遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『血の日本史』 安部龍太郎 新潮文庫

2019-08-14 22:04:39 | レビュー
 どこの国であっても現実の歴史は闘争の繰り返しとその累積の結果である。権力争いにより血塗られた側面を含んでいる。かつて学生時代に「禅譲」という言葉を学んだ記憶がある。しかし、その理想的な姿は多分現実の歴史にはなかったのではないか。日本の歴史もまた血が流される繰り返し、累積の結果として現在に至っている。著者は日本史の中で血の流された政治的な史実を主体にしながら、社会文化的な事象も抜き出して、或る時代のある局面での出来事を短編小説で描き出すという作業を繰り返した。一方、社会文化的な事象の中での血塗られた出来事もいくつか取り上げられている。だから、タイトルは「血の日本史」である。

 まず、目次が面白い。西暦で年次を表記した日本史年表の形をとり、そこに短編小説のタイトルが並んでいく。目次という形の中で書き出された史実は「57 倭奴国、光武帝より金印を賜る」を始めとして、「1889 大日本帝国憲法発布」で終わる。
 その年表の間に、短編小説のタイトルが時系列で嵌まっていく。なんと、46の短編小説で、血が流された歴史的経緯の出来事を描く。勿論それは、著者がここを描いてみたい、解釈してみたいという意欲を感じた出来事だろう。記録に残る事実の空隙を想像と創作力、歴史解釈でフィクションを加えて、ビビッドに描き出している。

 最初の短編を事例として取り上げよう。まず目次は次のように時系列の史実の間に、短編小説のタイトルが挟み込まれるというスタイルである。
   527 筑紫国造・磐井、征新羅軍を阻み叛乱 
        ≪ 大和に異議あり
   562 任那の日本府滅ぶ
そして、本編に入ると、短編小説「大和に異議あり」というタイトルの次の行に、
   527年(継体21)、筑紫国造磐井、火・豊二国に拠りて叛乱を起こす(紀・記)
と日本史年表に記される史実的表記が段落としで二行で書き込まれている。そして14ページの歴史短編小説が描き出される。雄略天皇を尊崇してきた筑紫国造磐井が、雄略天皇の皇統を断ち、継体を傀儡天皇として祭り上げている大伴金村と対立する確執を描く。その背景には、朝鮮半島の西南端にある任那問題と半島における百済・新羅の政争、継体天皇の新羅征討方針が絡んでいた。雄略側で継体側に異議を唱える筑紫国造磐井にとり、筑紫国の存亡問題となる。この政治闘争の局面を切り取って著者は描出している。日本書紀に記されている内容とかなり解釈が異なるところがおもしろい。まず継体天皇の6年冬12月の条、同21年夏6月3日の条から22年12月の条あたりの記述と対比することをお薦めする。

 手許に学習参考書『新選日本史図表』(平成3年2月改訂15版、第一学習社)がある。一例として、この書に古墳時代・継体天皇の時期に政治・外交として抽出されている記述は次の項目がすべてである。転記する。
   507 大伴金村、男大迹(オホド)王を越前より迎え、天皇の位につける。(継体天皇)
      (書記)
   512 百済の要請により、金村、加羅(任那)4県を割譲する(書記)
         内政の動揺
   527 筑紫国造磐井の乱(加羅復興に向かう近江臣毛野軍を阻む)
   528 物部麁鹿毛(モノノベノアラカゲ)が磐井の乱平定

 著者の視点の置き方への興味深さとともに、年表に記載された出来事をどのように理解するか、歴史的事実の認識の仕方を広げるうえで役に立つ。事実の空隙を埋めるフィクションを加えた著者の解釈を介してということになるが、歴史的事実をどのように読み解くことができるかを考えるうえで、様々な示唆に富む短編小説集である。

 この短編小説集のタイトルと登場する主人公の名前を列挙しておこう。その大半は血を流した側の人物である。
   大和に異議あり(筑紫国造磐井)、  蘇我氏滅亡-前編(片岡女王)
   蘇我氏滅亡-後編(蘇我入鹿・蝦夷) 長屋王の変(長屋王)
   応天門放火(大宅首鷹取)      鉄身伝説(平将門)
   北上燃ゆ(安倍貞任)        陸奥の黄金(清原清衡)
   比叡おろし(藤原泰盛)       鎮西八郎見参(鎮西八郎為朝)
   六波羅の皇子(藤原信頼)      鬼界ガ島(俊寛)
   木曽の駒王(木曽義仲)       奥州征伐(藤原泰衡) 
   八幡宮雪の石階(源実朝)      王城落つ(後鳥羽院)
   異敵襲来(安藤弥四郎)       大峰山奇談-前編(護良親王)
   大峰山奇談-後編(護良親王)    霧に散る(高師直)
   山門炎上(足利義教)        道灌暗殺(太田道灌)
   末世の道者(大内義隆)       松永弾正(松永久秀)
   余が神である(織田信長)      沈黙の利休(千利休)
   性(茶々)             姦淫(帥局礼子)
   大坂落城(豊臣秀頼)        忠長を斬れ(徳川忠長)
   浪人弾圧(長井半四郎)       男伊達(幡随院長兵衛)
   雛形忠臣蔵(奥平伝蔵)       お七狂乱(八百屋お七)
   団十郎横死(初代市川団十郎)    絵島流刑(大奥老女絵島)
   加賀騒動-前編(天童敬一郎)    加賀騒動-後編(天童敬一郎)
   世直し大明神(田沼意次)      外記乱心(松平外記)
   大塩平八郎の乱(大塩平八郎)    銭屋丸難破(銭屋五兵衛)
   寺田屋騒動(有馬新七)       孝明天皇の死(岩倉具視)
   龍馬暗殺(坂本龍馬)        俺たちの維新(大久保利通)

 著者略歴を読むと、この『血の日本史』は著者・安部龍太郎のデビュー作だという。
 作家・安部龍太郎の原点を知るうえでも有益な一書だと思う。

 ご一読ありがとうございます。

著者の作品で以下の読後印象記を書いています。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『信長はなぜ葬られたのか』  幻冬舎新書
『平城京』  角川書店
『等伯』 日本経済新聞出版社