この小説は紀州の紀ノ川沿いにある雑賀庄がどういう地域であり、雑賀庄がなぜ滅びたかの物語である。それを鈴木家と土橋家を中心に描いていく。雑賀庄は小さな庄に小領主がひしめき合っているという地域であり、庄全体を束ねる領主のような存在はない。小領主たちの話し合いで物事が決まる地域である。
鈴木家の当主・佐大夫はかつては雑賀一の武勇で知られ、雑賀庄の勇者に与えられる名『雑賀孫市』を名乗ることができた強力武者だった。雑賀の小領主は自ら馬を駆り、飛び出し、剛刀を振り払い敵将の首をもぎ取ることが求められる姿であった。佐大夫は雑賀孫市を名乗り、小領主たちからも一目置かれる存在だった。その佐大夫には3人の息子が居た。肺を患う病弱な長男・義方、頑健な肉体に恵まれた次男・重秀、そして何を考えているのか兄弟でもわからない存在の三男・重朝である。このストーリーは、鈴木家の3人の息子たちの生き様を中心にして、雑賀庄の姿を描いていく。
土橋家は根来衆との間に親戚関係を持つ小領主であり、当主の平次には一人娘・さやが居る。雑賀庄には、鴉様ー八咫烏の信仰が根強く、神武天皇東征に際し道案内した3本足の鴉が雑賀の里の祖先と信じているのである。そして、さやは鴉様に仕える巫となっている。鴉様の巫は、領主の娘の一人が一生を費やす役目なのである。さやは巫に決まったあとは何があっても極力人との関わりを避け、一生を鴉様に捧げることを運命づけられた。そのさやは巫に決まる前から鈴木家の3人の息子達とは幼馴染みで親しい間柄であった。鈴木家の3人の息子は、さやに対して三者三様の想いを抱いていたのである。彼らの心情がストーリーの最後まで影を投げかけていく。
雑賀の夏祭りの入りの見せ場である巫の神楽舞の行われている場に、右目に眼帯をした老境に差しか掛かる年齢の部外者の男が闖入してきて、倒れ込むようにして巫のさやに抱きついたのである。義方が立ち上がった時には、はや重秀が老人に突進してさやから引きはがし、重朝が老人に馬乗りになり腕をひねり上げていた。
その老人の名は刀月斎である。祭りの後で処断される立場だったのだが、己を生かしてくれれば、雑賀に力を与えようという。彼は鉄砲鍛冶師だったのである。義方は刀月斎が製造した鉄砲の威力を知り、彼を生かす約束をする。それは鉄砲集団・雑賀衆の始まりだった。戦国の世に、戦を請け負う傭われ集団として雑賀衆鉄砲集団が誕生することになる。ここから、このストーリーが大きく展開していく。
鉄砲を得たことで、病弱な義方が鈴木家を佐大夫から継承し、雑賀孫市と認められる道が開ける。義方は先頭に立ち敵に向かっていく力は無い。しかし、刀月斎により鉄砲という武器を得たことで、この鉄砲の用法と改良、雑賀衆の訓練方法、雑賀鉄砲集団の用兵術などの考案により雑賀衆鉄砲集団を形成・確立する要となり、小領主達に一目置かれるようになる。
傭兵集団としての雑賀衆の先頭を率いるのは頑健で勇猛な重秀である。鉄砲の射撃能力は重朝が抜群の能力を発揮する。彼は孤高の射撃手として兄・重秀にある段階まではつき従っていく。戦場での合戦においては、重秀が雑賀孫市を名乗り、その勇名を敵味方双方に浸透していくのである。
鉄砲鍛冶師である刀月斎が雑賀庄に腰を据えることにより、雑賀の鴉様信仰の地に「南無阿弥陀仏」の信仰、一向宗が広まる契機にもなった。真言密教の根来寺を中心とした僧兵集団、根来衆が織田方に加勢していくのに対して、雑賀衆は石山本願寺に加わっていく。鈴木重秀の率いる集団だけは当初、傭兵として三好党に味方するが、ある時点で三好党を裏切り、石山本願寺に加わっていく。そして、石山合戦において雑賀孫市の名前を敵味方に高めていく。
この小説では、石山本願寺対織田信長の戦いにおいて、雑賀孫市として活躍する重秀を描く側面と、雑賀庄に居て戦況を把握分析し、雑賀庄の生き残りを主眼に考える雑賀孫市としての義方を描く側面が呼応していく。
重秀の側面は、石山合戦と合戦終了後、顕如に付き従った行動を取る経緯を描く。信長を狙い、失敗した重秀は信長軍に追われる立場になったとき、偶然淺井家家臣・藤堂与右衞門高虎に助けられる。彼は斥候として戦場に来ていたのである。藤堂高虎は浅井家滅亡後、秀吉の家臣となっていく。そのため、いずれ対決する立場にもなっていく。
義方の側面は、信長の要求「本願寺との手切れ」にどう対応し、雑賀庄がどのように生き残るのが得策かを描く。そのために佐大夫と義方が選択した決断と行動が、新たな問題の原因になっていく。
石山合戦が終結した後、重秀は本願寺顕如の傍に留まるという選択をする。一方、重朝は出奔する。雑賀庄、鈴木家と縁を切った行動を選択するのである。その根底には父佐大夫と兄義方が決断実行した行為が怨念となった。
信長の死後、秀吉方として雑賀衆の鉄砲傭兵が従軍し、それを「雑賀孫市」が率いているという噂が流れる。
雑賀庄は、最後に秀吉との合戦という選択肢を選ぶ。なぜ、そうなったのかもまた読ませどころとなる。雑賀庄の滅亡である。
このストーリーの展開において、もう一つおもしろいことは、刀月斎の存在である。見方を変えると、刀月斎が雑賀庄に持ち込んだ鉄砲という「力」が、雑賀庄をどう変えたかということでもある。刀月斎の望んだことは何だったのか。
さらに、三人孫市に対して、刀月斎がそれぞれの個性に合わせた特別な鉄砲を拵えて、与えるという行動が描かれる。その特別な鉄砲がおもしろいところでもある。
刀月斎は、重秀に『愛山護法・陸』と銘を付けた鉄砲を拵える。重朝には『愛山護法・空』を拵える。刀月斎が「愛山護法」と銘をつけたこと自体に、本山を愛して仏法を守るという思い入れが込められている。そして、最後に義方には、『愛山護法・海』である。これらの特別に工夫された鉄砲という構想がおもしろい。どんな鉄砲かは、本書を開けて楽しんで欲しい。
そして、ストーリーがエンディングに近づくところで、次の文が記されている。
”立ち上がった重朝は何度も首を振って、地面に置いていた鉄砲を拾い上げた。重秀が使っていた『愛山護法・陸』。義方が使っていた『愛山護法・海』。そして己の愛銃、『愛山護法・空』。その三つをまとめて左肩に背負う。重朝の細身にはいささか重そうだ。「--行こう、与右衞門。もうここには用はない」「あ、ああ、そうだな」”と。
佐大夫を含めると、雑賀孫市を4人登場させるという構想が実におもしろくて、楽しめる。そして、三人孫市の対極には、鴉様の巫となることを運命づけられた「さや」が居る。この小説、さやの存在が重みを持つ。
ご一読ありがとうございます。
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。
本書と関連する事項をいくつか検索してみた。一覧にしておきたい。
雑賀孫市 :「コトバンク」
鈴木孫一 :ウィキペディア
雑賀城 :「城 近畿・中国編」
雑賀一向宗列名史料について 武内善信氏 本願寺史料研究所報 25号 2000.7.10
雑賀踊の成立
孫市まつり 公式サイト
雑賀衆 :ウィキペディア
紀州雑賀 孫市城 ホームページ
雑賀衆と雑賀孫市 :「雑賀衆 武将名鑑」
雑賀孫一の墓がある寺 蓮乗寺 :「トリップアドヴァイザー」
インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。
(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)
この作家の作品は、以前に次の小説を読み、その印象記を載せています。
こちらも併せてお読みいただけるとうれしいです。
『洛中洛外画狂伝 狩野永徳』 Gakken
鈴木家の当主・佐大夫はかつては雑賀一の武勇で知られ、雑賀庄の勇者に与えられる名『雑賀孫市』を名乗ることができた強力武者だった。雑賀の小領主は自ら馬を駆り、飛び出し、剛刀を振り払い敵将の首をもぎ取ることが求められる姿であった。佐大夫は雑賀孫市を名乗り、小領主たちからも一目置かれる存在だった。その佐大夫には3人の息子が居た。肺を患う病弱な長男・義方、頑健な肉体に恵まれた次男・重秀、そして何を考えているのか兄弟でもわからない存在の三男・重朝である。このストーリーは、鈴木家の3人の息子たちの生き様を中心にして、雑賀庄の姿を描いていく。
土橋家は根来衆との間に親戚関係を持つ小領主であり、当主の平次には一人娘・さやが居る。雑賀庄には、鴉様ー八咫烏の信仰が根強く、神武天皇東征に際し道案内した3本足の鴉が雑賀の里の祖先と信じているのである。そして、さやは鴉様に仕える巫となっている。鴉様の巫は、領主の娘の一人が一生を費やす役目なのである。さやは巫に決まったあとは何があっても極力人との関わりを避け、一生を鴉様に捧げることを運命づけられた。そのさやは巫に決まる前から鈴木家の3人の息子達とは幼馴染みで親しい間柄であった。鈴木家の3人の息子は、さやに対して三者三様の想いを抱いていたのである。彼らの心情がストーリーの最後まで影を投げかけていく。
雑賀の夏祭りの入りの見せ場である巫の神楽舞の行われている場に、右目に眼帯をした老境に差しか掛かる年齢の部外者の男が闖入してきて、倒れ込むようにして巫のさやに抱きついたのである。義方が立ち上がった時には、はや重秀が老人に突進してさやから引きはがし、重朝が老人に馬乗りになり腕をひねり上げていた。
その老人の名は刀月斎である。祭りの後で処断される立場だったのだが、己を生かしてくれれば、雑賀に力を与えようという。彼は鉄砲鍛冶師だったのである。義方は刀月斎が製造した鉄砲の威力を知り、彼を生かす約束をする。それは鉄砲集団・雑賀衆の始まりだった。戦国の世に、戦を請け負う傭われ集団として雑賀衆鉄砲集団が誕生することになる。ここから、このストーリーが大きく展開していく。
鉄砲を得たことで、病弱な義方が鈴木家を佐大夫から継承し、雑賀孫市と認められる道が開ける。義方は先頭に立ち敵に向かっていく力は無い。しかし、刀月斎により鉄砲という武器を得たことで、この鉄砲の用法と改良、雑賀衆の訓練方法、雑賀鉄砲集団の用兵術などの考案により雑賀衆鉄砲集団を形成・確立する要となり、小領主達に一目置かれるようになる。
傭兵集団としての雑賀衆の先頭を率いるのは頑健で勇猛な重秀である。鉄砲の射撃能力は重朝が抜群の能力を発揮する。彼は孤高の射撃手として兄・重秀にある段階まではつき従っていく。戦場での合戦においては、重秀が雑賀孫市を名乗り、その勇名を敵味方双方に浸透していくのである。
鉄砲鍛冶師である刀月斎が雑賀庄に腰を据えることにより、雑賀の鴉様信仰の地に「南無阿弥陀仏」の信仰、一向宗が広まる契機にもなった。真言密教の根来寺を中心とした僧兵集団、根来衆が織田方に加勢していくのに対して、雑賀衆は石山本願寺に加わっていく。鈴木重秀の率いる集団だけは当初、傭兵として三好党に味方するが、ある時点で三好党を裏切り、石山本願寺に加わっていく。そして、石山合戦において雑賀孫市の名前を敵味方に高めていく。
この小説では、石山本願寺対織田信長の戦いにおいて、雑賀孫市として活躍する重秀を描く側面と、雑賀庄に居て戦況を把握分析し、雑賀庄の生き残りを主眼に考える雑賀孫市としての義方を描く側面が呼応していく。
重秀の側面は、石山合戦と合戦終了後、顕如に付き従った行動を取る経緯を描く。信長を狙い、失敗した重秀は信長軍に追われる立場になったとき、偶然淺井家家臣・藤堂与右衞門高虎に助けられる。彼は斥候として戦場に来ていたのである。藤堂高虎は浅井家滅亡後、秀吉の家臣となっていく。そのため、いずれ対決する立場にもなっていく。
義方の側面は、信長の要求「本願寺との手切れ」にどう対応し、雑賀庄がどのように生き残るのが得策かを描く。そのために佐大夫と義方が選択した決断と行動が、新たな問題の原因になっていく。
石山合戦が終結した後、重秀は本願寺顕如の傍に留まるという選択をする。一方、重朝は出奔する。雑賀庄、鈴木家と縁を切った行動を選択するのである。その根底には父佐大夫と兄義方が決断実行した行為が怨念となった。
信長の死後、秀吉方として雑賀衆の鉄砲傭兵が従軍し、それを「雑賀孫市」が率いているという噂が流れる。
雑賀庄は、最後に秀吉との合戦という選択肢を選ぶ。なぜ、そうなったのかもまた読ませどころとなる。雑賀庄の滅亡である。
このストーリーの展開において、もう一つおもしろいことは、刀月斎の存在である。見方を変えると、刀月斎が雑賀庄に持ち込んだ鉄砲という「力」が、雑賀庄をどう変えたかということでもある。刀月斎の望んだことは何だったのか。
さらに、三人孫市に対して、刀月斎がそれぞれの個性に合わせた特別な鉄砲を拵えて、与えるという行動が描かれる。その特別な鉄砲がおもしろいところでもある。
刀月斎は、重秀に『愛山護法・陸』と銘を付けた鉄砲を拵える。重朝には『愛山護法・空』を拵える。刀月斎が「愛山護法」と銘をつけたこと自体に、本山を愛して仏法を守るという思い入れが込められている。そして、最後に義方には、『愛山護法・海』である。これらの特別に工夫された鉄砲という構想がおもしろい。どんな鉄砲かは、本書を開けて楽しんで欲しい。
そして、ストーリーがエンディングに近づくところで、次の文が記されている。
”立ち上がった重朝は何度も首を振って、地面に置いていた鉄砲を拾い上げた。重秀が使っていた『愛山護法・陸』。義方が使っていた『愛山護法・海』。そして己の愛銃、『愛山護法・空』。その三つをまとめて左肩に背負う。重朝の細身にはいささか重そうだ。「--行こう、与右衞門。もうここには用はない」「あ、ああ、そうだな」”と。
佐大夫を含めると、雑賀孫市を4人登場させるという構想が実におもしろくて、楽しめる。そして、三人孫市の対極には、鴉様の巫となることを運命づけられた「さや」が居る。この小説、さやの存在が重みを持つ。
ご一読ありがとうございます。
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。
本書と関連する事項をいくつか検索してみた。一覧にしておきたい。
雑賀孫市 :「コトバンク」
鈴木孫一 :ウィキペディア
雑賀城 :「城 近畿・中国編」
雑賀一向宗列名史料について 武内善信氏 本願寺史料研究所報 25号 2000.7.10
雑賀踊の成立
孫市まつり 公式サイト
雑賀衆 :ウィキペディア
紀州雑賀 孫市城 ホームページ
雑賀衆と雑賀孫市 :「雑賀衆 武将名鑑」
雑賀孫一の墓がある寺 蓮乗寺 :「トリップアドヴァイザー」
インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。
(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)
この作家の作品は、以前に次の小説を読み、その印象記を載せています。
こちらも併せてお読みいただけるとうれしいです。
『洛中洛外画狂伝 狩野永徳』 Gakken