珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

酒癖

2019-09-29 | 思うこと
いつの時代も、酒癖がわるい人はいるもんである。
愛飲家としては、酒飲みのイメージがわるくなるのでこれは甚だ迷惑な話である。
(夫が酒をやめたこともあって強気である( ̄∇ ̄))

世の中の酒癖がわるい人に告ぐ。

喫煙はいいにしても、歩きタバコや吸い殻のポイ捨てをする人がいたらウンザリするよね?
愛犬家はいいけど、フンの始末もしないで散歩させる人がいたらゲンナリするよね?

酒癖がわるいのは、これよりタチが悪い。

呑んだら、セクハラをしたり乱暴になったり、押しつけがましい説教やら、くだらない愚痴やら、幼稚な悪ふざけが過ぎるのは、時に
人間関係を崩壊させる。

だいたいこういう人は、普段はおとなしいけど呑むと豹変する二極なんだよね。
しらふの時は念力で話して、呑むとクドクドとわめき散らすというか。

シャレと嫌悪感の間に横たわる38度線。
そこを超えたらミサイルが発射されます。ご注意を○Oo。―y( ̄∇ ̄;)
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祈り3

2019-09-29 | 思うこと
祈れば何でも叶うなんてそんなことあるかーい!!くだらん
と、これも単語だけ切り取る書き方。
これも気になってしまうなあ。

じゃあ祈るって言葉を置いて「信じる」という言い方に置き換えてみたら。
私はこの「信じる」ということが、深いというか厄介というか興味深くて、今でもたまたま関わったS問題を書いているところがある。

多くの人が時々口にする「思い込み」や「決めつけ」も、要するに強く信じることと思う。
強情に信じればその人の中では、それが途方もない事実になる。
この強力さに手を焼いた人はわかるのではないか?

「何でも叶う」ということと「決めつけたら何でも事実になる」ということが、どこか共通点がある気がするというのかな。
信じて「祈る」っていうのは、信じることの骨頂と思う。

信じることが「祈り」に変わった時、それはとてつもなく力を持った揺るぎないものになる。

シンパになってもアンチになっても、この人の「信じる」という強さに、よくもわるくも太刀打ちできないなあと思ってしまうのは私だけだろうか。
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