遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『今ひとたびの、和泉式部』  諸田玲子  集英社

2017-08-05 09:54:10 | レビュー
 この小説は興味深い構成になっている。和泉式部の人生が2つのストーリーの流れでパラレルに展開されていく。一つは、70代後半の赤染衛門が発案し、五条の東洞院大路西にある大江邸に親しき人々が集い蛍を愛でながら和泉式部を忍ぼうと呼びかける宴のストーリーである。その開催された「和泉式部を偲んで蛍を愛でる夕べ」の中で様々に和泉式部の恋と詠んだ歌が話題となる。和泉式部と親しかった人々が和泉式部像を明らかにしていくというものである。亡くなってしまった和泉式部を回想する形で展開する。和泉式部の恋の謎解きと言える。仮にストーリーB(SB)と略す。
 もう一つのストーリーは、和泉式部自身の視点で、式部の人生における変転がほぼ時間軸に沿って語られて行く。自叙伝風伝記小説の形をとる。ただし、主人公の和泉式部は、「わたくし」ではなく、「式部」と客観視した言葉で語られて行く。こちらをストーリーA(SA)と呼ぶ。

 この小説はSBから書き始められる。こちらのストーリーの展開はページの上部に横線が引かれていて、SAとは視覚的にも明瞭に識別できる体裁になっている。ボリューム的には勿論SAが主であり、SBは和泉式部像を解明するための要所に焦点を当てる形になり、時にはSAのストーリーの語られる時点とシンクロナイズしていく。
 SBの「和泉式部を偲んで蛍を愛でる夕べ」には、発案者の赤染衛門、その娘・江侍従とその夫である亮麻呂(藤原兼房)、さらに出席者として式部大輔である長兄・大江挙周、左衛門尉(源頼国)、兼参議(源兼経)が加わる。
 泉殿に集う人々が、夕陽が釣殿のうしろに姿を隠し、蛍の出番までのしばしの間に式部の気配を庭に感じ、誰もがある歌を思い出していく。
   ものおもへば沢のほたるもわが身より
   あくがれいづるたまかとぞ見る         
この歌を、亮麻呂が小声で詠じたことにより、参集者はそろって夢からさめたように江侍従の夫を見た。江侍従もまた式部の気配を感じていたのだ。
 亮麻呂が詠じたことが皮切りとなり、兼参議が亡き兄・道命と式部の関係を追想するところから話が始まって行く。式部の恋の遍歴と式部の歌が話題となっていく。このSBでは、赤染衛門と江侍従がますます和泉式部のことに憑かれたように深く考える契機となり、江侍従がこのSBの語り部となっていく。

 ストーリーの主体であるSAは、和泉式部の父・大江雅致が命令を受け自宅を明け渡し、太皇太后昌子内親王の養生所としたところから書き始められる。父雅致は太皇太后昌子内親王の世話をする大進という役割を担っていたのであるが、太后は病状が悪化し、死期が近づいていたのである。死という汚れを嫌い、御所から遠ざけるという当時の習慣がわかる事例でもある。どこに移すか、そこには藤原道長の意向があったようだ。
 少女の頃から宮中に入り、太后の許で仕えて江式部と当初呼ばれた式部は、この時、和泉国から戻ってきたところで、一刻も早く太后を見舞いたい心境にいたのだ。ところが、先に居た牛車邪魔となる。その牛車の屋形に隠れていて、太后を見舞う前に、酒の酔いをさまそうとしていたのが皇子の一人、弾正宮だった。この弾正宮に式部は顔を見られてしまう。好色な目で式部を眺める弾正宮がその後の式部の人生を変える最初のトリガーとなる。

 このSAは、橘道貞の妻となった時季から始まるが、式部の生い立ちから結婚前の期間の有り様を途中、関連箇所で徐々に回想風に織り込みつつ、その後の人生ははぼ時間軸に沿って、ストーリーが進展して行く。
 この小説を読むまで、華やかな恋の遍歴をした有名な女流歌人で、百人一首にその歌が選ばれている。『和泉式部日記』『和泉式部集』を残す。貴船神社に向かう道の途中に和泉式部の歌碑がある。数カ所に墓碑や供養塔がある。・・・位の知識しかなかった。
 この伝記風小説を読み、著者の見方を介してであるが、私には和泉式部の人生の大凡の経緯が理解できた点は、和泉式部への興味を深める契機となった。

 詳しくはこの小説をお読みいただきたいが、式部の人生ステージは大凡次のような遍歴を経ているようである。

1. 大江雅致の娘として生まれる。父の実家大江邸で生まれ育つ。大江匡衡・赤染衛門の大江邸で薫陶を受ける。和歌の手ほどきなどもここで学ぶ。大江家には、挙周、江侍従という子供がいた。
2. 少女時代に宮中に入り、太后の許に仕える。少女時代には御許丸と呼ばれ、後に江式部と呼ばれる。
  少女時代には、御所で冷泉上皇の皇子、為尊親王(後の弾正宮)と遊んだ時もある。また、太后に仕える時期に淡い恋や戯れの恋をし、歌を詠む。
3. 橘道貞の正妻となる。道貞はもとは父・雅致の部下で少進。その後、国守を歴任。
  道貞は、藤原道長が評価する有能な部下となり出世をはかっていく。
  橘家を継承した道貞には財産があった。いずれ国守となる力量の男と雅致は評価。
  財力があり安定した生活の男に娘を嫁がせるという父の思い・たくらみを式部は受け入れる。そして小式部を生む。「道貞の妻」として、大凡は満ち足りた人生を送り始める。道貞の任地「和泉国」で過ごす。何事もなければ、式部は別の人生を送っていた可能性がある。
4. 弾正宮が仕掛けた恋の罠に式部が捕らわれる。それが経緯となり、橘道貞は離れていく。だが、式部はそのとき、懐妊していた。その子は道貞の子と式部は断言しても、周囲は噂で動く。
 弾正宮の庇護の許での熱烈な生活に入る。だが、それもいつしか宮が足遠となる。
 弾正宮の死。行年26歳。
5. 弾正宮の弟、帥宮との恋。帥宮の南院での生活。
  帥宮との間に男児を産む。帥宮の死。行年27歳。

6.『和泉式部物語』を書き下ろし、それを持参で、宮中に出仕。彰子中宮に仕える。
 出仕の経緯が一つの読ませどころでもある。
 この宮仕えが式部を女流歌人として表舞台に立たせることになる。紫式部との関係も書き込まれていて興味深い。
 道命との恋が重要な恋のエピソードとして描き込まれていく。この愛も式部の人生の転機になると著者は描写する。

7. 藤原道長からの話があり、道長の家司・鬼笛大将(藤原保昌)の正式な妻となることを奨められる。そこには、道長特有のはかりごとと駆け引きがあった。
  鬼笛の正妻となる。鬼笛は式部より二十は年長の男で、式部が若い頃から知っている人物でもある。
  この鬼笛の正妻となった最後のステージも、かなりの期間、式部は宮仕えをしていたようだ。そして、その時に夫の鬼笛に関わることで、清少納言と面談する場面を書き込んでいる。事実なのかフィクションなのかは定かでないが・・・・。

 結果的に愛の遍歴を重ねる和泉式部の人生を式部の詠んだ歌を要所要所に織り交ぜながら、描き込んで行く。そして、そこに娘の小式部の人生も点描的に描き込まれ、また式部の人生に対して、生涯その支援者的な立場で関わり続けた藤原行成の生き方も垣間見せてくれる。
 SAとSBを2つのストーリーとしてパラレルに描きつつ、ときおり接点をつくり、また江侍従の好奇心の追究で、SBの最後がSAの最後と重なり合っていくクライマックスは、たぶん著者の独自解釈による想像が加えられた創作であり、エンディングとなるのだろう。藤原行成が死ぬ直前に式部に読ませようとした日記の最後が破られてしまっていたというのが興味をそそる。これ自身が創作の一環なのかも。

 この式部の愛に生きる遍歴へ、式部に決断させたのは弾正宮の恋の罠に陥った背景を道長から知らされた時である。愛に生き、心のままに歌を詠み歌人として生きるという選択をしたと、著者は描き込んで行く。

 著者はSAストーリーてんかいに置いて、太皇太后の死の後に、播磨国書写山円教寺への花山法皇が御幸をした時に、藤原行成が式部に次の歌を奉納してもらうのがよいと助言する。
   冥きより冥き道にぞ入りぬべき
   遙かに照らせ山
式部の詠んだこの歌が、SAのストーリーでのモチーフとなっていると受け止めた。

 この伝記風小説を読み、興味深く思う点をいくつか列挙しておきたい。
*和泉式部は、歌の上手な多情な「浮かれ女」が本性なのか。
 著者は、ある事実を知らされて、式部が生き様のカラクリを知り、心境の変化を来した。そして、「浮かれ女」と見られてもかまわないという主体的な選択をしたのだという立場でストーリーを展開する。その時その時に必然的となった愛に生きるという選択を重ねたのだと。単なる多情な浮かれ女ではなかったという経緯が描き込まれている。
*SBの展開において、「和泉式部を偲んで蛍を愛でる夕べ」を契機として、江侍従が和泉式部の実像をより深く知りたいために、式部の愛の所在の追究をするプロセスの推理が興味深い。そのプロセスがSAの展開と接点を持ち呼応する。そこには江侍従と亮麻呂との夫婦関係の生き様が反面として書き込まれている。
*和泉式部の人生の背後に、藤原道長が常に陰に潜む黒幕として存在していた。式部の人生の有り様を間接的に方向づけたフィクサー的人物として、要所で顔を覗かせる。藤原道長の人生が、様々な他者を介して、間接的に描き込まれている。その道長が式部の人生の最後(死)にも影響を及ぼしていたという解釈は興味深い。
*和泉式部とその娘の小式部が、それぞれの人生の局面で同じような境遇に陥るという経験をしたという描写がある。幾人かの宮廷に仕えた女性たちの生き様も点描されていて、平安時代の宮仕えの状況や結婚の有り様が副産物としてイメージできる。
*上記しているが、和泉式部と藤原行成の生涯にわたる同期意識的な人間関係もあり得たという描き方は、式部の人生を支えた人として、爽やかである。『権記』を残した藤原行成という人物にも関心を抱き始めることになった。
*この小説では、式部が『和泉式部物語』をまとめ、それを持参し献上する形で彰子中宮に宮仕えしたと記される。このタイトルをみて、あれ!と思った。『和泉式部日記』というタイトルしか文学知識の記憶になかったからだ。後で調べてみて同じものをさすということを初めて知った。手許に高校生用学習参考書の『クリアカラー国語便覧』(数研出版)を開いてみて、次のことを知る羽目になる。
 「ここまでの二人の心の揺れ動きが、約150首の贈答歌を中心に歌物語風に語られるので、『和泉式部物語』とも呼ばれた。」
 高校生には、基本知識にちゃんと組み込まれてる! 知らなかったのは私だけか・・・・。
*この小説を読むことで、逆に、『和泉式部日記』そのものに回帰し、いずれ読んでみようかという動機づけともなった。
*式部についての伝記風小説なので、あたりまえのこととも言えるが、当時の上級貴族の人間関係と宮廷における人間関係が図式的に関係図として理解できる。このストーリー展開の中での著者の視点を介しての人物と言うことになるが、上記以外にも知識を得た、あるいは興味を持つようになった人々が出て来ておもしろい。これも副産物といえる。

 最後に、『百人一首』に載る和泉式部の歌を引用しておこう。

  あらざらむこの世のほかの思ひ出に
  今ひとたびの 逢ふこともがな

 この歌は、『後拾遺集』から採用されたと言う。『こんなに面白かった『百人一首』』(吉海直人著・PHP文庫)でこの解説を読むとおもしろい。「恋多き女、魔性の女、小悪魔・・・・。この人には、そんな形容がよく似合う。」という一文から、3ページの説明本が載っている。世間一般的な見方をベースに解説がおもしろく書かれていると言える。
 これを開いて、『今ひとたびの、和泉式部』というタイトルが、この百人一首の歌から来ていることを再認識した次第である。吉海氏の式部簡略紹介文と対比してみると、一層面白みが増す。
 他の百人一首本では和泉式部の人物像をどう紹介しているかも知りたくなる。それは、両書からの関心の波紋である。
 出典の『後拾遺集』には、この歌の詞書として「心地例ならず侍りけるころ、人のもとにつかはしける」とある。しかし、この歌がいつ頃、誰に対しての歌かは不詳だという。調べてみたが、当然ながら『和泉式部日記』には出て来ない歌である。


 ご一読ありがとうございます。

人気ブログランキングへ
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。

和泉式部に関連する事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
和泉式部  :ウィキペディア
和泉式部  :「コトバンク」
和泉式部日記 (原文)   :「杉篁庵」
和泉式部日記 (口語訳)  :「杉篁庵」
和泉式部集 データベース :「国際日本文化研究センター」
”浮かれ女”と呼ばれた歌人!『和泉式部』の恋愛が凄い! :「NAVERまとめ」
和泉式部 恋多き女流歌人は 親王や貴族を虜にする女子力を持つ小悪魔系
   その日、歴史が動いた    :「BUSHO! JAPAN」
和泉式部の墓 「木津川町/歴史と紹介」 :「相楽ねっと」
京都府の最南端、木津川市にある和泉式部の墓と伝える五輪塔 :「京都検定合格を目指す京都案内」
和泉式部誠心院専意法尼の墓所(宝篋印塔) :「和泉式部 誠心院」
伝和泉式部の墓  :「伊丹市」


インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)

人気ブログランキングへ
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。