遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『美術でめぐる西洋史年表』 池上英洋 青野尚子  新星出版社

2022-01-25 14:24:59 | レビュー
 カバーの絵、アングルの≪グランド・オダリスク≫にまず目がとまった。そして、タイトルを読むと、「美術でめぐる」という修飾句付きで「西洋史年表」とある。「年表」という言葉が入っている。ここに本書の特徴の一つが表れている。本書は2021年5月に刊行された。

 「はじめに」に本書の目的が的確に書かれている。「西洋の長い歴史の流れを・・・・・芸術作品で確認しながら概観することにある」と。西洋の5000年の歴史を概観するための方法として「年表」という形式が利用されている。西洋史の時期区分のもとでその各時期全体の歴史の主要な史実をカバーするという意図があると読みながら理解した。西洋全体での多いな歴史の変遷を概括するためである。鍵括弧の引用中で省略した部分は、著者による芸術作品の説明である。「人類の思考の結果であり、創造性と想像力の所産にほかならない」ものを芸術作品とする。
 「おわりに」には、この目的をパラフレーズしていると言える箇所がある。「本書では主にヨーロッパの歴史を西洋美術から読みつつ、社会と芸術の協働関係にも着目している」と。
 つまり、私は読後印象として、西洋史の中でエポック・メーキングとなる重要な事項を解説し、その歴史的事項・状況を西洋美術、芸術作品と関係づけて読み解くというアプローチだと理解した。芸術作品が生み出された歴史的背景を語るという流れである。西洋史の古代から現代までを概観しながら、そこに西洋美術の進展の経緯をとらえている。いわば、西洋史の変遷を軸にしながら西洋美術史も概観する教養書と言える。

 著者のスタンスが明確に記されている。「忘れてならないのは、歴史は常に政治や経済の動きが先行し、後から文化がついていくという法則である」(p101)と。そこでまず歴史の流れの要点が語られる。「いつの世でも経済力を持つ層が文化の中心的な担い手となる」(p101)。芸術作品は文化の担い手が支持してこそ、その時代に受け入れられるということになるのだろう。それ故、そこには協働関係が形成されていくと言える。時代の流れと西洋美術の変遷とを関連付けて理解するといううえで、読みやすい書になっている。逆にいえば、芸術家が生きる時代を超越した作品を創作していたとしても、それを支持する人が居なければ歴史に埋没する。幾世紀かを経て発見される作品は希有であり、発見された時代の文化の担い手に支持されて、時代の後付けで改めて評価されていくということなのだろう。芸術家との同時代人には評価認識されていなかったのだから。
 
 本書では、西洋の5000年の歴史を、古代・中世・近世・近代・現代と5分割する。それぞれの時期の歴史を上記の通り年表という形式で各章の冒頭の見開き2ページで提示している。その年表の中に、どの時点のどの事項・史実を抽出するかが明示されている。
 たとえば、「古代」の年表の最初期箇所からは、まず「1 文明のはじまり」が抽出され、西洋での文明の始まりを概説している。この事項では「太古の人々の暮らしを伝える遺跡群」、つまり文化遺産の代表的な事例を取り上げて説明している。《ヴィレンドルフのヴィーナス》《ラスコーの洞窟壁画》《ウルクの都市遺跡》《ストーンヘンジ》が掲載されている。
 大凡でいえば、一つの歴史的解説事項は見開き2ページに纏められ、その中に芸術作品3~5点が事例として掲載されている。図版にキャプションが記され、本文中にも説明が加えられている。読者にとっては、見やすくて読みやすい形になっている。
 カバーのオダリスクは、「近代」の「9 西欧諸国のアジア進出」解説の中に組み込まれた図版の一つである。ここには、『ガリバー旅行記』の挿絵(フランス語訳初版)が載っている。この箇所を読み、初めて知ったことがある。ガリバー旅行記には、ガリバーが日本の海賊船に捕らえられ「踏み絵はしたくない」と語る場面が出てくるという。唯一実在の国として日本が登場しているという。他にも、本書から西洋史について初めて学んだことが多々あった。勿論、芸術作品と芸術家たちについても同様である。
 美術の鑑賞は趣味の一つなのだが、西洋の芸術家で私がすぐに連想する芸術家たちの名前は、大凡本書に登場している。逆に初見の芸術家名が多い・・・・・。

 本書の時期区分が西洋史の研究分野で定説あるいは一般的な区分なのかどうかは判断しかねる。私には対比する資料が現在手許にはなく、少しネット検索してみた。ここでは本書での区分についてご紹介しておきたい。
 古代(3000BC → 27BC)、中世(9BC → 1431AD)、近世(1347AD → 1569AD)、近代(1545AD → 1879AD)、現代(1871AD → 2020AD)である。時期区分のそれぞれの起点は史実の取り上げ方からだろうが、少し重なっている。

 また、概説する項目数としてとらえれば、古代(13)、中世(22)、近世(16)、近代(21)、現代(11)となっている。古代~近代の各章末には「美術でみる○○の生活」というコラム記事が付いていて、現代には、「現代の諸問題とアートの密な関係」という解説記事になっている。

 本書全体の構成について、もう少しご紹介しておこう。
 本書のタイトルをまさに示すように、冒頭に折り込み(21cm×48cm)両面印刷で「西洋史の5000年」という年表がある。年表は2段組で、後の事項解説に登場する図版事例が年表に併載されている。タイトルに「3分でわかる」という吹き出しが付けてあるから笑える。年表に併載の図版を眺めるだけなら3分でよいかもしれないが、年表に記載事項を読み進めるならばとてもじゃないが3分では読み切れない。ちょっとしたユーモアか。 内表紙、「はじめに」「目次」と続き、最初にグラビア特集として「名建築でたどる西洋文明の歩み」が載っている。ここのページ一杯の写真集を見ていると西洋に旅だってみたくなる。紹介されている建造物を列挙してみよう。
 古代 Chapter 1 パルテノン神殿、パンテオン
 中世 Chapter 2 サン・ヴィターレ聖堂、シャルトル大聖堂
 近世 Chapter 3 ヴェネチア、フィレンツェ
 近代 Chapter 4 エッフエル塔、芸術愛好家の家
 現代 Chapter 5 ロンシャンの礼拝堂、ルーヴル・アビダビ
私が旅行し現地で眺めたことがあるのは3箇所だけだ。未訪地に行ってみたい・・・。

 各章本文の構成は上記の通りだが、掲載図版の多くにはキャプションにプラスして吹き出しが付けてある。ワンポイント・ガイドのようなもの。例えば、上記の《ヴィレンドルフのヴィーナス》の場合だと、22文字4段のキャプションが併記されている。これは、全長11cmほどの石灰岩の小像の図版であり、説明文末尾に「大地母神的な多産・豊穣祈願やお守り」とある。吹き出しは「小さな石像に多産や豊穣の祈りを込めて」という風である。
 カバーに使われているアングルのオダリスクにも吹き出しが付いている。「引き伸ばされた裸体と東方の小道具が生むエキゾチックな官能美」と。表紙に付された吹き出しは、「さあ、歴史の旅へでかけましょう」。美女に語られると、出かけたくなる・・・。
 オダリスクではないが、それに近い裸体画として、「近世」「10 ヴェネチア・ルネサンス」の項に、ティツィアーノ・ヴェチェッリオ作《ダナエ》(エルミタージュ美術館蔵)が載っている。その吹き出しは「神話画に『金貨』という世俗のエッセンスを添えて」。本文には「臆面もない現世利益の追求もヴェネチア・ルネサンスの特徴だ」と記されていることを補足しておこう。

 マルティン・ルターの質問状に端を発して、近世末期に宗教改革が始まり、プロテスタントが台頭していった。それに対して、カトリックは復権をはかるべく対抗宗教改革として内部改革に動き始める。断続的に開かれたトリエント会議がその一つという。その過程で「信仰のために美術を活用することも定められた」(p142)そうだ。そこから生まれてきたのが「バロック美術」だという。バロック美術という言葉やそう称される作品は見聞していた。しかし、その歴史的経緯は知らなかった。「バロック美術は大衆にカトリックの素晴らしさをわかりやすく伝えるため、劇的で濃密な表現が特徴だ。」(p143)バロックという言葉は後付けでの名称のようだが、「『歪んだ真珠』を語源とする、変わったもの、奇妙なものといったニュアンスの言葉だ」(p143)とか。このページには「信仰心を高める過剰な演出と劇的な明暗表現」というフレーズも使われている。まさに、カトリックと画家が協働関係で生み出したのがバロック美術だったようだ。本書で学んだことの一つである。「
 
 末尾「現代の諸問題とアアートの密な関係」は多様化するアートの読み解きへの一つの提示となっている。4ページにわたる興味深い内容である。真っ先にバンクシー作の《愛はごみ箱の中に》という作品、オークション直後の写真が掲載されている。マスコミ報道で話題となった。ここでは、「ビルバオ効果」をキーワードにして、「アートと経済のつながりはますます密接になっている」(p213)ことと、現代の諸問題とアートに密な関係がある点に着目している。その事例として、環境そのものをアートにする動きがあることを指摘する。「社会を映す鏡として変革をもたらすアートの力」に着目している。現在のアートを考える上で興味深い。

 西洋の歴史の流れを改めて再認識する一方で、芸術作品の思考と表現の変遷そのものを学びながら楽しめるところがよい。

 ご一読ありがとうございます。


本書からの関心事項を一部ネット検索してみた。一覧にしておきたい。
オダリスク  :ウィキペディア
ヨーロッパ史   :ウィキペディア
歴史区分について :「司法試験 リンク集」
『思想』2020年1月号 時代区分論  :「たねをまく」
キリスト教会堂建築について :「西洋建築史の部屋」(DEO-HOMEPAGE)
【美検】ロマネスクとゴシックの違い。写真で比べよう! :「アートの定理」
ルネサンス   :「コトバンク」
ルネサンス   :ウィキペディア
ルネサンスと宗教改革  :「NHK 高校講座」
バロック美術  :「コトバンク」
【美検】バロック絵画って何?代表作で感覚を掴もう!  :「アートの定理」
ロココ美術  :「コトバンク」
「ロココ美術」をわかりやすく解説!  :「ARTFANS」
The British Museum  大英博物館 英語版 ホームページ
Louvre  ルーブル美術館 英語版ホームページ
愛はごみ箱の中に  バンクシー :「Artpedia」
ビルバオ・グッゲンハイム美術館 :「Linea_ 」
アブダビにあるもう一つのルーブル美術館  :「Arisa Reisen」
モエレ沼公園  公式サイト

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)