140億年の孤独

日々感じたこと、考えたことを記録したものです。

純粋理性批判(7)

2013-03-23 00:05:05 | カント
光文社「純粋理性批判 7」を読んだ。哲学と数学の違いなどが書いてある。
「経験の助けを借りずに、純粋理性がみずからの領域を拡張することに成功した
輝かしい実例」である数学の方法を哲学で利用することによって大きな錯誤がもたらされるという。
これは幾何学的な方法でエチカを書いたスピノザを批判したものらしい。
その後、ヒュームが批判される。
「懐疑論者が主張する事柄そのものに、懐疑が向けられてしまう」ということだ。
ヒュームの理論だと「懐疑に陥ったまま抜けだせず、ニヒリズムにいたるかもしれない」と
解説にも書いてある。

解説によるとカントは人間の自由に二種類のものを考えていたという。
ひとつは「超越論的な自由」であり、これは「みずからの力で新しい状態を引き起こす
ことのできる能力」として定義される。
もうひとつは「実践的な自由」であり、これは人間が自分の欲望を否定してでも
「べきである」という命令にしたがって行動する自由を意味するという。
カントにおいては道徳と自由が結びついているらしい。

「わたしが道徳的な法則にあらゆる点でしたがわねばならないということは、
絶対的に必然的なこと」であり、ここで可能な信念は一つだけであり、それは
「神が現実存在すること、そして来世が存在すること」であるとのこと・・・

「神がいなければ来世もなく不死もなく、したがって善行もなく、すべては許される」
おっとこれはカラマーゾフの兄弟だ。みんな神様が好きなんだね。
そもそも全知全能の存在なんて人間には想像することもできないと思う。
四次元的に膨張している宇宙を創造した神様って何次元の存在なのだろうか?
十次元の存在だとしたら十一次元の存在に規定されてしまうのではないだろうか?
そんなふうに考えたら、どういう存在か決定できなくなる。

カントが「純粋理性批判」の初版を刊行したのは1781年のことで
沈黙をもって迎えられたそうだが、1787年の第二版になってようやく支持されたという。
しかし21世紀の今も沈黙によって迎えられているのではないかと思う。
再び読む機会を与えてくれた光文社と訳者に感謝したい。