2010年に放映されたNHK‐BSの再放送された日本サッカーの50年(5回)を見ました。
1960年から2010年まで、東京オリンピックにむけてドイツより日本サッカーの父といわれるデットマール・クラマーコーチの招へい。メキシコオリンピックでの銅メダル、その後の日本サッカーの低迷。そして1993年、あのドーハの悲劇です。
あと1分でワールドカップ初出場となるその時、イラクの同点ヘッド、崩れ落ちる選手たち。私は、その瞬間をテレビで見ながら、涙がこぼれ落ちました。
そして1997年、マレーシアのジョホールバルで行われたイランとの決戦。延長の末、岡野雅行が決勝ゴールをあげ初出場が決定、そして涙です。
その後2010年まで、日本サッカーはあたり前のように4回連続でワールドカップ出場となっています。
しかし、50年の歩みは苦難の歩みであり、先人たちの悔しさ、涙、苦悩、努力、たゆまない向上心でのり越え、成長を続けてきた歩みです。
日本サッカー協会は、2050年に日本でワールドカップを開催し、ワールドカップを奪取するという明確な目標を掲げている。
そのために15歳以下の育成に、さらに力を入れていくという。2010年ワールドカップで優勝したスペイン代表のイニエスタが「長い間、凄い苦労をしてきたんだ。」という言葉は重みがあります。
いつでも優勝候補に挙がりながら、ワールドカップ優勝に届かなかったスペインサッカーの歴史の歩みと重みがあります。スペインは徹底した15歳以下の育成を、2010年につなげたわけです。
私はこの1年、県議会で文教警察委員会に所属し、教育問題に多少触れることができた。その中で、そもそも教育とは何か、人づくりとは何か、という原点について、真正面から考え直していかなければならないことを痛感しました。
未来の群馬を語る時、その根本は人です。子どもであれ、大人であれ、年寄りであれ、女であれ、男であれ、人は一生学び続けて進化していく。
日本サッカーの50年の歩みは、これからの群馬の人づくり、教育を考える上で非常に参考になりました。
そんな観点からワールドカップ本大会に出場権に挑む日本男子、ロンドンオリンピックにチャレンジする日本女子、そしてU23男子の今年の闘いは目が離せない闘いとなります。
追記:日本代表女子チームの選手たちには特に期待です。みんなすごい大人です。これまでの苦労が滲み出ています。
昨日は県議会。
1960年から2010年まで、東京オリンピックにむけてドイツより日本サッカーの父といわれるデットマール・クラマーコーチの招へい。メキシコオリンピックでの銅メダル、その後の日本サッカーの低迷。そして1993年、あのドーハの悲劇です。
あと1分でワールドカップ初出場となるその時、イラクの同点ヘッド、崩れ落ちる選手たち。私は、その瞬間をテレビで見ながら、涙がこぼれ落ちました。
そして1997年、マレーシアのジョホールバルで行われたイランとの決戦。延長の末、岡野雅行が決勝ゴールをあげ初出場が決定、そして涙です。
その後2010年まで、日本サッカーはあたり前のように4回連続でワールドカップ出場となっています。
しかし、50年の歩みは苦難の歩みであり、先人たちの悔しさ、涙、苦悩、努力、たゆまない向上心でのり越え、成長を続けてきた歩みです。
日本サッカー協会は、2050年に日本でワールドカップを開催し、ワールドカップを奪取するという明確な目標を掲げている。
そのために15歳以下の育成に、さらに力を入れていくという。2010年ワールドカップで優勝したスペイン代表のイニエスタが「長い間、凄い苦労をしてきたんだ。」という言葉は重みがあります。
いつでも優勝候補に挙がりながら、ワールドカップ優勝に届かなかったスペインサッカーの歴史の歩みと重みがあります。スペインは徹底した15歳以下の育成を、2010年につなげたわけです。
私はこの1年、県議会で文教警察委員会に所属し、教育問題に多少触れることができた。その中で、そもそも教育とは何か、人づくりとは何か、という原点について、真正面から考え直していかなければならないことを痛感しました。
未来の群馬を語る時、その根本は人です。子どもであれ、大人であれ、年寄りであれ、女であれ、男であれ、人は一生学び続けて進化していく。
日本サッカーの50年の歩みは、これからの群馬の人づくり、教育を考える上で非常に参考になりました。
そんな観点からワールドカップ本大会に出場権に挑む日本男子、ロンドンオリンピックにチャレンジする日本女子、そしてU23男子の今年の闘いは目が離せない闘いとなります。
追記:日本代表女子チームの選手たちには特に期待です。みんなすごい大人です。これまでの苦労が滲み出ています。
昨日は県議会。