鴨着く島

大隅の風土と歴史を紹介していきます

古日向論(序)

2019-03-28 15:11:57 | 古日向論

このブログの作成者の本来の課題は「古日向」についてで、このごろは沖縄の県民投票はじめ戦後の日米同盟以後の動きに関わる考察が増えて、古代史関連がおろそかになってきた。

そこで褌を締めなおし、しばらく南九州の古代以前の歴史について書いていきたい。

まずはカテゴリーを「古日向論」とし、次のような項目を掲げて順次史論を展開していくことにした。(※カテゴリーにすでに「古日向の謎」があるが、これはこれでトピック的な事柄を取り上げるのに重宝すると思うので、そのままにしておく。)

 

カテゴリータイトル 『古日向論』

大きな項立てとしては次の4項で、右はその典拠である。

 

(序)古日向とは

(1)天孫降臨神話と古日向…古事記・日本書紀の神話

(2)邪馬台国時代の古日向…魏志倭人伝(韓伝など朝鮮半島の魏書も参考にする)

(3)「神武東征」と古日向…記紀の神話および神武天皇東征説話

(4)古日向の日向・薩摩・大隅三国分立…続日本紀

 

 

今回はまず(序)として「古日向」の定義をしておきたい。

実は「古日向」という歴史用語は定着していない。

歴史用語では「南九州の古代」「南九州の古墳時代」「南九州の弥生時代」「南九州の縄文時代」「南九州の旧石器時代」となる。

昔は「上代」「神代」という歴史用語があった。

これは記紀の神武東征以前(要するに神話時代)を一言で括ってしまう便利な用語だった。

しかし太平洋戦争に負けたため「神武以降の歴史は史実」として教えられた戦時中の「戦争遂行に都合の良い軍国主義的な歴史観だ」として占領軍司令部によって切り捨てられた。

その結果「上代」も「神代」も歴史用語としては却下された。

その後は「科学的歴史観」のもとに記紀神話はおとぎ話に貶められ、これに代わって考古学的な実証主義が「上代」の歴史を考察する至高の道具となって今日に到っている。

筆者は決して考古学を軽んじる者ではないが、発掘資料は何も語らない。そうなると結局は「解釈」こそがポイントということになる。

詳細は(2)で述べることになるが、邪馬台国の所在地論争で大方の考古学者は「畿内説」を採っている理由も「ヤマタイという音がヤマトに連続しているという一つの解釈」に過ぎない。

魏志倭人伝を正確に読むと、邪馬台国(女王国)は九州島を出ない場所に比定するしかないので、いくらヤマトとヤマタイが同音義だと思っても、畿内大和説に短絡するのは間違いである。

 

以上は(2)で論じるのでここまでにするが、さて筆者が多用する「古日向」についての定義を述べなくてはならない。

古日向とは奈良時代の初期(具体的には西暦713年)まで存在した南九州の大国「日向国」のことである。

この大国が天武王権以降の列島再編成的な大きな動き、つまり「律令制度の列島普及」の政策によって巨大な国は天武王権の統治に都合の良いこじんまりした国々へと分割された。

南九州では当時「日向国」があり、今日の宮崎県から鹿児島県までの広大な国土を形成していた。

ここにくさびを入れるべく「日向国」から薩摩国を分離し、さらに大隅国を分離した。もとの「日向国」は三国に分割されてしまった。

この三国は「日向国」「薩摩国」「大隅国」だが、厄介なことに元の大国「日向国」という名称は新しい「日向国」にそのまま引き継がれたのである。

新しい「日向国」を何か別の名称に(例えば「日向新国」などのように)すれば問題なかったのだが、同じ名称が使われたため、分割以前の「日向国」までが今日の宮崎県のみを指す「日向」と混同され、「日向神話」といえば宮崎県の話となってしまった。

そこで元の大国「日向国」(宮崎県と鹿児島県を併せ持つ)を筆者は「古日向」と表記するようになった。

すなわち筆者の定義する「古日向」とは、奈良時代の初期に三国に分割される以前の(今日の宮崎県と鹿児島県を併せ持つ)「日向国」のことである。

したがって筆者が「古日向」という時、その領域は宮崎県と鹿児島県の両方を含んでいるので了解されたい。※おおむね600年代(=7世紀)以前の南九州が「古日向」ということである。

 


西鋭夫教授の歴史観

2019-03-20 12:29:36 | 母性

最近ダイレクト出版という会社がよくネットの広告欄に載っているが、この会社が出した『新説・明治維新』(西鋭夫=にし・としお講演録)という本は書店には並ばず、ネットで送料のみで取り寄せたのであるが、この前ブログで取り上げたヘンリー・ストークス『反日・中韓の詐偽を暴いた』と併せて読むと大変ためになる。

西鋭夫(としお)という人は1941年生まれの77歳で、関西大学卒業後に渡米してワシントン大学に学び、大学院まで出てから一時広告代理店に勤めた後、スタンフォード大学で学位を取得、そこの研究員を経て、今は同大学フーバー研究所の教授である。

このフーバー研究所は大統領フーバーの名を冠したアメリカでも極めて質の高い研究機関で、研究員の多くが政府機関や大手企業にスカウトされる名門であるそうだ。

西氏はフーバー研究所の博士号研究員であった若い時に、アメリカCIA(国家情報機関=スパイ養成機関)からスカウトされそうになったとエピソードを披露している。

それによると、英語の堪能な日本人スパイ(CIA職員)として日本の大学やマスコミ、大企業などに「高級かつ美人の秘書付きの好待遇」を保証するからやってみないかと誘われたそうである。

西氏は大学教授ならやってみたいと傾きかけたのだが、CIAの職員になるからには日本国籍を離れる必要があると念を押され、「(西)母が泣きますよ」「いや、お母さんには黙っていればいい」「(西)でも、やはり母に嘘は付けない」と目が醒め、寸でのところでスパイにはならなかったそうである。

この「母が泣く。母には嘘は付けない」(からスパイには成りたくない)という回想を読んだとき、ああ、この人も古いタイプの日本人なんだーーと感じ入ってしまった。それで、このブログのカテゴリーの中の「母性」に分類することになったというわけである。

さて、西教授の「明治維新観」だが、一言で言えば「イギリスが金を出して志士たちをうまく操った」「グラバー商会と坂本龍馬との関係は後ろにイギリスがあればこそであった」というもので、なるほど開国にはアメリカの「黒船」が最大の効果を発揮したが、その後の維新までの動きを「金の流れ(資金源)」から追っていくとイギリスの野望が透け透けである――というものだ。

そのイギリスはインドを支配しつつアヘンを栽培させ、アヘンを中国清朝に売りつけることで莫大な利益を得ていた。またインドへは工業製品である綿織物を売りつけてこれまた大きな利益を上げていた。

そこにユダヤ系商人も絡んでくるが、グラバーはユダヤ系商人の一つマディソン商会の一支配人として長崎に支店を開設し、坂本龍馬に資金を提供し、竜馬を通して薩摩や長州へ武器を売った。(※薩摩が御雇い外国人としてイギリス人を雇っているのもその流れだろう。)

ヘンリー・ストークスの上に挙げた著作では、イギリスのアヘン貿易や綿花貿易にの「悪行」についてほとんど取り上げておらず、太平洋戦争後の日本に対するアメリカの「戦勝国史観」の横暴を口を極めて罵っているのとは対照的である。ストークスも母国の恥には触れたくないのだろう。

西教授は現在国籍は日本のようだが、アメリカの研究機関からのサラリーで暮らしているからアメリカの歴史上の汚点についてさほど熱心には取沙汰していない。もっとも教授の言及しているのは明治維新前後の事であり、太平洋戦争後のことはさらっと触れている程度だ。

巻末に、教授の論文が日本語と英語で掲載されている。『美学の国を壊した明治維新」というタイトルだが、次の箇所は大いに学ぶべきだろう。

〈 日本が「脱亜入欧」と「文明開化」と「富国強兵」の鑑にした大英帝国は模範とすべき国ではなかった。〉

〈 明治維新から昭和20年まで77年。昭和20年から平成28年まで71年。悲劇の繰り返しににもめげず、日本国民は愚直なまでに美学と道徳(これらの根底にある日本語=引用者注)を大切にする。その日本人を世界中が崇める。日本の黄金時代は目の前だ。夜明け前だ。〉

 


シャクナゲが咲く

2019-03-19 13:50:35 | おおすみの風景

一昨年近所のDIY店の苗物コーナーで購入し、一回り大き目の鉢に植え替えておいたシャクナゲが見事な花を付けた。

十日くらい前から、つぼみに赤味が見えて来たなと思っていたらぐんぐん大きく膨らみ、三日前には数個の花が開き始め、ついに今朝は満開になっていた。

縁取りが濃いピンクの何とかいう西洋シャクナゲだが、去年の花後に大きめに鉢に植え替え、それからは半日陰になるように庭の西側(西日が当たらない)をあちこち移動して、結構手間がかかっている。

それだけに咲いてくれると嬉しい。

3月中旬の今咲くとは予想していなかったが、やはり暖冬の影響だろうか。

ところが「春一番」の方はとうとうやって来なかった。

また、我が家から見える雄大な高隈山地の1000m級の稜線に、この冬は一度も雪を見ていない。桜島でもいまだに冠雪なしということだから「暖冬ここに極まれり」だ。

一方、桜開花前線は休眠打破に大きな影響を与える低温が少なかったせいで、こちらもソメイヨシノの開花の時期が遅れると予想されている。鹿児島では25日以降になりそうで、満開はそれから十日後となるとして、4月の5日前後だろうか。

今周辺では見ごろの花として、菜の花があり、ハヤトミツバツツジが見事なレンゲ色の明るい花を咲かせている。

昨日から春の彼岸に入ったので、これからは三寒四温、日毎に日が長くなり暖かくなる。ツツジが咲いて蝶々が舞い飛ぶのもあともう少しだ。


マイブーム

2019-03-13 13:58:46 | おおすみの風景

近頃、はまっていたのは「ペットボトル製の風車」だ。

今ちょうど家庭菜園では春まきの野菜や花のシーズンに入ったところだが、菜園内の通路や庭の路地でモグラが活発に動き始めている。

せっかく耕して種をまいても畝が荒らされては困るので、地面にモグラの嫌いな微細な振動を与えて活動を抑えるか、あわよくば退散させようと、地面に突き刺した棒(実際はスチールパイプ)に風車を取り付けて風力を頼みに回し、懲らしめてやろうという細工である。

三週間前から今日でもう7体を完成させ、庭のあちこちに仕掛けている。ペットボトルの状態にもよるが、羽の数は6枚が基本だ。羽は透明のままでもよいが、自分は絶縁テープを張り付けている。これは緑色で回って透明感が出てくるとさわやかな感じがする。白い絶縁テープを張ったものは回ると実によく目立つ。4枚羽の風車も一つある。これは四角のペットボトルで作ったから当然といえば当然。

6枚羽のより回り方が遅いだろうと最初は思ったが、回り始める時に若干時間がかかるだけで、回ってしまえば一枚の羽根の面積が大きいので速さは変わらないようだ。むしろ迫力と振動のある回り方をする(風に対しての羽根の傾き具合が速度には強く作用するのだろうがここでは大目に見ておく)。

昨日今日と、強い西風吹いているので、思った以上によく仕事をしてくれそうだ。モグラには天敵現わるだろう。

強風のためスギ花粉も飛びまくっている。今朝の犬の散歩のときからして目の周りが少しかゆくなった。あともう一回飛散の小ピークが来て、ソメイヨシノが咲けばスギ花粉に関しては終焉となる。

しかしモグラとの戦いは春の種まきと植苗の植え付けがすべて済む4月いっぱいまで続く。

でも、風車がそのころまで順調に稼働していれば、春の訪れを感じさせてくれるモグラごっこもまた楽しからずや、だ。


「日本が進むべき道」

2019-03-10 14:07:06 | 日本の時事風景

『反日・中韓の詐偽を暴いた』の著書ヘンリー・ストークスはこの本の終章でブログのタイトルにあるように「日本の進むべき道」を項立てをして、おおむね次のように述べている。

 

1、中国は、いつかは名実共に日本を追い落とし、アメリカとともに太平洋を支配したいという野望を抱いている。

”平和で温厚な文明の獅子‘‘(中国のこと)は、今後もねつ造した歴史をカードにして日本攻撃(反日)を仕掛けてくるに違いない。

2、韓国もまた国内問題を「反日」に転嫁することで、政権を維持しようと躍起になっている。

3、2015年7月に安倍政権は「安全保障関連法案」を成立させようとしたが、マスコミの多くは「憲法違反」だとして大騒ぎし、安全保障論議をまともにしようとしていない。

4、国際法で「自衛権」は認められている。集団的自衛権も日本の当然の権利として有している。

5、安全保障について自らのものとして論議ができない最大の原因は、戦後70年、アメリカに自国の防衛を委ねてきたことにある。

6、日本が今日まで存続できたのは、アメリカの軍事力という後ろ盾があったからである。アメリカの軍事力がなければ、日本はとっくに他国に攻め込まれ、蹂躙されていたに違いない。

7、日本が”真の独立国家‘‘として存続していくためには、本書で述べたように、「戦勝国史観」から脱却し、日本国民自身が徹底的に論議を重ねた上で、自主憲法制定へと踏み切るべきだ。

8、独立国家ならまず憲法を改正し、国を守るために軍隊が必要であること、アメリカに防衛を依存しすぎることなく、自らの国は自らが守るという気概を取り戻すべきである。

 

1・2は「反日」が両国のガス抜き的なプロパガンダであることを言っており、この「詐偽性」については、この本で詳しく述べてある通り。ただし、彼らの拠って立つ論拠はアメリカの「東京裁判」(極東軍事法廷)であり、アメリカによる日本悪者仕立ての戦略であった。本書によれば、日本をことさら貶めることでアメリカの原爆投下や都市への無差別攻撃の国際法違反を糊塗しようとした「戦勝国史観」(戦勝国がやった違法性には目をつぶり、戦敗国がやったことだと正しいことでも認めない。もしくは無視をする史観)が日本人の自身の過去(戦前)を見る目を徹底的に曇らせたのだった。

3・4は安倍内閣が成立させた「安全保障関連法」についてで、国際的にはどの国も「自衛権」を持っているという正論を述べている。ただし、集団的自衛権についてはアメリカとの間に二国間安全保障条約を結んでいることで、前提が崩れてしまうことを考慮していない。

国連憲章が想定しているのは国連加盟国同士では二国間の軍事的同盟は暫定的でなければならず、本来は集団的に(多国間で)「国連安全保障理事会」において解決を見なければならない取り決めである。世界各地の紛争地域において出動している「多国籍軍」がそれである。

日本がもし安全を脅かされたら、安保理に訴える。そして必要なら日本国内に紛争解決のための軍隊が派遣されるが、現在は日米安保があるので米軍のみが出動するが、これは本来の国連本位の姿ではありえない。必ず「多国籍軍」でなければならないのだ。

5は全くその通りである。アメリカ軍も日米安保を楯にとって日本を「守る」はずであるが、そのことに関してはトランプ大統領が「アメリカが日本を守るのに、日本がアメリカを守らないのはおかしい」と安保堅持論者にとっては痛い正論を吹っ掛けて来たのは記憶に新しい。

6は、おかしな論議だ。一体どこの国が日本に攻めて来る(来た)というのだろう。確かに朝鮮動乱の時は日本の九州に韓国人が逃れてきたことはあったが、軍隊が来たことはなかった。また中国は貧しくてそれどころではなかったし、もし中国共産党軍が攻めるとしたら、まずは台湾だったはずだ。ソ連が北海道に侵入する可能性が高かったと言えば言えるが、そうなったらそれこそ国連軍の出番となったろう。

7で言う所の「戦勝国史観」はアメリカの仕組んだ東京裁判によるものだったという筆者にしては、そこから脱却する方法が「アメリカに防衛を依存しすぎることなく、自らの国は自らで守るという気概を持つこと」では、心情論に傾きすぎてはいないか、と首をひねる。

アメリカの創作した東京裁判が、日本国民から自国の誇らしい過去を直視する目を奪い、中国韓国の今日の「反日プロパガンダ」をねつ造する根拠となっているのであれば、この際、日米安保を停止してみるのが一番ではないか。そうすれば日本人は自らの国の過去の汚点ばかりをあげつらうばかりでなく、大功績のあった植民地解放の戦後史を誇らしく思うようになるだろう。