140億年の孤独

日々感じたこと、考えたことを記録したものです。

メディア・コントロール

2014-06-21 00:05:05 | 
ノーム・チョムスキー「メディア・コントロール」という本を読んだ。
「特別階級の一人がそこへ行って『あなたのために便宜をはかれます』と言えれば、
彼は支配階級の一員になれる。でも、そんなことを公言してはならない。それを公言するのは、
一部の私的権力の利益にかなう信念と教義を大衆に植えつけてきました、というのに等しいことだからだ。
この技能を習得できないかぎり、特別階級の一員にはなりえない」
そんなことが書いてある。偉大な指導者とは、お追従が上手な人たちのことなのだろう。
彼らはお世辞の能力も含めて自分は優秀であり、支配者階級に加わる資格があると考えているように見える。
私がよくわからない点は、そんなにまでしていったい何を支配したいのかということだ。
出来るだけ高い地位について死の直前まで快適な気分を味わいたいというのだろうか?
愚昧な民を、出来の悪い部下を導いてやることにエクスタシーを感じているのだろうか?
彼らは成功することに一生懸命で、レールから逸れぬよう常に注意深い。
時代に対して敏感で目の前の顧客と私的権力者への気遣いに長けている。
読書なんてものは既に死んでしまった人との対話であるから関心を持たない。
彼らは現役を引退した後も本は読まない。それは私がテレビを見ないのと同じことかもしれない。
誰しも無駄なことに時間を費やすのは嫌だ。
アリストテレスが「すべての人間は生まれながらにして知ることを欲する」と書いたのは誤りだと思う。
支配者は知ることを望まない。故に「すべての」のところが間違っている。
そして彼らは支配者なので他人に自分の時間の使い方を強要する。
「誰しも無駄なことに時間を費やすのは嫌」なのだが支配者はそんなことは意に介さない。
一部の人間と自分にとっての便宜が最優先すべきことであり、そのために他人の時間を奪う。
時間ではなく生命が奪われる場合もある。
そんなやつらはどこかに行ってほしいのだが(ダンテならきっと地獄へ送ってくれる)
彼らがいなくなっても別の誰かが同じことをするだけだ。
そこで再び『あなたのために便宜をはかれます』という会話が交わされる。

「威嚇、強要、恐怖の浸透を通じて、政治的、宗教的、思想的な目的を達するために
暴力や暴力の威嚇を計算ずくで用いること」
アメリカ合衆国の法規や陸軍教範では、テロはそのように定義されているという。
なるほど、しかしそれはアメリカ自身がやってきたことだし、
時代を遡ってみれば人類の歴史というものはテロの繰り返しであることが再発見されるだろう。
だから確かに「他人が私たちにたいして行う暴力」をテロと定義した方がわかりやすい。
勝った方が相手をテロリストと呼んでいるだけのことだ。
かつては敵を「帝国主義者」とか「共産主義者」と呼んでいたのだが
そんなやつらは「正義」が滅ぼしてしまったので今度はテロリストが滅ぼされる順番なのだ。
そいつらは自由や人権への脅威であるため排除しなければならない。
しかし随分と貧弱な敵を相手にしているものだ。
これでも「テロリストは弱者」ということに気が付かないというのは
やはりどうかしている。

「狂ってでもいなければ、ごく基本的な道徳上の自明の理を受け入れて、
書いてはならない事実を書くなんてことは考えられないのだろう。それはおそらく真実だと思う」
「ワシントン・ポスト」に掲載された「狂ったように興奮している」という批評に対して
著者はそのように答えている。
「自分の利益にならないことを書いている」という点で著者は狂っていると言われるのだろう。
現代では価値は万物の尺度である金額によって測られる。
金儲けにもならない上に自分の評判を落とすようなことを書く奴は狂っていると見做される。
どうしてそんなことをするのだろうか?
正しいことをして天国に行きたいわけでもないだろうに・・・
知への意志を持っている人は欺瞞が許せないのではないかと思う。
それで狂っているかいないかというのは
その意志を測る物差しとなる。

「現代政治におけるメディアの役割に目を向ければ、自分たちの住む世界が見えてくる。
20世紀初めから現在まで、支配層が大衆の目から真実を隠す手法は巧妙に構築されてきた。
米国の強圧的な政策、テロや戦争の実態とは? 世界の真の姿を知るためには、
それに気づかなければならない」
カバーにはそんなことが書いてあった。
まずはそういうことを知るための
本なのだろう。