遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『平成26年度 60 代表作時代小説 時を超える熱き思い、絆と志』 日本文藝家協会編 光文社

2019-04-07 10:13:28 | レビュー
 私が「代表作時代小説」を読むのはこれがまだ2冊目なのだが、このシリーズ自体はこれで60巻目を迎えるという。ここに選ばれている短編は、「前年に発売された文芸誌に掲載された新作の短編から選んでいます」(「まえがき」)という。文芸誌に掲載された新作は「1年間で総数は270編ほど」(同上)になるという。この平成26年度版の編集委員は安西篤子・未國善己・竹田真砂子・縄田一男の4人である。興味深いことに、編集者の内の一人の作品も含まれている。
 今回のサブタイトルは「時を超える熱き思い、絆と志」である。「まえがき」の著者が、文中に「アンソロジーの妙味とは、いろいろな個性のぶつかり合いを一度に堪能できること、と思うようになりました」と記している。まさにそうだなと感じる。
 以下、各短編の印象記などをご紹介する。

「はで彦」 奥山景布子
 常磐津亀文字の心意気と心がけ、芸事を教える人々のつながりが描かれる。松浦流の踊りの師匠乙彦は、見た目からはで彦と呼ばれている。そのはで彦が踊りの会を行う。長唄の音四郎・お久兄妹とともにその番付での唄方を亀文字は頼まれる。亀文字が瀬戸物問屋の隠居・卯兵衛の後妻になった経緯や萩野鶴之助の名で役者をしていたがある事件で唄方に転じた背景話、卯兵衛の思いなどを織り交ぜられる。「何があっても芸は乱すな。それがほんとの玄人ってもんだ」の心がけと、思い切り踊らせてやろうという心意気で締めくくる。

「約束」  宮本紀子
 紙屑買いを生業とし、少し頭の回りの遅い彦一は手習い所で初めて会った大店「坂井屋」の一人娘お路へ一途な思いを抱き続ける。その思いが生み出す哀しい結末への過程が描かれる。切なさが残る。
 「坂井屋」が商いにつまづき潰れる。お路は吉原に売られ女郎となっていた。幼な友達の源蔵に尋ねて知らされた彦一は、吉原に行き花風と名乗るお路に会う。お路から身請け百両と聞かされる。お路への約束を果たそうとし、純粋な思いは変わらぬままに偶然から悪の道に入り込んでいく。彦一は気づかぬままに、翻弄される羽目になる。

「玉手箱」 竹田真砂子
 国学者添田儀舟に入門し内弟子となった諸橋清乃の物語である。こんな生き方が半ば公然と許容された時代もあったかという印象が残る。入門して3年経ち、淸乃は先生から告白され、20歳の初夏に、奥方らしきもの、つまり側女になる。先生と妻・甲との最初の男の子は赤子の内に死に、数年後に生まれた女の子は病がち。そこで祟り・悪業の噂が立つ。その結果、甲は別宅住まいとなっていた。
 側女の立場を受け入れた淸乃の眼から眺めた周囲の状況、己の父と先生の対比の思いなども語られる。「先生はずるい」と思いながらも、胸の内をぶちまけられない己を客観的に見つめている淸乃が描かれる。最後の結果がおもしろい。

「天草の賦」 葉室 麟
 「黒田騒動」で家老栗山大膳から訴えられて、誹謗の対象となった二代目福岡藩主黒田忠之は、寛永14年(1637)冬の島原の乱で、汚名返上をしようと意気込む。少し興味深い仮説を盛り込んだ結末がおもしろい。
 忠之が島原の陣中に到着した後、倉八十太夫が陣借りしたいと参上する。その時、浦姫の生まれ変わりと称する女・万を伴ってくる。その万が忠之に途轍もない願い事をする。そして、万は己の過去を語る。話を聞いた忠之は不敵な決断をすることに・・・・・。検証できない史実の闇の部分が巧みにフィクション化されている。

「小才子(こざいし)」 伊東 潤
 父信勝を信長に殺された信澄は信長に最も忠実な家臣として働きながら、信長を打倒し己が天下人になる策を練る。信長の殺された本能寺の変は、信澄が黒幕というストーリーである。ありえるかも・・・と思わせるおもしろい設定になっている。
 信長は弟の信勝を殺した。「小才子は理だけですべてを考える。この世は理だけではない。それが分かっておれば、信勝は死なずに済んだのだ」と。
 大溝城は、信澄の願いを聞き入れ、義父となる明智光秀が縄張りをした。信澄は大溝城に光秀を招き、ささやかな竣工の宴を催す。その席に信澄は隣国若狭国の丹羽長秀を呼ぶ。丹羽長秀とは予め合意が出来ていた。そして、光秀に謀反の話を持ちかける。光秀は拒否できぬ状況に陥る。本能寺の変が興される。結果的に信澄も小才子と呼ばれる立場に・・・・。

「密使の太刀」 犬飼六岐
 摂津国渡辺は源綱を家祖とする渡辺党の本拠地である。久しぶりに故郷に戻った渡辺城四郎は岩根敬之進と再会した後、渡辺分家である父の館に赴く。そして、父から将軍義昭からの進物として木下藤吉郎に名刀「鬼丸」を届けよと命じられる。義昭の追放を考える信長に対するとりなしを頼む為という。条四郎は仕方なく命令通り陸路で京へ向かう。
 この短編、進物する刀を運ぶやり方に、父の深慮企みがあったことと、条四郎が道中で騙されて刀をとられそれを追跡する立場になり、事態が紆余曲折し始める中に、岩根敬之進も関わっていたという面白さにある。結果として、二人は木下藤吉郎にではなく信長に会う羽目になる。

「鳴鶴」 澤田瞳子
『若冲』というタイトルで2015年4月に出版された時代長編の冒頭にこの短編が組み込まれている。一部対比してみると、若冲の連作発表がまとめられて長編となった際に、この短編にも加除修正の推敲がさらに加えられていることがわかる。『若冲』を既に読み、印象記をご紹介している。そちらをお読みいただければうれしい。

「昼とんび」 村木 嵐
 昼とんびとは掏摸(すり)のことをさすそうだ。雑司ヶ谷の不動尊そばの長屋に住む辰次と4つ年下のお道そしてしるべ石に関わる短編である。辰次は岡っ引きになり、お道は昼とんびになる。しるべ石にお道が貼り付けた「神田鍛冶町、志津」というしるべ紙がお道を昼とんびから脱却させて行く契機になる。最後の花嫁行列を見物する場面で辰次がお道に言う。「おめえはしるべ石になってやれ」と。そして、終わり方が実にいい。

「医は仁術なり」 仁木耕一郎
 信州諏訪の東掘村に住む長田徳本の物語。医者の鑑のような生き様が爽快である。
 徳本は武田信玄が信頼した医者であり、侍医の板坂卜斎からも頼りにされている。信玄の晩年における関わりを軸に、三河から来て弟子となった源太郎に嫌疑がかかる事件を主体にストーリーが展開する。信玄の死後、8年後、武田勝頼が敗れ、織田勢が乗り込んでくるとき、「医の道は、命の道に通ず。ずっと続いておる」と弟子たちや家人と共に諏訪を出て行くまでが描かれる。徳本は湿布薬トクホンの由来となった人だという。

「夏の日」 青山文平
 懊悩する名主の生き様と最後に接した武士が己の弱さから脱却し、希有な胆力の持ち主と評価されるまでに成長する。人を変える心の動きが、様々に描き込まれているところが読ませどころといえる。
 22歳で中西派一刀流の目録を許されている書院番士の西島雅之は先任番士の苛めに遭い、引き籠もりに陥る。欠番届けを出し、知行地の名主、落合久兵衛を顕彰するという名目で夏に、上野国西原郡下久松村の名主落合家に逗留する。そこで小前百姓の利助に関わる事件が発生する。事件の経緯を雅之は見届ける立場なる。雅之は久兵衛の自刃を介助しその首を刎ねる結末に・・・・。だがその夏の日の事件が雅之を立ち直らせる契機となる。

「義元の呪縛」 天野純希
 還俗した男が、兄・玄広恵探と戦い滅ぼした後、駿河・遠江・三河の三国を領し、”海道一の弓取り”と呼ばれる。今川義元である。妙心寺での兄弟子だった太原雪斎が、義元の軍師として進言し活躍する。京を目指すのは亡き雪斎の果たせなかった夢である。戦国の世で生き残るためには領土を広げることが必須。雪斎亡き後、義元が織田信長を倒すための周到な策を練り信長打倒を目指し桶狭間に進出し敗れるまでを描く。
 雪斎に学び雪斎の敷いた道を歩むという呪縛から抜け出せなかった義元と、雪斎の思考を独自に学び、それを超えた独自の思考をする信長の対比を鮮やかに描いている。

「人生胸算用」 稲葉 稔
 小名浜生まれの小森辰馬は、読み書きを習った長雲和尚の勧めもあり、大名に頭を下げさせられるほどの大商人になる志を立て、江戸に出る。長雲和尚の友である江戸浅草の浄念寺の照源という住職を介して、穀物問屋石和屋を訪ねる。奉公人となるためである。
 辰馬が石和屋の奉公人として馴染み、受け入れられるまでを描く。その梃子となる事件が起こる。鼈甲細工屋に痩せた浪人が押し入り強盗をする事件が起こったおり、石和屋の娘お民の行方がわからなくなり大騒動になるのだ。その顛末がこの短編の山場となる。

「ぎゃまん身の上物語」 北原亞以子
 2014年2月に著者の単行本『きやまん物語』が出版された。2013年に著者が急逝する1週間前にmこの短編を記したと本書「あとがき」に記されている。また現時点で、『ぎやまん物語』、『あこがれ 続・ぎやまん物語』という2分冊で未収録作品を加え、文庫本化されている。だが、この短編はこれら文庫本にも現時点では収録されていない。
 イエズス会の宣教師が内密で作らせた手鏡を、二人の女の喧嘩が元で、宣教師の手許にとどまり、宣教師が来日した折り、これを役立てようとする。ノブナガに献上のつもりが、ノブナガは既に斃されていて、ヒデヨシに献上されることになり、それを古女房オネが預り、コウゾウズを介してオゴウの許に渡る経緯が鏡(私)を主体にして綴られている。これが文庫本の2分冊とどうつながっているのか・・・・。読む楽しみができた。

「頼越人(よりこしにん)」 小松エメル
 「頼越人とは、切腹した隊士の埋葬を依頼し、全てが滞りなく終了するまで見守る役目である」(p304)という。新選組を意外な視点から取り上げた短編だ。酒井兵庫は新選組に入隊し、総長山南敬助の助言でまず副長土方歳三勘定方に任ぜられ、後に頼越人を担当するようになった。その山南が処断された後に兵庫が頼越人を務めるという場面から書き出され、兵庫が入隊後に見た新選組の内情が描かれて行くことになる。山南と接した兵庫の眼に映じた山南の実像、池田屋事件、西本願寺北集会所への移転、公金を着服した同僚河合の切腹、山南の墓に語りかける藤堂の姿など・・・・。新選組という組織の一時期の実情が内部の目線から描かれていて興味深い。最後に兵庫の決意で締めくくられる。

「水戸黄門 天下の副編集長」 月村了衛
 徳川光圀は彰考館という『国史』編纂組織を設立し、『大日本史』という歴史書を世に残した。その業績は一方で水戸藩の財政を逼迫させる原因にもなった。各地の学者に執筆依頼した多くの原稿が締め切り期限内に提出がされず、その編纂が遅延しているところにも一因がある。業を煮やした光圀が、自ら副編集長と位置づけ、執筆依頼者の自宅まで原稿の取り立てに出向くというストーリーである。映画にもなった水戸黄門漫遊記ものの目的志向型翻案版といえようか。
 この短編は下田の錫之原銅石の自宅に原稿取り立てに向かうというストーリー。光圀は書物問屋のご隠居、彰考館総裁の安積澹泊覚兵衛と国史編纂委員の一人で元妙心寺の僧だった佐々介三郎宗淳が従者となる。所謂スケさん、カクさんである。そして、光圀配下の甲賀者お吟が加わり、伊賀者・風車の男が助っ人に加わる。実は公儀の隠密。
 町人一行に化けた珍道中と原稿遅延には今江戸で人気のある羽衣庵乙姫作『夢現桃色枕』という艶本が絡んでいたという展開が大いに楽しめる。いわば、漫遊記の換骨奪胎版。
「二代目」  東郷 隆
 千代田区麹町3,4丁目(旧6丁目)から今の市ヶ谷あたりへ抜ける道が地獄谷と呼ばれ、麹町が小路町と称された慶長8年(1603)年の話である。家康が征夷大将軍に補任され、江戸が建設ラッシュに沸き立つ時期のこと。地獄谷の番小屋に住み込む伊賀者惣十が主人公である。麻布村の善福寺で簑市が立った日に、顔見知りになった酒屋がもがり者3人から難癖を付けられているので、総十が助けに入り尋常の勝負に持ち込み3人を成敗するところから始まる。翌日、惣十は呼び出されて服部石州屋敷に出向く。そこで二代目服部正就に婿引出物として賜った関孫六兼元二代目作の大業物の試し切りをする機会づくりを命じられる。辻斬りは良くある話。惣十の手引きでそれ首尾良く行ったが、そこに問題が内在した。さらに、正就の横暴さが「伊賀者一揆」を引き起こす。そのおり、惣十が自ら「一揆大将」を引き受ける顛末となる。さらに、服部正就の改易に至る。江戸時代初期の伊賀者史にもなっている。点的史実を踏まえたフィクションとして、興味深い。

「紀尾井坂の残照」 谷津矢車
 明治11年。未だ罪人を斬首していたそうだ。『囚獄掛斬役』(首切御用)を務めたのは山田朝右衛門家。江戸府内で知られた首切り朝右衛門の弟、25歳の山田吉亮と罪人の話である。その夏の日、吉亮は既に5人を斬っていた。四半刻前に斬首したのが島田一郎。そして、最後の一人、浅井寿篤と名乗る罪人を斬首する場面がメインストーリーになる。若く、ひどくうつろな目で、夢の中を泳いでいる、そんな表情だった。淺井は吉亮と同じ25歳だと言う。清らかな風すら感じる男。山田家には”死者の声を聴け”という家訓があるという。そこで、吉亮は淺井としばし対話する。淺井は島田一郎に付き従っただけで、誰を斬ったために斬首となるのかすら知らないという。その誰?を知りたいという点から回想が始まる。そして、吉亮は最後にその名を告げる。吉亮はそのとき、三代目が言い残した家訓の意味を知る。末尾に記された吉亮の独白が印象深い。
 「あなたの言葉、確かに心に刻みました。」
 「俺もまた、時代の波に磨り潰されてしまう日が来るのだろうか」

ご一読ありがとうございます。

本書に関連した史実事項を関心の波紋からネット検索した。一覧にしておきたい。
永田徳本  :「コトバンク」
甲斐国長田徳本翁与蔵司書 / 長田徳本 [撰] :「早稲田大学図書館」
今川義元  :コトバンク」
本当は強かった今川義元  :「ユカリノ」
大日本史  :ウィキペディア
徳川光圀は、なぜ『大日本史』を編纂したのか :「WEB歴史街道」
徳川光圀画像 :「文化遺産オンライン」
山田浅右衛門  :ウィキペディア
山田浅右衛門一覧  :「つるぎの屋」
江戸時代の死刑-山田浅右衛門家の話  :「裏辺研究所」

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

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こおちらもお読みいただけるとうれしいです。
『平成22年度 代表作時代小説 凜とした生きざま、惚れ惚れと』 
                     日本文藝家協会編  光文社