珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

最初の一人

2019-09-24 | 思うこと
以前、あるブログで人の亡くなり方を実名で書いて、こんな亡くなり方は惨めで恥ずかしいとか、短命だとか自殺だったとか書いたコメントを読んで、違和感を覚えたことがあった。
それで「それはやめた方がいいと思う」と投稿したところ、びっくりするほどの反応があった。

そんなに騒がれるとは想像もしていなかったから、本当にびっくりした。
「ふうん」くらいに読まれると思っていたのに、なんでここまで騒がれるの???と仰天した。
だってこれは、決して決してコメント自体が特別過激なわけでも、ぶっとんでいたわけでもなかったからである。
実際、二ヵ月たってもまだ騒ぐ人がいたので、後に改めてアップしてみたけど、本当になんてことない、当たり前のことを書いただけ。

でも冗談でなく、バケツをひっくり返したようなアクセスが集まって、いろんな人からいろんなことを言われた。

じゃあなぜ、こんなどうってことないコメントがここまで騒がれたのか?

それは単に、反論が言いにくい賛同が当たり前の空気の中で、人気の逆らえないようなコメント者に対しての異論だったからである。

仮にえ?と首をかしげても、
常連のいい人が一生懸命言ってるし、
反論されたら嫌だろうし、
皆も黙ってるし、誰も何も言わないし、
そんな前例ないし、
こんな空気の中でわざわざ声を上げるなんて注目されるし、
何か言ったら面倒くさいことになりそうだし、
きっとこんなこと思う私がおかしいんだわ……

おそらく「打倒××」の時も単純にこうだったのではないかと思う。
心でモヤモヤならいいけど、口に出したら、バケツをひっくり返したような騒ぎを自分が受けることになる。
これってホントめんどくさい。

そんなことはいつでも、今だってそうである。
自分は口火を切りたくないけど、人にはやってほしくてたまらない人たちが、誰かが口を開かないかと待ち構えている。
そういう人でさえ、一人でバケツをひっくり返した騒ぎを引き受けたくないから、名前を隠して言うのがやっとだもんね。

MCで頭がイカレていたのではなくて、リアルの名前も顔も知れ渡った、NOと言えない同調圧の中で
「それおかしくないですか?」
と口火をきるのが難しかっただけでは?

でも自分の前に誰かが言っていたら。
それが一人、二人、三人と何人も続いていたら。

一人で最初に言う。
そのめんどくささを引き受ける。
内容じゃなくて、難しいのはこれ。
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