆうすけ)君である。
 長い詩で、逐一数えたわけではないが、全文で800字はあると思われる。
 中で、印象に残った部分をだけ以下に取り上げることにした。

 『これから』仲間友佑(・・・は省略箇所)
・・・
大切な人は突然 誰かが始めた争いで 
夏の初めにいなくなった
・・・
誰かが始めた争いで 常緑の島は色を失くした
誰のための誰の戦争なのだろう
会いたい、帰りたい、話したい、笑いたい
そういくら繰り返そうと
誰かが始めた争いが そのすべてを奪い去る
・・・
人は過ちを繰り返すから 
時は無情にも流れて行くから
今日まで人々は 恒久の平和を祈り続けた
小さな島で起きた あまりに大きすぎる悲しみを
手をつなぐように 受け継いできた
それでも世界はまだ繰り返してる
七十九年の祈りでさえも
まだ足りないというのなら
それでもまだ変わらないというのなら
もっともっとこれからも
僕らが祈りを繫ぎ続けよう
限りない平和のために
僕ら自身のために 紡ぐ平和が
いつか世界のためになる
そう信じて
今年もこの6月23日を
平和のために生きている
その素晴らしさを噛みしめながら
(完)