遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『サイレント・ヴォイス 行動心理捜査官・楯岡絵麻』 佐藤青南 宝島社

2015-07-26 08:00:06 | レビュー
 第3作の新聞広告を見て、「行動心理捜査官・楯岡絵麻」という副題に関心をもった。そこで、第1作をまず読んで見ることにした。
 今までの警察小説とは一風変わったアプローチがユニークである。舞台は主として警視庁本部庁舎の取調室だけ。外部が描かれることがあっても、ほんの少し、関連部分だけというもの。女刑事・楯岡絵麻は美人の巡査部長で、捜査一課に西野が3年前に配属されたときから自称28歳を通している。そのため後輩の西野と同年齢になってしまったというおかしみが冒頭から描かれる。
 楯岡絵麻は、それまでの事件調書・情報を踏まえて取調室で容疑者に尋問を進めて行く。西野はその取り調べの間、壁際でノートパソコンに向かって、絵麻の尋問プロセスを記録する係なのだ。西野にとっての絵麻の尋問方法は、西野が刑事の取り調べとして頭に思い描くやりかたとはまったく違うのだ。そのことに戸惑いを常に感じつつ、己に課せられた職務を果たしていく。それも、取調室で絵麻に怒鳴られ、叱責され、ときには脚を蹴られたりしながら・・・・。しかし、絵麻流の取り調べの呼吸を徐々に会得し、そのやり方に理解が及ばないまま、それなりに良き相棒となっていく。絵麻の取り調べにおいて被疑者の自供率は100%、そのために名前の絵麻をもじり「エンマ様」と課内では通称されているのだ。

 絵麻はどんな取り調べ、尋問をするのか? 彼女は大学で心理学を学び、刑事になった。つまり、人間の行動の中に表れる様々な徴候を心理分析してそれを武器に取り調べをソフトに進めて行くのだ。被疑者との間にラポートを形成し、初期段階で被疑者の言動に表れる特徴や癖を把握する。その上で、おもに被疑者の大脳辺縁系の働きが、被疑者の体に表し始めるマイクロジェスチャーをキャッチし、心理分析しながら自供に導くのである。この取調室だけでの尋問だけで事件解決を図る場面はそこに妙味があるといえる。よくテレビの警察ドラマにでてくる被疑者にプレッシャーをかけ、取り調べる刑事が脅しとなだめをませたような取り調べシーンとは全く異なる取り調べ、尋問のプロセスがストーリーとして描かれて行く。そして、その尋問プロセスが行動主義の心理学のどのような理論的背景が応用されているのかが語られていく形となる。
 つまり、行動心理学、行動主義心理学を中心にした心理学理論と実験結果などを、捜査一課の扱う殺人事件の被疑者取り調べに応用したらどうなるか・・・・という一種事例話的なストーリー展開である。
 人間は無意識のうちに、瞬間的な動作・しぐさというノンバーバルな行動を取ってしまうのだ。コトバでは嘘をさも事実・真実のごとくにしゃべっても、そのときに身体がノンバーバルに無意識に真実の局面を表してしまっている。身体は嘘を隠せない。演技しきれずに無意識にボロを出しているという次第・・・・。絵麻はその分析テクニックに長けているのだ。
 人間の脳は、大脳辺縁系(感情機能)、大脳新皮質(思考機能)、脳幹(基本的な生命維持機能)が三位一体となり、人間の生理や行動を管理している。思考はコントロールできる部分が大きい、思考を停止し沈黙もできる。しかし、感情の無意識な表出はコントロールがむずかしい。絵麻は被疑者の大脳辺縁系と尋問中に話をするというのである。被疑者のノンバーバルな行動表出を読み取っていく。この小説のおもしろさ、興味深さはこの点にある。
 逆にいえば、行動心理捜査官が事件の捜査現場に出向き、ダイナミックな行動に出て行く中でのエンターテインメントをイメージし期待する人にはあてが外れる。この本を手に取ることを辞めた方がよい。

 行動心理学にちょっと興味を持つ人、あるいは行動心理学を楽しみながらちょっと覗いてみたい人にはうってつけの事例集みたいな小説でもある。警察小説として被疑者を対象にした応用・創作事例ではあるが、じつはこのテクニック、ビジネスにも恋人にも応用がきくのだから、そういう目でも読み進めると、副産物多しというところだ。

 さて、この第1作は、楯岡絵麻の被疑者取り調べが5話集められた短編の集成である。各事件の被疑者がどのように女刑事・絵麻と対峙し、絵麻のソフトな尋問アプローチにからめとられて自供に追い込まれていくかを楽しめる。どの小品から読むこともできる。しかし、一方で時系列的な事件解決のところどころに、なぜ女刑事楯岡絵麻が行動心理捜査官になったのか、その背景が少しずつ語られていく。そして、絵麻が刑事になった原点に、15年前の小平市で起こった女性教師強姦殺人事件が関係していたということが見え始める。山下刑事が唯一の専従捜査員となって、捜査が維持されていて、時効寸前にきているのだ。この行動心理捜査官シリーズ、著者の頭脳の中には、既に構想が広がっている予感を感じさせる短編で結末となる。なんだか、おもしろい展開が始まっていきそうだ。

 最後にこの作品集の5つの事件を簡単に紹介しておこう。

<第1話 YESか脳か>
 被疑者は崎田博史、23歳。イケメンで自称アルバイトの男。会社経営者富田正道氏の長女・3歳の優果ちゃんの失踪事件の被疑者として絵麻の取り調べを受る。
 富田家への数回の脅迫電話。それに対する捜査として、都内の公衆電話を張り込んでいた私服警官が、崎田の身柄を拘束してしまったのだ。彼が単なる連絡係なのかどうか・・・。そなら事件が混迷しかねない。一刻も早く人質となった幼児を保護しなければならないのに。絵麻の取り調べが、軟らかく始まる。被疑者の大脳辺縁系と話をしだす絵麻のテクニックが興味深い。

<第2話 近くて遠いディスタンス>
 品川区戸越にある木造一戸建て家屋で火災が発生。焼け跡から遺体が発見されたが、現場家屋に居住していた無職、竹井朋彦と判明したが、遺体は出火前に深い刺し傷で絶命していた。黒々と炭化し性別すら判然としなかったが、身元の特定の決め手は被害者のかかりつけ歯科医・福永良樹が提出した歯科カルテだった。福永は被害者とは高校の同級生だった。被害者には数か月前から多額の生命保険が掛けられていた。受取人が妻・道代だったが、彼女は生命保険のことは知らないと主張。毎月の保険料は被害者名義の口座からの引き落としとなっていた。入金はコンビニなどのATMから行われていた。しかし、ただひと月分だけはネットバンキングで別の口座から保険料が被害者の口座に入金されていたのだ。それは福永の銀行口座からの振り込みと判明する。重要参考人として任意同行した福永を絵麻が取り調べに入る。この取り調べから、事件は意外な様相をみせはじめる。人間がそれぞれ有する心理的な縄張り、パーソナルスペースが、事件解明の鍵となっていく。

<第3話 私はなんでも知っている>
 被疑者は手嶋奈緒美、38歳。青梅市で小さな喫茶店を営むが、店の一角で行う霊感占いが当たるとの評判で、有名な占い師として知られている。豊島区池袋で起こった殺人事件の重要参考人として任意同行したのだ。絵麻はこの自称占い師と対峙し、取り調べる。絵麻は、この重要参考人に絵麻自身を占って欲しいと切り出していく。重要参考人の指示で、「CECIL McBEE」のロゴがでかでかとプリントされたトートバックを絵麻が取調室に持参し、ふだん使用している筆記具で要求された通りに名前と誕生日を書いて行く。
 まったく取調室らしからぬ行為からプロセスが進展する。そして、占いの経緯を実体験したあと、絵麻は霊感占い師のインチキ性を暴いていくことから始めて行く。フォアラー効果とマインドコントロールが決め手となっていく。マインドコントロールが二重三重に交錯していく結果が産みだした殺人事件だった。単純な展開とならないところに、著者の工夫がうかがえる。

<第4話 名優は誰だ>
 三日前の早朝に、渋谷区恵比寿の住宅街にある公園で後頭部を石のような硬いもので殴られて死亡した男が発見される。財布に入っていた免許証から、人気俳優の内嶋貴弘、46歳とすぐ判明した。現場周辺には争った形跡がなく、背後から突然襲われたものと思われる。捜査本部は20歳の人気女優・木戸真里を任意同行した。絵麻は木戸真里の取り調べを担当する。被害者の内嶋貴弘は、芸能界屈指のプレーボーイとして有名だった。最近のスキャンダルの相手がこの木戸真里だったのである。絵麻お得意である、真里の大脳辺縁系との話を始めようとした矢先、被害者の妻・内嶋紗江子が自首してきたという。紗江子は日本アカデミー賞主演女優賞を受賞するほどの人気と実力を兼ね備えた女優でもあった。だが、木戸真里は内嶋紗江子は実は大根役者にしか過ぎないと痛烈に批判する。
 紗江子の取り調べも、絵麻が担当するのだが、紗江子にはなかなかなだめ行動が見られず、マイクロジェスチャーも発見しづらいのである。その自供にはウラがありそうなのだが、さすがの絵麻も手がかりを得るのに苦労する。自供は演技なのか、本当なのか・・・・。真里と紗江子、人気女優を取り調べる絵麻は困惑を覚えた先に、活路を発見する。そこには、意外な事実があった。
 相貌に表れるマイクロジェスチャーの限界性とその読み方、自発会話における休止の分析、ゲイン効果とロス効果などが絵麻の分析手法に登場する。自発会話における休止が心理的に意味するものの読み解きがおもしろい。自発会話が真実の吐露なのか、巧妙な演技なのか・・・・
 
<第5話 綺麗な薔薇は棘だらけ>
 取調室での絵麻の相棒、あの西野が学生時代の友人である有名な私大付属病院の勤務医に誘われて、婚活パーティに参加していたのだ。その婚活パーティは男性側に厳格な審査基準が設けられ、社会的地位や収入など、一定の条件を満たした者にしか参加が許されないというものだった。西野は友人から同僚の医者だという口利きでたまたま参加した。そして、矢田部香澄という女に声をかけられ、つきあっているという。西野の話では、病気の父親を看病しながら、苦学して音大大学院に通っている女の子だという。絵麻ははなからおかしいと感じていた。
 その矢田部香澄が、結婚詐欺の容疑という別件の口実で任意同行され、絵麻の取り調べを受けることになった。事実は、香澄の周辺でここ数年で4人の男が不審死を遂げている事実が判明していたのだ。この取り調べには、西野の同期である捜査一課の同僚、森永刑事が、西野の役回りを代行する。というのは、西野の行方が不明なのだ。
 絵麻は香澄を取り調べるプロセスで、香澄の会話の進め方の中に、ローボールテクニックやドア・イン・ザ・フェイス・テクニックなどが使われているのを読み取っていく。
 なだめ行動を見せない香澄。香澄の嘘を見抜く鍵はどこにあるのか・・・・。絵麻は大きな賭に出る。そして、当初は想定もしていなかった意外なシナリオに行きつく。それが的中するのだ。
 状況証拠から西野を事件の被疑者として追跡する可能性の瀬戸際まで行く。結婚詐欺のおもしろい手口を並べながら、これもまた香澄の示す言動を介して、意外な展開に行きつく筋立てになっている。
 
 警察小説の世界に、また一つあらたな切り口を開いた作品といえる。この第1作では
楯岡絵麻が刑事になる契機となった15年前の事件が、どう展開し、女刑事・楯岡絵麻にどう結びついて行くのか・・・・楽しみが残る。

 ご一読ありがとうございます。

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この作品に登場する行動心理学関連の用語や理論の一端をネット検索してみた。一覧にしておきたい。

人の脳の不思議 人の脳の構造と機能その2 
 :「秦純一の中学生の知識でわかる私たちの身体の不思議」
大脳辺縁系の3つの反応とノンバーバルの関係(戦う) :「岐阜心理カウンセリング」
なだめ行動のパターンを知ろう3 :「岐阜心理カウンセリング」
   このシリーズ記事が掲載されています。リンクあり。
防衛機制 袴田優子・下山晴彦 共著  :「脳科学辞典」
脳科学辞典:脳科学辞典について
パーソナルスペース  :ウィキペディア
パーソナルスペースで分かる男性心理!近いのは恋愛のサイン?:「ナレッジスペース」
メラビアンの法則  :ウィキペディア
アルバート・メラビアン  :ウィキペディア
好意の返報性 :「心理学入門講座」
好意の返報性のまとめ  :「Ofee」
非言語コミュニケーション  :ウィキペディア
ノンバーバルコミュニケーションで人を惹きつける11の方法 :「ビジョナリーマインド」
Microexpression From Wikipedia, the free encyclopedia
Guide to Reading Microexpressions :「Science of People」
Body Language vs. Micro-Expressions :「Psychology Today」
行動やしぐさから分かる心理 :「Ofee」
ブラック心理学 ~癖やしぐさで心を見抜く~  :「NAVER まとめ」
認知的整合性理論  :「科学事典」
認知心理学     :「科学事典」
マインドコントロール  :ウィキペディア
Mind control From Wikipedia, the free encyclopedia
サイコパス → 精神病質 :ウィキペディア
ミルグラム実験 → ミルグラムの電気ショック実験  :「日本心理学会」
服従の心理~ミルグラム実験(アイヒマン実験):「龍青三オフィシャルサイト」
ランチョン・テクニックと人の心理の意外な事実
        :「そういうことだったのか!心理学講座」
フォアラー効果(P・T・バーナム効果、 主観的な評価) :「SkepticDic 日本語版」
スティンザー効果  :「心理カウンセリング用語辞典」
プラセボ効果   :「コトバンク」


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