珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

温度差5

2019-09-16 | S教団関係
アンチの温度差の理由は、人それぞれの体験による。
体験もしてない、知りもしないことをわかったように言わないで ( ̄  ̄メ)
という鉄壁の印籠を出されると、黙るしかなかったそれ。
でもこれもかなり怪しくなってきたので、更に掘り下げて書いておきます。

①同じ体験をしても影響されるのはタイプによるのでは?

例えばSで「ダブスタ」の指導があったとします。
私なんかは、ピンとこない話は聞いてるような顔をしながら聞いてなかったし、聞いたところで頭に入らなかった。
興味のない勉強や説教を、いくら熱心に聞かされても頭に入らなかったのと同じである。
だからピンとくる話しか覚えていない。

そんなタイプだったから、あれもこれも酷いダブスタだったよね?と言われても
「ダブスタ?そうだっけ?」みたいな感じになってしまう。
確かに同じ体験はしているんだけど、両方を真剣に悩みながら聞いていた人もいれば、好きな方しか聞こえてなかった人もいた。

同じ家庭に育って、同じような体験をしているのに全然タイプの違う兄弟なんかも、おそらくこんな感じと思います。

②人ってその時の感情で、もののとらえ方が大きく左右されるのでは?

アンチになってさあ不満や文句を言おうとなった時に、シンパの時は何てことなく、ふんふんと聞いていたことが、さも重要な欠陥となってあふれてきたりする。
感謝していたことですら、はらわたが煮えくり返りそうになったことに豹変。

「同一人物が、同じ体験を」ですよ。

いやいやアンタ、あの時はそれこそをめっちゃ喜んでたやん!!ってやつである。

昔はちょっと感想を言われたら
「誹謗中傷した!!」と激怒した。
誹謗中傷って、ただの感想なんだけど…(・・;)
それが今や、同じことをボロクソに言いながら
「これが悪口?どこが悪口?ただ見たままを言ってるだけだよね?」

これと同じである。

一人の中の同じ体験ですら、コロコロ変わる。
人をコロコロ変わるという以前に、自分こそが変わったのでは?
昔のことはなかったこと以上に「すっかり忘れてしまって」

体験したことが、あなたと私では違うから温度差があるのではなくて、それもあるかもしれないけど、
文句ってもっともっと勝手なものでは?

温度差って、とってもとってもデリケートなものなの…
でもないんじゃな~い( ̄∇ ̄)
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温度差4

2019-09-16 | S教団関係
S問題を取り上げたブログはあまたとあるが、一言でまとめるならば
なんでこう、人によってここまで温度差( ̄▽ ̄;)

それは「生きるか死ぬか」の人から、「それほどのもん?」までピンキリなのである。

「生きるか死ぬか」の人は、それを軽く扱われることは
ブッ殺したくなるくらい不愉快で、
「それほどのもん?」の人は、
被害者意識のウンザリにもほどがあると思う。

これは実際に体験した内容というより、仮に同じ体験をしても、それぞれの受け取り方で分かれる気がする。

本当に…想像もつかなかったいろんな人がいるもんだ( ̄Д ̄;;

これに比べたら、思想や宗派の枝分かれくらいたいした話ではないのかなと思う。

多様性の正体って、思想でも支持政党でも宗派でもなくて、
「人のタイプ」なのかもね、と思ってしまう昨今。
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