遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『ゲバラ漂流 ポーラー・スター』  海堂 尊  文藝春秋

2020-11-05 16:51:02 | レビュー
 2016年10月に『ポーラースター ゲバラ覚醒』を読んだ。その時の読後印象記を拙ブログに載せている。そのときの印象記に、
"医師資格を取得し、ブエノス大の医学部を卒業したエルネストは、ペロン政権が医師の軍役義務化を図ろうとする矢先に、アルゼンチンを離れる決断をする。1952年3月末。
 小説の末尾は「ああ、革命の匂いがする。」つまり、本書タイトルにある「ゲバラ覚醒」という起点でこの小説は終結する。たぶん、ゲバラのその後というストーリーの構想が著者にあるのではないだろうか。"
と書いていた。
 本書は『ゲバラ覚醒』の続きになる。前作で著者は、「ピョートルと一緒だったあの時の旅立ちとは何と違うことだろう。間もなくアルゼンチンは女神を永遠に失ってしまう。そんな祖国に未練はない。小さな背嚢を背負って、革命の足音が鳴り響くボリビア行きの列車に乗り込んだ。」という行動描写で小説の結末を導き出した。そして、この『ゲバラ漂流』は、1952年4月、ゲバラがボリビアの首都ラパスに入り、一週間経った時点から始まる。

 奥書を読むと、この『ゲバラ漂流』は、「オール讀物」2016年9月号~2017年7月号と「別冊文藝春秋」327・328号に連載された後に、加筆・修正されて2017年10月に単行本として刊行されていた。『ゲバラ覚醒』を読み終えた時点で、既に『ゲバラ漂流』の連載が始まっていたということを今になって知った次第。

 それはさておき、なぜこの第二作が『ゲバラ漂流』になるのか?
 革命の匂いに覚醒したゲバラが、己の身をボリビアに置き、ボリビア革命の光と影を見聞し実体験を重ねていくところから始まる。南米と中米の各国内に己の身を投じ、つぶさにその国の主要な人物たちと面談する機会を得る。己の意見を述べ、その国の改革運動に邁進する人々との関わりを深める。その国の政治経済状況をつぶさに体感することを通じて、革命に対する己の考えを深耕していくプロセスが描き込まれていく。つまり、このストーリーは、ボリビア⇒ペルー⇒エクアドル⇒(豪華客船:太平洋上)⇒パナマ⇒コスタリカ⇒ニカラグァ⇒グァテマラへとゲバラが渡り歩いていくプロセスである。革命の匂いを追い求め、かつ革命に対するゲバラの考えについて実体験を介在させて進展・深耕させていくための「漂流」というゲバラの体験学習プロセスなのだ。
 1952年4月を起点とし、1554年8月にゲバラがグァテマラシティを去り、メキシコに向かう時を終点としている。南米と中米の諸国を漂流し、政治思想・革命思想を錬磨形成していく自叙伝風小説になっている。ゲバラの足跡という史実を踏まえながら、著者の想像を織り交ぜてダイナミックにかつ濃密に描いているのだろう。「この作品はフィクションです」と奥書にある。

 ここで描かれる波乱多き2年余のストーリーにゲバラの周辺で濃密な関わりを持つ人々をまずご紹介しておこう。
 一人は国際弁護士と称するロホ。彼はゲバラにつきまとうように現れて、ゲバラの漂流の旅にほぼ同行する。ロホはゲバラを「英雄坊や」と呼ぶ。ゲバラにとっては、南米・中米の各国の政治経済史についての蘊蓄をその国に滞留する前もしくは滞留中に概説してくれる有益な情報提供者となる。胡散臭い面を持つロホを疎んじながらも、学ぶところの多い存在としてゲバラは対応していく。ロホはゲバラにとっても読者にとっても、ある意味で芝居の黒子的役割を果たす。このストーリーの時代背景を理解しやすくするために、1940年代及びそれ以前の中南米の歴史情報を提供してくれる教師役になるのだから。さらに、このゲバラ漂流の旅が終わる直前、つまりグァテマラでロホの正体が大凡明らかになる。
 もう一人は、エクアドルのグァヤキルから乗船した豪華客船<フロータ・ブランカ>(白い貴婦人)の船旅が終わる少し前、大晦日・年越しの仮面舞踏会でゲバラが知り合う<リエブレ>(莵)の仮面をつける女性である。このときゲバラは<アルコン>(鷹)のマスクを選んでいる。リエブレは別れる時、グアテマラに住んでいることと主人がユナイテッド・フルーツ社の総支配人だと名乗る。そのリエブレがグァテマラでは、ゲバラに姉のイルダを引き合わせることになる。イルダはグァテマラの労働党の副党首でアマゾネスともいえる活動家である。ゲバラがリエブレと呼びなれた女性の正体も最後に明らかになる。

 ゲバラのこの2年余の漂流は、中南米の現状を実体験により把握し、その実情に見切りをつけて、真の革命の有り様を求めてさらに旅立つプロセスといえる。今まで私は中南米の古代文化の側面は多少知識をえていたが、中南米の政治経済史の実態には無知だった。中南米の1940~50年代の中南米の実態をイメージしやすくなった。

 最後にこのストーリーの構成と読ませどころを簡略にご紹介しておこう。
 各セクションの最初の見開きには、左ページにそのセクションで核になる人物のイラスト画、国旗や国鳥、一方右ページにはストーリーに関係する地図が掲載されている。

<1 ボリビア革命・光>  1952年4月
 ポトシの鉱山医に応募するという行動からカサス参謀と出会い、ボリビア革命の若きカリスマ、レチン委員長と対面するようになる。ボリビア革命のただ中で、ゲバラはカサス参謀に協力していく。そしてボリビア革命の実態に触れる。

<2 ボリビア革命・影>  1952年10月
 ゲバラはCOB視察団の一員としてボリビアの鉱山の実態を見聞する。錫鉱山国有化の調印式に出席する。式典では政権内部の不協和音を実感する。そしてゲバラは感じる。去るべき時だと。
 ゲバラはボリビアと地続きのペルーに、ヒッチハイクでチチカカ湖からラパス入りを計画する。この時点でロホが再び同行すると近づいてくる。ロホはゲバラの行くべき先はグァテマラだと示唆する。ゲバラとロホの奇妙な二人三脚の旅が始まる。
 
<3 ペルー有情>     1952年11月
 トラックに便乗の旅は、ペルーの国土を見聞する過程であり、ロホによるペルーの政治史語りの場にもなる。そして、戒厳令下の独裁政権国家において、コロンビア大使館に亡命し、そのまま幽閉状態にあるアプラ党のビクトル・ラウル・アヤ=デラトーレ党首に会いに行く。その前にロホはアヤの略歴をゲバラにレクチャーする。これは読者にとっても当時の南米とペルーの状況を知る有益な情報になる。

<4 エル・コンドル・パッサ(コンドルはとんでいく)>  1945年8月
 ゲバラとロホはアヤ・デラトーレと面談する。アヤの政治思想と行動を直に聞く機会となる。その結果、「アヤ=デラトーレは貴族だ。彼は革命を身を以て具現化した。だが彼は革命家ではない。それが、ぼくがアヤ=デラトーレに惹かれなかった理由だった」(p173)とゲバラは判断した。その後、ゲバラはアンデス越えで一人、旧友とボランティア活動をしたサンパブロ療養所に向かう。だが、途中で気が変わることに。

<5 白い貴婦人>  1953年1月
 エクアドルのグァヤキルで1ヵ月近く足踏みした後、豪華客船<フロータ・ビアンカ>(白い貴婦人)に乗船しパナマに行くことに。ロホがグァヤキルのゲバラの下宿先に再び現れ、ゲバラがユナイテッド・フルーツ社の豪華客船のオープンチケットを2枚持っていることを思い出させたのだ。この船旅は、ロホによるパナマ地域史の事前レクチャー期間になるとともに、この後リエブレと仮称する女性との出会いが始まる。ゲバラとの間に一種のロマンスが生まれ、その後の重要な関係を築く契機となる。
 パナマの入国管理室で、ゲバラが豪華客船のチケットの入手先を告げた途端に、彼の行き先が決まる。軍用ジープの迎えがあり、米国学校に直行させられる羽目に。

<6 パナマ米国学校>   1953年3月
 ゲバラはパナマにある米国学校に投げ込まれる羽目になる。米国流の強烈な軍事訓練とともにパナマ史や地政学などの講義を受講することに。その期間は全寮制で給料支給だった。ゲバラにとってはアメリカ視点での考え方、反共教育を体験する機会となる。この学校の目的は一種のCIA工作員養成所である。だが、ここで独自の考えと信念を持つトリホス教官との出会いがある。この学校の描写が興味深い。
 ロホはうまく言い逃れて初日に学校とは縁を切り、何処かへ去る。なぜ、逃げ出せたのか?

<7 永世中立国・コスタリカ>  1953年5月
 パナマ西端からチリキ鉄道で、ゲバラはコスタリカに入国する。生まれて初めて中米に足を踏み入れたのだ。そして、そこにロホが再び現れる。ロホは早速、中米の鉄道王、マイナー・クーパー=ケイスについてゲバラに講義する。さらに、ロホは、ゲバラを大統領夫人になる予定のドーニャ・カレンに引き合わせる仲介者となる。
 ドーニャ・カレンを仲介として、ゲバラは<レヒオン・デ・カリベ>(カリブ軍団)の頭脳、<カリブ賢人会>の一員である二人の重要な人物と面識を得る。一人は、ベネズエラの民主行動党(AD)のロムロ・ペタンクール、もう一人はドミニカ共和国のファン・ボッシュ。この二人はアヤ党首がゲバラに会うべき人物として推薦された人々でもあった。

<8 ドーニャ・サロン>   1953年8月
 ゲバラはコスタリカ元首夫人ドーニャ・カレンのサロンに出入りするようになり、そこからコスタリカの政治経済状況や永世中立国になった経緯を学ぶ。このサロンで、ゲバラはペタンクールやボッシュの考えをより深く知るようになる。また、そこはさまざまな人々との交流の機会だった。コスタリカ共産党の創始者マヌエル・モラ=バルベルデ党首にも紹介される。そこからゲバラは中米と米国の関係をより深く知ることができた。
 さらに、ゲバラは自分が武装革命を起こした暁には、軍隊を廃止したコスタリカから、コスタリカ軍の武器を提供してもらうという約束をドーニャ・カレンに取り付けたのだ。この経緯もおもしろい。

<9 ニカラグァの悪鬼>   1953年9月
 コスタリカを後にして、ゲバラはニカラグァ、ホンジュラス、エルサルバドルという独裁者の国を、見聞しながら駆け抜ける。ニカラグァでゲバラは悪徳警官にサファリ時計に目を付けられそれを取り上げられるという顛末譚が語られ、一方それが詩人になる抱負を抱くリゴルト・ロペス=ペレスとの出会いとなり、ニカラグァの実情を知る機会になる。続いてホンジュラスとエルサルバドルの状況の観察が簡略に描写されていく。

<10 グァテマラの春>   1953年11月
 ゲバラは将来の希望をいくつも持っていたそうだ。吟遊詩人、武装革命家、ハンセン病の治療医など。それに加えて、考古学志望者でもあったと著者は描く。グァテマラは古代マヤ文明の地でもあった。ゲバラは楽しみにしてグァテマラに入る。
 ゲバラが入国した時点では、グァテマラの春と呼ばれる民主主義の治世が行われ平和な状況だった。ゲバラは市民病院のパルデス副院長と知り合い、夜間当直医という立場を得る。無給だが住む場所と食事の確保を約束される。ゲバラは昼間は観光地での観光記念写真業に励む。そのゲバラの前に、豪華客船が出会いの場となったリエブレが現れる。
 リエブレは、ゲバラに姉を紹介する。リエブレの姉は、グァテマラ・アブラの副党首であるイルダ・ガデア=アコスタだった。イルダを介して、労働党のファン・パブロ=チャン、通称チノとも知り合う。それはゲバラが労働党とアブラ党の活動を手伝うという切っ掛けになる。

<11 ハリケーン前夜>  1954年2月
 イルダたちの活動を手伝うことで、ゲバラは前大統領ファン・アレバロ=ペルメホと出会う機会を得る。それはアレバロの政治思想を知る機会となり、現アルベンス大統領の体制及びその問題点を知る契機にもなっていく。また、ロホはアレバロの考えを引き出す役回りも果たす。そこから今まで民主的に築かれてきたグァテマラの政治経済の体制が脅かされる前夜の予兆が見え始める。アルベンス大統領の反米意識の表明は米国の反撃・介入という脅威に繋がって行く。ロホはグァテマラに見切りとつけ米国に逃げると言う。
 サンホセ・ピヌラという小村にオロスコ神父が創設した「子どもの要塞」と称され、道を踏み外した子どもたちのための更正施設がある。そんな状況下であるが、ゲバラはイベラと共に週末になると「子どもの要塞」に訪問する行動を始めて行く。
 
<12 グアテマラ1954>  1954年6月
 アルベンス大統領の体制が崩壊していくプロセスが描かれて行く。そこに米国がどのように関わっているかが描き込まれていく。
 ゲバラがイルダやチノに協力した努力が霧消する。民主主義が破壊された現場を目撃することになる。一方、ロホやリエブレの正体を知ることに。
 
 ゲバラにとって、南米および中米での漂流は、現実をまざまざと知り、挫折に終わる体験の場となった。だが、それは次のステージへの踏み石になったのだろう。読者にとっては、このストーリーを通じて、南米及び中米の歴史、及び米国との関係史を学ぶという副産物を得ることができる。南米・中南米との距離感が少し縮まるのではないだろうか。

 ご一読ありがとうございます。

「遊心逍遙記」として読後印象を掲載し始めた以降に読んだ印象記のリストです。
出版年次の新旧は前後しています。
『フィデル出陣 ポーラースター』   文藝春秋
『氷獄』  角川書店
『ポーラースター ゲバラ覚醒』  文藝春秋
『スカラムーシュ・ムーン』  新潮社
『アクアマリンの神殿』  角川書店
『ガンコロリン』    新潮社
『カレイドスコープの箱庭』  宝島社
『スリジェセンター 1991』  講談社
『輝天炎上』 角川書店
『螺鈿迷宮』 角川書店
『ケルベロスの肖像』   宝島社
『玉村警部補の災難』   宝島社
『ナニワ・モンスター』 新潮社  
『モルフェウスの領域』 角川書店
『極北ラプソディ』  朝日新聞出版