かどくら邦良@高崎市議会議員 ブログ

思いをブログに綴ります。

2015.5.18  自治の神様 松下圭一先生

2015-05-18 01:42:04 | 日記
政治学者の松下圭一先生が、先日85歳でお亡くなりになられたとの新聞報道があった。 丸山眞男の系譜を継ぎながら市民自治を基点に、時代を超える鋭い問題提起をしてきた松下先生に、初めてお会いしたのは25年くらい前だったと思う。

ビールをいっぱい飲んできた顔は少し赤かったが、米ソ冷戦が崩壊した90年代の始まりは、新しい政治状況の中で松下理論が現実化するチャンスを迎え、松下先生は張り切っていたように思えた。

従来の国家概念をいかにして超えていくのかをテーマに、新しい理論体系を提起し続けてきた松下先生であった。

官僚内閣制から国会内閣制に転換させる。国民主権の発動により国民と民主主義に制御された国会内閣制の実現により日本国憲法を暮らしの場で、政治の場で活性化させようとした松下先生は凄かった。

民主党の政権交代で直弟子の菅直人氏が総理になり、安倍内閣制から国会内閣制への構想が実現できるかと思えたが、頓挫したことは残念だったと思う。「事務次官会議」の官僚内閣制を崩壊の一歩手前まで追い詰めたのに残念だった。

1991年に発刊された「政策型思考と政治」の前書きは以下の通り。

[地域規模から地球規模まで、今日の政治景観は一変してきた。この新しい政治状況には、新しい政治理論が必要である。
本書は、≪分節政治≫の構想、ついで<政策型思考>の定位にともなう、国家観念との別れの書である。国家とは、農村型社会から都市型社会への大転換、つまり近代化の推力としての、過渡媒体にとどまる。都市型社会の成立がひろがれば、政府は、自治体、国、国際機構に三分化するとともに、政治は、この各政府レベルにおける、≪政策・制度≫の模索・選択についての、市民の「組織・制御技術」となる。
政治は、絶対・無謬・包括性をもつ国家観念から解放され、「分権化・国際化・文化化」という課題とあいまって、三政府レベルにおける、市民の文化水準・政治習熟、いわば品性・力量の反映となる。]


松下先生の言葉「政治は市民の品性・力量の反映となる」。重いですこの言葉。松下先生ありがとうございました。

昨日は結婚式。