140億年の孤独

日々感じたこと、考えたことを記録したものです。

自由を希求する

2014-06-10 20:58:47 | Weblog
自由を求めるということは実際には自由でないことを証明しているのかもしれない。
過去を愛するこは思想の奴隷であることを示しているのかもしれない。
夢見るとか前向きというのは実際には現在に屈服した人間のすることかもしれない。
未来を愛するためには現在の奴隷とならねばらならないのかもしれない。
自由を求めることすら遺伝子の命ずるままに生きることのようであり
そうだとするとプログラムされた自由という矛盾に至る。
自由な選択で意志を決定しているということすら嘘ではないかと疑ってしまう。
そのようにして「疑う」ことは「自由」なのだろうか?
そのような問いはきっと無意味なのだろう。
「自由」かどうかなんて誰にもわからないのだろう。
生き延びること、子孫を残すことを目的として「自由」は活用される。
よく考えてみると望んで生まれて来たわけでもないし望んで死んで行くわけでもない。
生きることも死ぬことも自由に決められない。
他人に支配されるのが嫌ならば他人を支配しなければならないという矛盾
支配者には責任が伴い、判断力がなくとも判断を求められ時間に追われ、
「自由」に思い通りに過ごせる時間がない。
そんな支配者が「自由」であるはずもないが、一時の支配が彼らに束の間の喜びを、
他人を支配することの喜びを感じさせる。

未来永劫「存在」することも出来ない存在が「自由」であるはずがない。
だからそこにいる君よ!好きなことをしよう。