遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『新・紫式部日記』  夏山かほる  日本経済新聞出版社

2022-10-08 11:26:29 | レビュー
 先日ご紹介した『源氏五十五帖』を読んだとき、著者プロフィールから本書を知った。2019年に第11回日経小説大賞を受賞した作品で、著者の作家デビュー作という。2020年2月に単行本が刊行された。
 紫式部は『紫式部日記』を書いている。1010年頃に成立したと推定されるこの日記は、一条天皇の中宮彰子が皇子・敦成親王を出産する当時の状況と宮廷生活を記録し、併せて消息文という形で人物批評を記した書である。
 本書のタイトルに「紫式部日記」を使っているが、この作品は『紫式部日記』の記録内容の時期をストーリーの一つの山場にするところから関連づけられたネーミングにすぎない。本書は16歳の小姫と称された時点から始まり、1027(万寿4)年12月に道長が薨去し、更に帝位が敦成親王(後一条帝)から三の宮敦良親王(後朱雀帝)に継がれたころまでを扱っている。藤式部(紫式部)が五十半ばをかなり過ぎた時までを描いている。つまり藤式部(紫式部)の生涯を描いた作品である。
 そこには大胆な仮説が組み込まれ、フィクションという形で、藤式部の姿が描き出される。フィクションだからこそ、語り得ること、想像の翼を羽ばたかせることができる、そんな面白味が要所要所に見られる。そこに、研究者の学術論文としては語ることができない歴史の空隙を想像し、具象化する醍醐味が生まれるのだろう。
 読者は興味津々となり、ストーリーに引きこまれて行く。一気に読んでしまった。
 勿論史実を踏まえていてもフィクションなので、「新」という語が意図的に冠されたのだと思った。

 この作品にはいくつものテーマが織り込まれている。少なくとも私が受け止めたテーマと思うものを列挙してみる。
1.勢力関係の変遷とそれが及ぼす結果というテーマがストーリーの根底に流れている。
 藤式部の家系は、宮廷政治の文脈で捉えると、式部の時代には藤原一族の中で敗者の家系になる。二代前の堤中納言と称された祖父兼輔の時代と比較すれば、零落の一途という悲哀を式部は心中に抱く立場にいる。
 986(寬和2)年の花山帝の突然の出家事件。それが父・藤原為時と藤式部に影響を与えていたという側面など、この小説を読むまで考えてもいなかった。
 宮中勢力図をきっちりと押さえておくことが重要だと感じた事例になった。

2.物語作者として、なぜ書くのかという思い。『源氏物語』を創作し続ける思いに光を当てる。
 文脈から抽出してみよう。次の思いが表白される。その思いが湧く文脈・背景を読んでほしい。
「私は自分の物語が書けて、それが家の役に立つのです。私にとってこんなに嬉しいことはありませぬ」 p32
「書き手は高貴な方の支えなくして創作に集中できぬからな。よき読み手あっての良き書き手というわけか」(父・為時の言として) p33  
「藤式部は、自分が意識した設定が生きていて気持ちが弾んだ。」  p60
「時代が変わるように物語も変わる。しかし、時代が続くように、物語も続くのだ」p116「源氏の物語の人々は、それぞれ過酷な運命を生きている。そういう人生を定めたのはじぶんだけれど、読者と同じように、その中で幸をつかんでほしいと思いながら書いている。」 p145
「自分が物語を書いたのは、読者を喜ばせ才ある者として認められたかったからであり、描きたかったのは、止むにやまれぬ気持ちに翻弄されながらも懸命に生きようとする人たちの運命だった。」 p179

3.藤式部は藤原倫子に仕える立場から、一条天皇の中宮彰子に仕える立場に替えさせられる。藤式部の「女房(女官)」としての思いの変化をとらえていく。
 文脈から抽出してみよう。
「藤式部の後宮での役割は、物語を創作うることはむろんのこと、彰子の教養を高めるための指南役でもあった。」 p75
「彰子の天性の素質を大事に伸ばすべきだと感じとった。」  p78
「理想の帝の像を彰子に伝えたいと思った。いつか彰子が育てる帝が比類ない御代を築くための一助となりたかった。」  p79

4.物語が宮廷政治の中でどのような役割を担い、利用されていくか。
 娯楽、文化的享受、教養という側面にとどまらない実態が掘り下げられていく。
 「油断してはいけません。道長公は老獪な方です。高価な料紙を長年にわたって大量に融通して下さるのが、ただの好意からとお考えなら、甘うございますよ。」(清少納言が藤式部に語ることばとして) p158-159

 この小説で興味を惹かれる側面がいくつもある。列挙してみると、
1.藤原道長の『源氏物語』の読み込み方が藤式部との会話の形で書き込まれる。道長の視点と彼の心の動きが描かれる点。第一に宮廷政治家としての考えが厳然とある。
 「そなたの物語には宮中での役目がある。それを忘れてはいまいな」(p73)と道長に言わせている。今上の目を彰子に向けさせるための小道具。

2.藤式部と清少納言がストーリーの節目で対面して語り合う場面が出てくる。その会話が重みのある内容となっている点。
 『紫式部日記』の後半に「消息体」の文が含まれ、「三才女批判」が記されている。紫式部はその一人に清少納言を取り上げ槍玉にあげている。両人の直接的な接触は不詳。
 この小説ではその清少納言と藤式部を身近な間柄のように登場させているところが、おもしろい。

3.原文で「あなかしこ、このわたりに若紫やさぶらふ」と藤原公任が藤式部に問いかける場面が、『紫式部日記』に記されている。『源氏物語』の成立年代を判断する上でも有名な一文として知られている。
 『紫式部日記』では、親王誕生五十日の祝いを11月1日に行なった宴の場面の中で問われたこととして記されている。
 この小説では、藤式部が彰子に仕える女官に役割を変えさせられて1年近くたった後の11月半ばに、道長が宇治川のほとりの別業で恒例の遊覧の宴を催す。藤式部も倫子に頼まれて特別に手伝いとして参加する。その時に、酔眼を隠しもしない大納言藤原公任に「やや、この辺りに若紫や侍ろう」(p85)と声を張り上げられたというエピソードとして描き込まれている。

 本書のテーマと興味を惹かれる側面で上記の諸点に触れているが、あらためてストーリーの大筋を小項目列挙の形で押さえておこう。
<序>
 藤式部の祖父、堤大納言藤原兼輔、清原深養父、紀貫之の夏の夜の宴場面。

<第一章>
 16歳の小姫(=後の藤式部)ははや物語を執筆。石山寺への7日の参籠と帰路のエピソード。

<第二章>
 花山帝の突然の出家事件。それから15年後の小姫の状況描写(10年後に父為時の国守任官に同行して越前へ。帰京し結婚、妊娠、夫との死別という人生体験で3年が経過)。
 寡婦の小姫に土御門第の倫子から物語の女房としての務めの誘い。藤式部と称し出仕
 『源氏物語』既刊の帖が話材に。道長と藤式部の面談場面。
 中宮彰子に仕える女房として後宮に入ることへの要請。

<第三章>
 中宮彰子との面談。藤式部の役割自覚と思い。宇治の別業での恒例の遊覧・宴。藤式部の身に起こる一大事。彰子入内10年目の懐妊と出産。
 このストーリーでの一つの山場となっていく。著者の仮説とフィクションのおもしろさが発揮されていく。

<第四章>
 藤原道長と藤原伊周との確執。道長による藤式部の物語草稿持ち出し事件。藤式部が石山寺の坊に逗留して創作。石山寺逗留時に清少納言が登場(二人の語らい。これが興味深い。)、石山寺の僧明信の思い出した事(藤式部にとっての運命の縁?!)、藤式部と道長との核心に迫る対話。
 政治と物語論がもう一つの山場となっていく。

<第五章>
 源氏物語創作の断筆を考える藤式部。成長した彰子の姿(左大臣道長との対立さえ考える彰子)。春宮擁立についての道長の画策。藤式部が創作目的で石山寺に逗留。藤原行成が石山寺に来訪。源氏物語の新たな帖の誕生(女三の宮を正妻に、光源氏の死去、異なる源氏の世界へ)、行成が一の宮立坊の難点を提起
 道長の思惑に屈せず、創作を展開する藤式部の姿が興味深い。物語は独自の展開へ。

<第六章>
 今上崩御後の皇位の行方。彰子の皇大后冊立。藤式部は女房勤めを引き、宇治十帖創作へ。道長への最後の対面。道長の晩年。
 「権勢と裏腹に、道長は孤独な老いた男性となっていた」(p220)対面での会話に続くこの一文が生きている。

<終章>
 藤式部と清少納言の語らい。

 最後に、印象深い箇所をいくつかご紹介しよう。
*漢籍も仮名も文の学、文の芸だ。・・・・ことにそなたの書くような物語は、男だから優れている、女だから劣っているとふるいになどかけられまい。男より優れた女の歌詠みはいくらでもいる。物語の書き手も同様であろう。(為時に語らせた言葉) p67
*漢籍に限らず、古くから長く伝えられてきた物語には、時代や国は違っても、人の心を捕らえて離さない何かがあるのだよ。人の心の何かがな。(為時に語らせた言葉) p68
*政治というのは、私たちが考えるよりもっと色々なものを利用するのです。p159.p172
*ひとり高明親王のみならず、失脚したり悪評が伝わる帝や皇子は、本当は優れた人たちだったのではないか。物狂いとして誹られる冷泉帝の真の姿をどれだけの人が知っているだろう。  p173
*親が子を思うように、いやそれ以上に、子の親への思いがまさることもある。 p187
*人というのは、惑うものなのです。
 だからこそ、物語に心うごかされるのかもしれません。和歌も詩もきっとそのためにあるのでしょう。  p224

 藤原倫子と中宮彰子に仕えた藤式部。宮廷政治家道長は『源氏物語』と藤式部を利用した。藤式部と道長の縁は、式部が16歳の小姫の時点から始まっていた・・・・という構想が実におもしろい。最後は歴史書が記録する皇位継承の外形的史実に巧みに帰着する。

 ご一読ありがとうございます。

本書に関連して、登場する人物で歴史に現れる人々をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
藤原兼輔  :ウィキペディア
藤原兼輔  :「千人万首」
藤原兼輔  :「コトバンク」
清原深養父 :ウィキペディア
清原深養父 :「コトバンク」
一条天皇  :ウィキペディア
後一条天皇 :ウィキペディア
敦康親王  :ウィキペディア
藤原彰子  :「コトバンク」
藤原道長  :ウィキペディア
国宝 紫式部日記絵巻  :「五島美術館」
藤田美術館 名品物語 紫式部日記絵詞  YouTube

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こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『源氏五十五帖』  夏山かおる  日本経済新聞出版


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