遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『精霊の木』 上橋菜穂子  偕成社

2016-05-22 14:32:18 | レビュー
 引用した本書の表紙は、15年ぶりに改訂新版として2004年6月に出版された本の表紙である。2014年4月の7刷で読んだ。
 著者は2015年に『鹿の王』で2つの賞を得た作家というとわかりやすいかもしれない。デビュー作が『精霊の木』に偕成社から1989年に出版されていた。この創作文学は児童文学のジャンルでのデビュー作である。『鹿の王』の読後印象をブログに載せた時、著者についての私の印象を記している。著者はその後の創作で様々な賞を受賞されているがそれらは、『鹿の王』を別にして、児童文学のジャンルである。
 
 著者の作品群を全く知らずに『鹿の王』を読んだので、興味をおぼえてこのデビュー作を読んでみることにした。このデビュー作の後に、「守り人シリーズ」他が陸続と創作されている。それらを未読なので想像に過ぎないが、タイトルから考えると、それら作品群の発想の原点はひょっとしたらこのデビュー作にあり、形をみる以前の様々な想いがこの本に潜んでいてそれが次元を超えて繋がっているのではないかと思う。いずれ確かめてみたい。

 本書はSFファンタジーの未来物語である。漢字のほぼすべてにルビがふられていて、児童文学というジャンルに入る物語になっている。
 自分たちが起こした環境破壊が原因で地球に住めなくなった人類は、宇宙の様々な星に移住をして行った。それらの星の一つがナイラ星である。ナイラ星に人類が移り住んでから200年を迎えようとしている時点で、そのナイラ星で起こった物語である。

 まずは直接の読者対象を児童としているので文章はよみやすい。287ページの長編なので、小学校の高学年が多分対象だと思う。SFファンタジーなので、現実世界にはない用語が数多くでてくる。ストーリーを読んでいけば、文脈と補足説明から、それらの用語が読み手の想像力をかき立て、現実世界とは離れた独自の物語世界に引きこんでいく材料になることだろう。たとえば、こんな用語が使われている。例示として序章と1の中から抽出し、イメージを持っていただくために列挙してみよう。
 星間輸送ベルト、中央太陽系、太陽系間中継ステーション、生態系復元学、エアカー、スペースバス、他太陽系探査、完全睡眠装置、コンピユータ・カプセル、スペースコロニー、という具合である。

 中長期未来におけるナイラ星での物語となっているが、読み進めて気づいたことがある。この物語の根底にあるのは、日本を含め世界の各地でかつて発生してきた人類の歴史的行動パターンである。ある地域の先住民族が後からやってきた侵略民族に土地を奪われ、追いやられ、追い込まれ、滅亡していく。その一部は混血という形で侵略民族の中に取り込まれていく。そして、歴史は勝者により書かれたもの、侵略者に都合の良い合理化された歴史が事実として語られ、残されていくという行動プロセスのパターンである。
 この行動パターンをナイラ星に投影して、ナイラ星の歴史とある契機のもとに始まる行動のストーリーが紡ぎ出されていく。

 この物語の発想の背景にある思考、思想と呼べるかもしれない局面に想いを馳せると、この物語は児童を読者と限定する必要はない。大人こそ、このSFファンタジーの中に描き込まれたパターンの持つ問題事象の数々を読み取ることが必要ではないか。人類の過去の歴史での行動パターンとその結果創り出された歴史認識、あるいはそういう事実を日常生活で意識すらしていない可能性と重ね併せてみること、省察することが必要ではないか。人類の過去の歴史における愚行の一端を改めて見直す寓話として、読むことができるように思う。大人の為の児童文学、人類の歴史を考え直す寓話と言える。さらに、科学とは何か? 人間の欲望とは何か? を考える物語にもなっている。

 児童文学として素直に読むとするなら、無垢の児童にとっては、未来SFファンタジーの中に、地球に住む人類が犯してきた愚かな行為の行動パターンが何だったか、歴史の書き換えがどのようになされるかということなどを、直感的にストンと感じさせる物語になっていると思う。おとぎ話をはじめ児童文学はやはり現実世界の投影という側面をもつ。期待や希望の反映という側面を持つのだから。

 この物語の内容に少し触れておこう。
 設定は辺境の惑星ナイラ。気候は地球に似て温暖で自転・公転の速さもよく似ていて、陸の比率がきわめて小さい星である。この星にはロシュナールと呼ばれる先住異星人が住んでいて、100年以上も前にほろんでしまったと信じられている。ロシュナールは黄昏(たそがれ)の民とも呼ばれている。
 地球人がこの星に移住したが、それはこの星が鉱物資源に恵まれているという理由からだった。地球人には鉱山の数が人の数より多いと思われている星である。

 地球人は400年ほど前に、自ら招いた環境破壊の結果、地球を放棄し、長いスペースコロニー生活の後、宇宙の様々な星に移住して行った。地球人がナイラ星に移住・開拓をはじめ、ナイラ星誕200年記念祭を迎えようとしている時に、この物語が始まる。
 ロシュナールの遺跡<橋の岩>の間に不思議な光が出現したことを、第4チタン鉱山の夜間監視員が発見したのだ。それが発端となる。
 
 地球人の政府は、狩と採集で生活していたロシュナールが原始的な野蛮人だと人々に教え込んだ。ロシュナールは俗に三ツ目人と呼ばれていた。それはひたいに目のようなアザ<魂の目:トウー・スガ>をもっていたからである。そして、かれらは<精霊の木>を崇めていた。その精霊の木が精霊を産み、人々は<魂の目>を通して己の精霊と出会うという。精霊と出会い、精霊を魂に受けいれたとき、人の魂は完全になると信じていた。人は精霊がいなければ、生きていけないのである。<精霊の木>はロシュナールの命の源だった。

 一方で、ロシュナールが、地球人と混血可能な遺伝子を持っていることが発見されたとき、銀河中の大騒ぎとなったことがある。そこで政府はひそかに一部の人々を混血させ、生まれた子のひたいのアザは手術でとって、孤児として赤ん坊を地球人の中にまぎれこませたのだ。そして、科学者達がその混血人を密かに監視下に置くという行動をとっていた。ロシュナールのもつ超能力を研究したいがために。
 
 主な登場人物は次のとおり。
ヤマノシン: ハイ・スクールに進学する直前の少年。母はロシュナールとの混血児。
ヤマノマシカ: シンの母。10年前のスペースバスの大事故で夫を亡くす。
  歴史学研究所に勤める歴史学者。地球時代の専門家。
  ロシュナールとの混血であり、自分が常に監視の対象になていることを自覚する。
リシア: シンの従妹。ロシュナールの<時の夢見師>の超能力に目覚める。
  自分の見る夢の中でロシュナールの家系の過去の記憶を場面として見始める。
  それを通じて、ロシュナールの歴史の真実を知っていく。夢が<精霊の道>に導く。
  <アガー・トゥー・ナール>の力に目覚めたのは<精霊の道>がきていることによる。
コウンズ: 環境調整局副局長。<精霊の道>が出現し始めた事実を隠蔽しようとする。
  歴史研究所のトカイシュウ主任に記念祭のイベント企画に見せかける命令を出す。
  一方で、超能力者の出現に気づき、その獲捕の先頭に立つ。
トカイシュウ: 歴史研究所に勤める歴史学者。ナイラ星史部門の主任。
  ナイラ星の歴史を地球人が歪曲し隠蔽していることに抵抗し、事実を告げたい人。
  「精霊の道」を伝説として研究してきた。

 この物語は、精霊の道が架かり始めたのがトリガーとなる。ナイラ星開拓における事実を隠蔽し、ナイラ星の歴史を歪曲し地球人に都合のよい歴史を捏造してきたことが暴露されないように、コウンズが政府側の先頭に立つ。彼は歴史研究所に隠蔽工作の協力をさせることと、超能力者を獲捕することに邁進する。 
 一方、<アガー・トゥー・ナール:時の夢見師>の超能力に目覚めたリシアはシンの協力を得て、夢を見ることを重ねていく中で、ロシュナールの過去の歴史を知っていく。そして<精霊の木>をみつけその種を手に入れること、<精霊の道>に近づきコンタクトを取ることをめざす行動を選択する。
 この物語は、リシアの夢見により、ロシュナールの歴史が解明さていくこと併行し、リシアとシンがコウンズ側との間で攻防を展開していく形となる。リシアとシンの冒険物語というストーリーの流れの中で、様々な事柄が重層的に語られて行く。

 表層的には、ロシュナールにとっての<精霊の木>の存在意義と、<精霊の道>が手段として使われた理由、そして<精霊の道>が今現れ始めた意味が明らかにされていく。
 一方、その背後には、ナイラ星を地球人が侵略してきたやり口と歴史の捏造手口が明らかになっていく。
 さらには、ロシュナールとの混血に対する強力な監視の存在と抵抗が語られる。

 このSFファンタジー物語の奥底には、人類の歴史について視点を変えて見直し、省察するためのヒントや視点が幾つも潜んでいるように感じた。「霊」の存在の有無という問題もまた、考えるべき課題として投げかけられている。
 ロシュナールのひたいにある<魂の目>から、私は釈迦如来像・阿弥陀如来像・大日如来像などが額に白毫を持ち、不空羂索観音像をはじめとする観音像がひたいに眼をもっていることを連想してしまった。
 子供の心に立ち戻り神秘的な話に関わる冒険物語を楽しめる一方で、と大人の立場に戻ると考える課題に満ちた物語でもある。素直な心で一読してみてほしい。

 ご一読ありがとうございます。

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『鹿の王』 上・下  角川書店