遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『機巧のイヴ』  乾 緑郎  新潮文庫

2017-10-19 17:07:52 | レビュー
 江戸時代に精巧な「からくり」の人形が作られたという。写真はいくつか見ているが、そのからくり人形が動いている実物を実際に目の前で見たたことはない。現代において、近年人型のロボットが作られ始めている。人体の部位の機能に似せた部分的な機能ロボットで、人間以上の能力を持たせたものは出現しているが、人型ロボットで人間と同じ水準になることは、まだまだかなり先の時代における次元の話だろう。未来において、クローン技術の方が先行するのかもしれない気すらする。

 こんな思いを冒頭に記したのは、この小説が実に奇怪な設定になっていることである。時代は江戸時代あたりと思える。ならば歴史的には非現実的な想定である。「幕府精錬法手伝 釘宮久蔵」という主な登場人物の設定が時代を匂わせる。一方、彼が扱っているのは「機巧」である。「からくり」の技術力を最極限まで修得し、極大レベルの精度の人工部品あるいは天然素材の加工から「機巧人形(オートマタ)」を造り出す。それは「機巧人形」というより一種の人造人間」次元の人形である。現在のロボット技術ですら足元にも及ばない「機巧人形」を登場人物としている。それが自ら考える能力を持つ伊武(イヴ)と称される人形である。この組み合わせは、まさに伝奇的である。SF発想+伝奇的発想+異時代発想をミックスしたバーチャル世界の物語。よくぞ、こんな妄想・幻想・空想を思いつき描き出せるなと感歎する。勿論それの下敷きになる題材、アナロジーのタネはあるのだろう。とにかくおもしろいストーリーである。

 この小説は、5つの短編から構成されたオムニバス形式の作品と言える。
まず、全体図をご紹介しておこう。2つの対立構図が設定されている。地理的には抽象化されているが、御公儀、幕府は、天府城とその城下町にあり、一方で天帝陵が存在したところに御所が作られ、そこに天帝家が存在する。幕府は天帝家を将来継承するに人を送り込み、天帝家を幕府の支配下に置こうと考えているというもの。これは江戸時代の徳川幕府と京都の朝廷・天皇家との併存、対立がアナロジーとして下敷きにあると思う。構図から先は伝奇的設定である。天帝は代々女性が継承するしきたりである。現在の天子には兄の比留比古親王が居て、日常はこの親王が政務と代行する。妹が天帝となった。だがそこには、大きな秘密があった。この妹が出産されるとすぐに母が死に、生まれた子も程なく亡くなってしまう。継承者の断絶を極秘にして、機巧人形を造り出したのである。赤ん坊の形の人形から順次人形も造り替えて生長させていくという離れ業を積み重ねてきたという次第。それを行ってきたのが比嘉恵庵だった。そして、その比嘉恵庵が伊武を造り出したのである。そこにも一つの秘密があった。
 比嘉恵庵は、釘宮久蔵の師でもあった。釘宮はもとは「からくり人形」を造る職人だった。それが幕府側の公儀隠密の手先となり比嘉の工房に弟子入りする。その力量を比嘉から認められ、技術を修得していく。だが、比嘉が幕府を転覆する計画を画策した段階で、「やらせ訴人」となる。だが、比嘉はそのことを見抜いていた。しかし、結果的に比嘉の計画は失敗し、捕まり処刑されてしまう。その結果、「幕府精錬法手伝 釘宮久蔵」が誕生することになる。一方で、天帝をメンテナンスできる者が居なくなったことで、天帝は窮地に陥る形となる。また、機巧人形伊武を比嘉から引き継いだ釘宮久蔵は、イヴのメンテナンスを通じて、機巧人形の構造を熟知していく。
 こんな状況を踏まえて、5つの連作が織りなされていく。まさに幻想怪奇な小説である。それぞれの短編について少し触れておこう。

<機巧のイヴ>
 仁左衛門が主人公である。彼は御上覧の闘蟋会で対戦相手の蟋蟀が八百長であると見抜き、相手方の蟋蟀を切る。それは機巧人形だった。そのことで、藩主から蟋蟀と養盆を賜る。仁左衛門はこの蟋蟀と養盆をひそかに売った代金で、十三層という遊郭で気に入っている遊女羽鳥を身請けしようと考えて居る。国許に妻子の居る仁左衛門は、羽鳥とそっくりの機巧人形を作成し、それを手元に置き、羽鳥を身請け後に自由の身にしてやろうと考えて居る。久蔵は機巧人形の制作に合意する。そして仁左衛門がその段取りを立て、実行していく。羽鳥の身請けには成功するが、その後仁左衛門の考えが破綻に到るプロセスを描いていく。羽鳥は機巧人形の伊武と瓜二つだった。それと併せて、仁左衛門にも彼自身の知らない秘密があったのだ。話はあちらこちらでどんでん返しを重ねていくという不可思議な構成となっているところがおもしろい。読者の頭が一瞬混乱する展開となる。

<箱の中のヘラクレス>
 背中一面に長須鯨の刺青を彫り込んだ天徳鯨右衞門という相撲取りが主人公である。普段は湯屋の下働きで三助をしている。彼は褄取りの掛け手を特異とする。だが、本人の関わらない形で錦絵に描かれそれが評判にもなっている。その天徳が蓮根稲荷の勧進相撲で鬼鹿毛が取組相手となる。長吉という地の親分から負ける八百長試合をするように迫られるが、天徳はつい勝負に勝ってしまう。天徳を伊武が好いていたことから、天徳が久蔵の助けを得て、機巧の手を得ることから、悲喜劇が始まるというストーリー。そして、天徳の人間的部分は箱の中に入るという経緯が描かれて行く。このプロセスが読ませどころである。天徳がヘラクレスに例えられている。

<神代のテセウス>
 幕府懸硯(かけすずり)方の柿田淡路守から呼ばれた甚内という隠密は、貝太鼓役の芳賀家から詮議無用で1,500両の公金を精練方に流す下知が出ていることに対して、内偵するよう命じられる。精練方手伝の釘宮久蔵が金の流れの隠れ蓑ではないかという疑いである。甚内は中州観音堂でお百度を踏む伊武を監視する。かつて比嘉恵庵の許に居た松吉を見つけだし、恵庵が「神代の神器」を調べていたこと、「其機巧巧之如何を了知する能わず」と言っていたという情報を得る。伊武と話す機会を得た甚内は、逆に伊武から見当違いのことで動いているようだと言われることになる。松吉から得た書を探索することから、甚内は天帝の秘密を理解する事になる。さらに、松吉、久蔵、伊武の隠された事実を知ることになる。
 この短編、起承転結に例えるなら、機巧人形を造るということに関しての転換点を押さえる役割を果たしていることになる。テセウスとは、調べてみると、ギリシャ神話に登場する伝説的なアテナイの王であり、ミノタウロスを退治する国民的な英雄を意味する。
 天帝陵の関わりが明らかになる短編でもある。どうかかわるのかは読んでのお楽しみ。
<制外のジェペット>
 天帝は日頃、帳内(とばりのうち)の娘数名と接するだけである。御所に仕える他の人々は幾段階化に区画された活動領域の制約の中に居る。つまり、天帝と接することはない。
 比嘉恵庵なき今、天帝をメンテナンスできる者がいない。つまり天帝は娘のままで造り替えられないし、メンテナンスもできないために問題が生じつつあった。天帝が機巧人形であるという事実は絶対的秘密として注意深く維持されてきた。
 舎人寮に住み、帳内の娘の一人である春日は、天帝が機巧人形であることを天帝から知らされる立場となる。天帝はもうすぐ己の機巧が動きを止めると春日に告げる。そしてそれを知らされたことから春日は一層天帝の秘密と天帝自体を守る任務に邁進していく。春日が主な登場人物の一人となる。
 比留比古親王は30年前の遷宮においてその費用を公儀から借りていた。その経緯から将軍家の娘を妃に迎えた。そして、帝家待望の女児が生まれたのである。建前は女子である天帝の腹から生まれた女子のみが天帝の血筋として世襲を継承することになる。つまり、紛糾の原因が生まれたことになる。現在の天帝が機巧人形であると知る将軍家は如何なる行動に出るのか。幕府の隠密の甚内も主な登場人物として、御所側の動きを探る。そして、近く天帝近くに仕える官職を終えて御所を出る者が居ること知り、甚内は確たる証拠を入手する画策を図る。
 話は意外な方向に展開していく。ストーリーの組み立てがおもしろい。
 ジェペットはピノキオの冒険に出てくるおじいさんを意味し、ここで象徴的にその名を使っているのだろうか。ジェペットじいさんは丸太からピノキオを彫りだした人である。
<終天のプシュケー>
 天帝の崩御が公にされた後、比留比古親王の娘、つまり将軍の娘が産んだ女の子が天帝を継承することになっていく。このストーリーは、天帝陵が暴かれて、奥深く安置されていた鉄の厨子を取り出してそれを開けようとする工事の場面から始まる。取り出し作業で事故が起こるが、結果的に厨子の蓋が開きやすくなる。梅川喜八が覗くと、一匹の蟋蟀が隙間から飛び出してきた。喜八はそれを捕まえる。そして、その蟋蟀は後に、闘蟋会に御公儀の闘蟋「鳶梅」として登場することになっていく。
 天帝陵から掘り出された「神代の神器」のために釘宮久蔵は御公儀から呼び出しを受けるという事態に進展していく。久蔵は目指していたものに辿り着けた喜びの一方で、苦難に直面していく。神代に造られた人型の機巧人形を検分して動くようにせよと命じられるのだ。
 一方、甚内は公儀隠密の立場から放り出されてしまっていた。一介の町人であり、殺されなかっただけが儲けものだった。そして、久蔵の許で機巧について学び始めていた。
 このストーリーでは、闘蟋会の進展状況が克明に描き込まれていく。一方で神代の神器の経緯が書き込まれていく。天府城に呼び出された久蔵の状況を探りに、闘蟋会に紛れて甚内は城内を探索する。そんななかで久蔵の対処から神器が動き出す。
 それがシリアスな騒動を引き起こしていくことになる。そこには鳶梅と名づけられた蟋蟀が重大な関係を持っていた。奇想天外な展開となる。
 天府城から救出された久蔵は甚内に己の技術を伝える最後の場面、天帝の機巧人形の修繕という技術伝承に臨んでいく。
 メンテナンスさえできる体制が整っていれば動き続ける人型の機巧人形と命がいつかは果てていく機巧を修繕できる技術を持った人間のコントラストが最後に鮮明になる。この機巧人形は己自身で考え、心を持っているように見える行動を取っているのだ。両者の間に心が通うのか。それはあくまで錯覚なのか。そんな哲学的な問題を残すかのような場面でストーリーが終わる。甚内が「嫉妬していたのさ。あの腰掛けに」という伊武への言葉が、一つの落ちになっていて、興味深い。末尾の一文は次の通りである。
   甚内の言葉に、伊武が顔を真っ赤にして怒り始めた。
伊武は機巧人形なのだ。このバーチャルな小説の中では、己で考え、心を持つ機巧人形である。この一文、哲学的解釈は様々にできそうな気がする。なんとも奇妙でもあり、伝奇的な時空の世界がここに生み出されてて、おもしろい。
 プシュケーは古代ギリシャの言葉だそうである。もともとは、息を意味し、そこからこころや魂を意味するようになったという。ソクラテスやアリストテレスがプシュヶーを論じているという。ここでも、やはり、命や心、魂の意味で使われているのだろう。機巧人形にプシュケーが存在するのか、である。興味深い未来型テーゼと言えようか。

 ご一読ありがとうございます。

人気ブログランキングへ
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。
 
この作品からの関心事項の波紋をひろげネット検索してみた。一覧にしておきたい。
からくり  :ウィキペディア
からくり  :「コトバンク」
オートマタ :ウィキペディア
からくりの基礎知識   :「九代目玉屋庄兵衛後援会」
からくりって何? ~名古屋のからくり 現代ロボットへの伝承~ 玉屋庄兵衛
テーセウス   :ウィキペディア
ピノキオの冒険 :ウィキペディア
プシュケー   :ウィキペディア
からくり人形 :YouTube
東芝未来科学館 からくり人形の仕組み  :YouTube
茶運(ちゃくみ)人形の機構 :「収蔵資料」
「江戸からくりに学ぶ日本のものづくり力 上の巻」 学生編集委員
茶運び人形  :「はらっく工房」
芸工大生の卒業制作「書き時計」、ネットで話題に :YouTube
宮城大学卒業制作 「からくりを覗く」  :YouTube
歯車は“からくり”の基本  :「TDK Tech Mag」
世界のクールなロボット10選  :YouTube
人工知能ロボットKibiro(キビロ) :YouTube
Palmiが十八番の「恋するフォーチュンクッキー」をダンスする  :YouTube

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)

人気ブログランキングへ
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。

徒然に読んできた作品の印象記に以下のものがあります。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『鬼と三日月 山中鹿之介、参る!』   朝日新聞出版
『完全なる首長竜の日』 宝島社
『忍び秘伝』      朝日新聞出版
『忍び外伝』      朝日新聞出版

『決戦! 大坂城』 葉室・木下・富樫・乾・天野・冲方・伊東  講談社