鴨着く島

大隅の風土と歴史を紹介していきます

日本人の祖先は3系統

2024-04-18 21:25:21 | 日本人の祖先

今朝(4月18日)の地元の新聞の社会欄に興味ある記事が載っていた。

<日本人祖先3系統>という見出しの記事で、理化学研究所などが現代の日本人3200人分のゲノムを分析して得られた日本人の起源に関し、大きく3系統からなると結論付けている。

その3系統とは「縄文系」「関西系」「東北系」で、縄文系は沖縄に多く、関西系は大陸の黄河周辺にいた漢民族に近く、東北系は様々な要素がまじっていて由来がよく分からない――という。

沖縄が縄文系に近いことは人類学的にはほぼ常識になっているし、関西に渡来系の人々が多いことも常識のうちだ。

ところが今回の発表で不可解な点が見られたのは「東北系」の人々である。

東北系は沖縄・宮古島の古代人や、4~5世紀頃の朝鮮半島の人に近い――とある。

このうち東北系が沖縄の宮古島の古代人と近いという点だが、東北は関西人の影響が少ないうえに、もともと沖縄と本土の北に住んでいた縄文系の人々とが近縁の関係にあったとしてもおかしくはない。

ところが不可解なのは「東北系は4~5世紀頃の朝鮮半島の人に近い」という点で、朝鮮半島は大陸からの渡来人の通り道であり、関西人と同じように大陸の黄河周辺に住んでいた人々に近いと思われていたのだ。

これをどう解釈するかだが、2~3世紀の半島と日本列島の情勢を描いた「魏書烏丸鮮卑東夷伝」(通称:魏志倭人伝)では半島南部の「三韓(馬韓・辰韓・弁韓)」では倭の水人の習俗である「文身」(身体に施す入れ墨)が普通に見られたという。

このことから九州から倭人の水運に長けた人々が半島に多数渡っていたことが知られ、弁韓の伽耶鉄山の採取及び交易に従事していたようである。

この九州の倭の水人の多くが古く縄文時代から水運を担っていたことは、例えば、鹿児島県垂水市の柊原貝塚出土の黒曜石などから判明している。遠くは佐賀県伊万里市の腰岳産の黒曜石、また大分県国東半島沖の姫島産の黒曜石が見つかっている。

九州島には関西系と同じように大陸の北方系漢族が渡来しているが、かれらは水運には疎く、水運はもっぱら九州在の縄文系の水人が担っており、九州は縄文系水人が繫栄していた。北部九州の宗像(胸形)族、安曇族そして南九州の鴨族である。

魏志倭人伝によると半島中部の帯方郡から魏王朝の役人が船出し、朝鮮海峡を渡って九州島に上陸したことが書かれているが、これらの使者を乗せてきた船は九州の縄文系倭人であったと思われる。

したがって朝鮮半島の南半分は倭人伝の当時、倭人の国と言ってよかった。

このことから上掲の「東北系は4~5世紀頃の朝鮮半島の人に近い」ということが言える。角度を変えて言えば「4~5世紀頃の朝鮮半島の人は沖縄の宮古島人と近い縄文系の東北人に似通っている」ということだ。

いずれにしても朝鮮半島の古代の一時期、日本の東北系の人たちと近縁の人たちがいた。そしてこの原因は倭人伝の時代に主として九州島から縄文系の倭の水人が大量に往来していたからだろう。