珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

私はこっち

2019-09-09 | 思うこと
週刊誌を売ろうとか、テレビの視聴率をとろうとか、ネットのアクセスを稼ごうとすれば(つまりお金を儲けようとしら)、デタラメでも刺激的なことを書けばいい。
全部がデタラメじゃなくても10のうち2くらい本当に事を書けば、目的は達成される。

見る人も「なるほど、確かに」じゃつまらなくて、批判して満足するのが目的の人もいっぱいいるもんね。
炎上なんて聞くと、昨今は「また嘘ばっかり。何やってんの?」と批判目的の視聴者がよほど集まったりするのかと思うわ。
客層も話半分で楽しんでるなら、万々歳でそれは成立する。

ネットの憂さ晴らしも「憂さを晴らす」目的さえ満足させられれば、言ってることなんてデタラメでもいいんでしょう。
嘘でも事実でも、それでスッキリするなら効果は同じ。
目的は憂さ晴らしなんだから。

宗教も、何も「本当」とか「真実」を売ればいいのではなくて、「満足」を売ればいいのである。
つまらない事実より、満足できるデタラメの方が儲かるなら、内容なんて事実である必要がなく、満足させればいいのでは?

満足させられる商品を提供する。
需要もそこにある。
これの何がわるい?


確かに。

数字のために必死で、ノルマを請け負っている人は大変と思うわ。
そんなものから解放されても、「ポチしてください」「押してくだされ」が好きな人はいいけどね。

私は数字や人気より、自分の違和感がはるかに大事。
(両方ちゃんとある人もいると思うけど)

自分の居心地のわるさに、とても寛容になれないわー。
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