遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『剣樹抄 不動智の章』 冲方 丁  文藝春秋

2021-12-21 00:25:44 | レビュー
 期待していた『剣樹抄』の第2弾が出た。「オール讀物」(2019年6月号~2021年1月号)に一定間隔で発表された6編の短編連作集である。この第2弾には、「不動智の章」という副題が付いている。6編の中に「不動智」というタイトルの短編があり、ここから取られたのだろう。2021年11月に単行本が出版された。

 『剣樹抄』で述べたことだが、今回の6編もそれぞれのストーリーはその中で一応の完結をみる。そのストーリーは次のストーリーにシフトしていき、大河の流れの如くに全体が繋がっていく。主な登場人物は同じで、ストーリーの時空間が移っていき、新たな状況に入って行くことになる。各短編が一応自己完結型なので、第1作を読まずとも、この作品からでも読み進めることができる。
 とはいえ、第1作との関連でまずいくつかご説明しておこう。第1作の読後印象記に記したことも利用している。
 タイトル『剣樹抄』の「剣樹」は四門地獄の一つ、刃を持つ樹(剣葉林/剣樹)に刺し貫かれるという地獄の名称から来ている。
 この『剣樹抄』を大河の流れとして捕らえると、江戸で放火・強盗・殺人を繰り広げた集団・極楽組を追跡し壊滅することを目指し、彼等の行動に秘められた思惑を解明していくプロセスが描かれる。併せてそのプロセスでの了助の成長ストーリーが展開していく。紆余曲折を経ながら、一筋縄では行かない探索活動が進展する。そこに、将軍家、老中、徳川御三家の思惑と立場、確執が絡んでいることが状況を複雑にする。それがこのストーリーのおもしろさにもつながっている。

 各短編に共通する主な登場人物等をまずご紹介しよう。
六維了助: 無宿人時代に、何者かに父を斬殺された。独自に棒振り技を編み出した。
      木剣を所持し、サバイバルの為の技を磨く。父の仇討ちを願望している。
     「拾人衆」に引き入れられ、品川の東海寺に身を寄せ、童行の一人となる。
拾人衆 : 捨て子で幕府に拾われ、特技を活かし密偵の役割を担う少年少女たち。
      東海寺と江戸の各所に設けられた「寺」と称する拠点等で生活する。
      犬なみに鼻のきく伏丸。韋駄天と呼ばれる健脚の燕、鳶一、鷹。
      軽業が得意な小次郎。大柄で力自慢の仁太郞、達吉。
      三ざるの巳助、お鳩、亀一。四行師修行中の春竹、笹十郎、幸松等が登場
罔両子 : 東海寺の僧。拾人衆の養育を引き受けている。
阿部忠秋: 豊後守は老中の一人。江戸の火災などで発生した孤児の保護に熱心。
      「拾人衆」という密偵の組織を構築した一人。
      江戸での犯罪(放火・殺人・強盗等)取締の頂点に立つ。
中山勘解由:先手組の組頭。阿部豊後守忠秋にとっては実働部隊の要の一人。
      犯罪捜査の最前線のリーダー。直接的には水戸光圀と連携して行動する。
水戸光圀: 水戸藩の世子。父頼房の命を受け、代理として「拾人衆」の目付け役に。
      若き日の己の過ちを常に心の隅で悔悟する。それが了助に関わっている。

 この第2弾では、さらに次の人々が主な登場人物に加わる。
柳生義仙: 柳生六郎。またの名を、列堂義仙あるいは芳徳坊義仙。芳徳寺住持。23歳
      柳生宗矩が晩年に側室に生ませた末子。宗矩の遺志により大徳寺で出家。
      郷で学んだ剣の道において、活人剣が好きな教えと言う。剣の達人。
松平信綱: 家光の薨去後、殉死追腹をすることなく、家光の遺命により家綱を補佐。
      老中の一人。伊豆守。阿部忠秋とは異なる立場。情でなく理を重視する。

 さて、各編を簡単に読後印象を交えてご紹介していこう。
<童行の率先>
 了助を含めた拾人衆は東海寺の西の僧坊で暮らす。彼等は童行(ずんなん)と称され、僧の見習いの見習いで、非公認の存在。寺住まいの年少者である。
 起床を告げる「開静!」の声と振鈴の音が響く禅寺の一日の始まりから描き出される。午後の作務の途中で、鼻のきく伏丸が異臭を嗅ぎつける。了助は伏丸と境内から御殿山の方に辿って行き、拾人衆の一人、弥太郎が細帯で首をくくって死んでいるのを発見する。伏丸は弥太郎が殺められたのだと確信した。弥太郎は、極楽組が逃げたあと勧進場に潜り込んでいないか調べていたという。
 もと手合いだった僧の慧雪が童行の率先すべきことではないと押しとどめようとするが、拾人衆たちは異変を報せ、犯人究明に起ち上がっていく。
 弥太郎の死は、やはり極楽組、それも正雪絵図に関わりがあった。拾人衆たちの活躍が読ませどころとなる。

<浅草橋の御門>
 正月の大火のとき、小伝馬町の牢屋敷で、牢奉行の石出帯刀吉深は囚人が再び戻ることを前提に囚人の解き放ちを実行した。だが、浅草門御門の門番たちは、囚人の出で立ちの集団が出現すると脱走と判断し、大火の混乱の中で御門を閉じてしまった。その結果、逃げ場を失った2万人余がここで死んだという大惨事が発生した。
 浅草橋の御門は常時開放の門の一つだった。この門が閉じられたことによる惨事を理由に、騒動を起こそうという動きがあると、大小神祇組を作った水野十郎左衛門成之が水戸光圀に会って伝えた。草譯組と名乗る輩が賭場を開いて、浅草橋御門の件で義憤を抱く侠客を集めているという。光圀たちはその賭場捜しから着手していく。了助ほか拾人衆もその探索に関わって行く。
 浅草橋の御門が閉じられるという事態が起こる。そこに、極楽組の一人、緋縅と名乗る男が現れた・・・・。
 光圀が了助に賭博のことを教えたり、緋縅に立ち向かって行く一員に自ら加わるという行動に出るところがおもしろい。

<不動智>
 本郷丸山に徳栄山本妙寺がある。正月18日から19日未明にかけての大火は「振袖火事」と呼ばれるようになり、この本妙寺が火元だと江戸中に流布されていた。極楽組がばらまいた正雪絵図もまた火元を本妙寺と記していた。だが、紀伊藩附家老の安藤帯刀は、本妙寺の隣にある老中・阿部豊後守の下屋敷が火元だと光圀に語った。かつ老中を信用出来ぬと言う。光圀はこの点の事実を確認するために、本妙寺に自ら出向く。だが、その結果、光圀は己の過去の因縁に直面する羽目になる。
 一方、了助は拾人衆の役目として傘運びの仕事に従事する。それは拾人衆たちの中継(つなぎ)を担うためだった。だが、その仕事の最中に、以前深川で打ち倒した町奴の仲間に見つけられ絡まれる。だが、その場に蓬髪の男が現れて了助を助けた。そのときその男は達人が見せる技を使ったのだ。了助は己の務めを果たして東海寺に戻ると、僧の慧雪から客人の世話を指示される。その客人があの蓬髪の男であり、柳生列堂義仙と名乗った。了助は義仙から不動智を学んでいないのかと問われる。
 阿部豊後守の屋敷は、阿部忠秋の本家の屋敷だった。忠秋は拾人衆に光圀の動きをも監視させていた。それが契機となり、拾人衆の亀一は光圀の過去の因縁の事実を知ることになる。それがこのストーリーのトリガーになって行く。
 このストーリー、本所の無縁寺にある万人塚で行われる極楽組による正雪絵図売買の現場を捕獲するという山場を含む。この山場、老中の思惑と御三家側の光圀の立場及び光圀自身の思いが絡む複雑さを帯びた動きが関わっている点が興味深い。
 だが本当の山場は光圀の過去の因縁が暴かれるという顛末にある。読ませどころだ。
 義仙は了助を買うと光圀等に告げることに。罔両子は「代金はなんです?」と問う。義仙の返答は「極楽組」。光圀は「了助を・・・・どうする気だ」と問う。義仙は「鬼を人に返します」と答えた。(p194-195)
 そして、義仙が了助とともに江戸から消えることに。
 新たな展開への始まりとなっていく。

<六月村>
 義仙に連れられる了助の出立は、騎乗する義仙の後に、両手両足を縛られ馬の背にうつ伏せに乗せられて・・・という異様さで始まる。読者はのっけからこのストーリーに引きこまれるに違いない。
 東海寺~日本橋周辺~小伝馬町・伝馬屋敷へ。近隣の「寺」で了助は縄を解かれる。そして、義仙から了助を買った、旅に同行してもらうと告げられる。さらに、「後払いだ。代金は、極楽組の錦、鶴、甲斐、極大師」(p208)だと言われる。了助と義仙のやりとりへのプロセスが最初の読ませどころとなる。了助の義仙に対するスタンスが決まるのだから。
 了助は旅に対する心得を義仙から教えられる。義仙は手合いの者と名乗る若い男から竹札を受けとった。そこには「六月一里」と記されていた。義仙がまずどこに行くかがそれで決まる。了助にとっては、極楽組の4人を捜す旅、初めての旅が始まって行く。
 了助の目から見た旅の描写が江戸時代の旅がどういうものかを想像させて興味深い。
 このストーリーでは、次の行路が舞台になっていく。
 日本橋本町~浅草御門~浅草寺~小塚原~南千住~千住宿~六月村(一里塚番)
  ~川の船着場
 船着場が最初の闘いの場になる。「松之草村に流れし、風魔の小八兵衛」と名乗る男が義仙に助力することに・・・・・。おもしろい展開となっていく。
 船着場の闘いで義仙が入手した帳簿が彼等の次の行先を示す。行先は日光と。

<歓喜院の地獄払い>
 ストーリーは、老中の執務室である御用部屋の一角に阿部豊後守忠秋が入ると、同じ老中の松平伊豆守信綱と柳生宗冬が忠秋を待ち伏せしていたという場面から始まる。共に幕府安泰のために粉骨砕身なのだが二人のスタンスは大きく異なる。それが様々な形で障害となるのだが、読者にとってはどういう影響が及んでいくかと、興味津々のファクターになる。信綱は義仙と了助の行先を掴んでいた。「日光道中。六月村。一里塚番」(p257)と。忠秋と信綱・宗冬との間の腹の探り合いがおもしろい。そして、最後に信綱は忠秋になぜか拾人衆全員の養子縁組の話を持ちかけた。
 義仙と了助の旅は、越ヶ谷・瓦曾根村の鳥見頭・秋田甚五郎の邸~下間久里村の一里塚番士宅~大枝村・香取神社、歓喜院聖天堂~秋田甚五郎の邸となる。秋田甚五郎の邸が闘いの場となっていく。義仙は言う。「極楽組の一芝居、楽しませてもらった」(p295)と。一方、光圀は三ざるを使い、養子縁組のカラクリを解く。そのことがどう絡んでいるのかも、おもしろいところである。
 このストーリー、腹の探り合いが要と言えそうだ。

<宇都宮の釣天井>
 了助の旅は、義仙と共に禅を行いながら、己を見つめる旅にもなっていく。
 このストーリーでは、粕壁(現埼玉県春日部市)~杉戸~幸手~小右衛門村泊~一里塚~関所~栗橋宿(現埼玉県久喜市)~利根川~中田宿(現茨城県古河市)~円光寺~原町の一里塚~古河宿~徳星寺~間々田宿(現栃木県小山市)の問屋場~逢の榎~宇都宮という行路を辿る。
 極楽組の行方を各地で調べながらの旅である。鳥見衆が使っていたのが阿片であること。鳥見衆と極楽組をつなげたのは一人の医者ということが手がかりとなっていた。遂にその医者の名と住まいを突き止める。名前は木ノ又雲山。住まいは逢の榎から監視でき、田畑の向こうにぽつんと建つ百姓家だった。ストーリーはここから大きく動き出す。
 この医者がキーパーソンになっていくのだが、釣天井が絡み、意外な結末が訪れる。
 だが、そこには松平伊豆守信綱が絡んでいて、光圀が巻き込まれて行くことになる。
 まずはこのストーリーをお楽しみに。

 義仙と了助の旅はさらに続きそうである。第3弾がどのように展開して行くのか。
 期待して待とう。

 ご一読ありがとうございます。

 本書に出てくる事項で、関心をいだいた項目を少しネット検索してみた。事実ベースでストーリーの背景となる関連情報として一覧にしておきたい。ストーリーをイメージする一助になるだろう。
東海寺 禅宗の名僧 沢庵宗彭が開山  :「しながわ観光協会」
徳栄山惣持院本妙寺  ホームページ
明暦の大火 :ウィキペディア
明暦の大火…俗に言う「振袖火事」は武家の失火?はたまた都市計画のために幕府が仕向けたもの?  :「Japaaan 」
日本橋小伝馬町  :ウィキペディア
伝馬屋敷  :「コトバンク」
一里塚 :ウィキペディア
日光街道  :「人力」(旧街道紹介サイト)
宿場町の風情を今に残す日光街道沿いの街「北千住~春日部エリア」:「TOBU」
大枝香取神社。春日部市大枝の神社 :「猫の足あと」
妻沼聖天 歓喜院聖天堂 :「熊谷市」 
歓喜院聖天堂 動画 :「NHK」 
栗橋宿  :ウィキペディア
中田宿  :ウィキペディア
日光街道のど真ん中!“あい”の榎 :「とちぎ旅ネット」
間々田宿 :「関東、歴史旅行情報」
宇都宮宿 :ウィキペディア

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


この読後印象記を書き始めた以降に著者の作品を読み、書き込んだのは次の作品です。
こちらもお読みいただけるとうれしいかぎりです。
『月と日の后』  PHP
『剣樹抄』  文藝春秋
『破蕾』  講談社
『光圀伝』 角川書店
『はなとゆめ』  角川書店

『決戦! 大坂城』 葉室・木下・富樫・乾・天野・冲方・伊東  講談社