遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『英詩訳・百人一首 香り立つやまとごころ』 マックミラン・ピーター 集英社新書

2012-01-09 13:02:14 | レビュー
 京都・八坂神社では1月3日に新春恒例の「かるた始め」が本殿前の能舞台で行われる。「かるた」とは百人一首のことだ。残念なことにまだその様子を実際に境内で見たことはない。
 また、滋賀県大津市の近江神宮では正月に名人位・クイーン位決定戦(全日本かるた協会主催)が毎年開かれている。

 学生時代に国語の教科書で習い、ある時はその歌を丸暗記し、歌かるたを購入し手にしたこともある。だが百人一首のかるた取りを家庭内で行う習慣などはなかった。久しく忘れていたその百人一首について、何時だったか忘れたが百人一首の謎解き本がきっかけで再び興味を抱き始めた。そして、手軽な文庫本や新書で解説本などを見つけては買っているうちに十冊以上になってしまった。

 本書は「英詩訳」というタイトルと手軽な新書版なので惹かれて読んでみた。百人一首がどんな風に英詩に訳されているのかという興味である。英詩訳そして原歌を読みながら、原歌を読むだけでは自分自身の解釈が心許ないので、所蔵の解説本で該当歌の箇所を繙きながら併せ読みする形をとった。
 初めて目にする単語は辞書で引きながら、まずは英詩を読むという作業。そして本書の各ページ左脇に掲載されている原歌及び解説本を読んで対比する。なぜこんな訳になるのか?それは原歌のどこから出てくるのか? 原歌からは何が省略されているのだろう?なるほど・・・・おや・・・・フ~ン・・・・。
 英訳された詩を読むことで、逆に原歌の意味と解釈に改めて思いを馳せる機会になった。和歌の意味を説明する英訳ではなく、英詩としての訳出である。解説翻訳することすら難しいと思うが、それを「詩」として伝えることなんて、やはり至難のわざだと思う。それが本書でなされているのだ!(十数種の英訳本が既に出版されているらしい。知らなかった。俳句が翻訳されているというのは知っていたが。)

 著者は「日本語版のための序論」でこんなことを書いている。「外国語で和歌を読むことで、自らの文化についての異文化体験ができるかもしれない。わたしたちはハイブリッドの時代に生きている。自国の言語の古典を異なる現代語で学び、異なる文化のプリズムを通して、新たな視点で自らの文化を見るというのは、実にすばらしいことである」と。
 確かに、本書を読み通して見て、随所で異文化体験に通じるところを発見した。

 著者は和歌に詠み込まれた意図や思いに焦点をあてて、英語のロジックと詩情に載せられることを中心に英訳されたように思う。当然そうなるだろう。日本を深くは知らない英語国民に百人一首を紹介しようと試みているのだから。
 和歌は5・7・5・7・7という形式だが、英詩にするにあたって、著者は語数などには捕らわれていない。原歌のエッセンスを如何に英詩の世界に翻案するかというところに重点が置かれている。英詩訳は長短さまざまだ。著者はいう。「わたしが目的とするのは、読みやすく、しかも詩的な翻訳である」

 和歌には主語があいまいなもの、あるいは除かれているものがある。それでも和歌の文脈からなんとなく主語を特定していくことができるし、さして我々は不思議に思わない。通常の叙述文でもしばしば主語付記に出くわす。主語を書くと煩わしい文と感じるときすらある。だが、著者は言う。「しかし、現代英詩、とくにロマン派以降のものでは、主語を示す言葉がないなどというのは思いもよらないといえる」。英詩を読み進めると、和歌との明らかな違いの一つとして主語が明瞭に特定されている。そこから逆に、和歌はもっと拡がったニュアンスがあるのではないか・・・・と気になる翻訳もあった。まあ、このあたりがわかりやすい彼我の文化の違いの一つだろう。
 主語を明確にすること、原歌の意図や思いの翻訳との絡みで、原歌の内容によっては、英詩としての長さがかなり違う。そこまで書かないとやはり英文にはならないのだなと感じるのもある。一方で、原歌のイメージを視覚化する試みもある。ある意味おもしろい工夫が試みられている。例えば、第3番・柿本人麻呂の歌である。
 足引の山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む
この翻訳の表記のしかたが楽しい。本書P62をご覧いただくとよい。なるほどなあ・・・である。遊び心が出ている。
 和歌には枕詞や序詞、地名などが頻繁に使用されている。日本人には地名が特産物や風景と結びつき、そのイメージが浮かぶ場合がある。しかしそんな知識がない人々のために、詩情を伝える上で訳出する意味があるかどうかの判断がなされている。例えば、第54番・藤原実方の歌にある「伊吹のさしも草」の「伊吹」、第58番・大弐三位の歌にある「有馬山猪名のささ原」の「猪名」などは英詩では省略されている。筆者が英詩で和歌の詩情を伝えるために、どこをなぜ省略しているか。それこをどう英訳しているかということを考えるのもおもしろかった。
 また第27番・藤原兼輔の歌の「みかの原わきて流るる泉川~」について、「みかの原」は "the Moor of Jars"、「泉川」は "the Izumi river" と訳されている。『百人一首』(全訳注・有吉保・講談社学術文庫)の語釈によれば、「みかの原」は「京都府相楽郡にあり、『瓶原』または『甕原』と書く。奈良朝に離宮が営まれた地で、聖武天皇は一時ここに久邇京を営んだ」と記す。『百人一首を歩く』(嶋岡晨・光風社出版)によれば、「相楽郡木津町は、かつて泉里と呼ばれ、そのあたりでは木津川が、かつて山背川とも、泉川とも呼ばれた。木津町の東にある加茂町には、『瓶原地区』の呼称がのこっている。木津川をへだてて、北側の地区」と記す。地名の意味をとりMoorという語彙を使って意訳を取り入れている。Moorで風景のイメージが浮かびやすくなるということなのだろう。そういう例が他にもある。

 アイリーン加藤氏が「マクミラン訳が解き放したもの」という一文を本書に寄せている。その中で、訳すのがとりわけむずかしいのは、小野小町の歌(第9番)
 花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに
だとされる。彼女は「小町が三十二音で言い尽くしたことを、漏れなく英語に翻訳しようとするならば、十連は必要になると思われます」と述べている。英詩の一連は四行ということだそうだ。この和歌をどう訳出するか。
 著者はこの翻訳について「日本語版のための序論」で自分の考え方を9ページほど使って具体的に説明している。その箇所(p39~48)をお読みいただくと著者の思考プロセスも理解できる。
 本書での翻訳はこうなっている。
 A life in vain.
My looks, talents faded
like these cherry blossoms
paling in the endless rains
that I gaze out upon, alone.

 貴方はこの英詩訳をどのように受け止められるのだろうか。

 本書の最後の章「原書版序論」の中で、学んだことがある。いままでこういう観点で、百人一首を読むことにはあまり関心を払わなかった。どちらかと言えば、個々の歌そのものの解釈中心、あるいは、百首全体に秘められた謎というおもしろさだった。

*『百人一首』は1237年ごろに完成したといわれているが、その後、定家一門によって改訂を重ねられた。(p162) →おやっ?と思う記述。調べて見る課題ができた。

*定家が”妖艶”という美学に執着していたのは、青年期から中年に至るまでだったという点は指摘されなければならないであろう。・・・・その後は、”妖艶”を棄てて、新しい理念である”有心”(うしん)、いってみれば”感情の確信”、つまり、間接的な美よりも直接性と強い感情を好む明確な作風に傾いたといわれている。(p170)

*定家の歌には白という色が頻繁に登場する。白が定家の好みの色なのは明らかである。・・・・白という色は”妖艶”の美の重要な要素にもなっていると、私は考えている。(p171) →著者があげる例:第6番、第29番、第37番、第76番、第96番

*歌を選ぶ過程で、人のつながり(血縁・歌の師弟関係など)がきわめて重要な役割を果たしているのは明らかである。一部に二流の歌人、とくに皇族が選ばれているわけも、人のつながりの重視ということで説明がつくのではないか。 (p173)

*『百人一首』には、八人の天皇の歌が含まれている。八という数字は、中国と日本の文化の中では吉兆を示す数字である。・・・中国や日本の伝統では、”八”の文字は末広がりという、子々孫々にわたっての家の繁栄をあらわしてもいる。おそらく、天皇の治世が長く続くことを願うという意味が込められているのであろう。(p173-174)
 →著者はここで、西洋の”8”が閉じる意味をあらわしていることにも付言している。
 定家と後鳥羽院の関係にも触れていておもしろい。
 こんな一節もある。「定家はおぞましいほど醜く、癇癪持ちであったと伝えられているが、偉大な歌人であり、歌の権威、目利きであると広く認められていた」と。この文の後半は歴史や国語の教科書で習っても、前半は出てこない。癇癪持ちだったというのはどこかで読んだ記憶があるけれど。

 第61番伊勢大輔の「いにしへの奈良の都の八重桜けふここのへににほひぬるかな」について、英詩訳の中で”in the new palzce of Kyoto with its nine splendid gates!" と訳されている部分がある。有吉保氏は、「今日はこの九重の宮中で」と現代語訳をし、語釈では「『九重』は宮中の意で、『八重桜』の『八重』と照応させている」と記すだけである。なぜ、9つの門という訳出になるのか?ピンと来なかった。
 そこで手許の解説本を調べて見た。すると、こんなことがわかった。有吉保、安東次男、尾崎雅嘉(古川久校訂)、白州正子、鈴木日出男、高橋陸郎の各氏は「宮中」の意レベルで留めている。一方、久保田正文、島津忠夫、田辺聖子の各氏は補足説明を加えている。「九重、は漢語の王城の門を九重にめぐらしてあるところから出た九重を訓読してつくったことば。宮城の意」(久保田正文)「『九重』は皇居。王城の門は九重に造った(楚辞・九弁)」(島津忠夫)、「『九重』は皇居、宮中をさす。昔の中国で宮門を九重にめぐらせたことから、いった」(田辺聖子)これで納得できた。なぜ9つの門が出てくるのかを。(英詩訳に9箇所の門、九重の門の意味合いの違いが残るけれど・・・・)
 解説本には分量の制約があるだろう。何を省略するかの優先や選択が著者によって違うということなのだと思う。逆に言えば、原歌に迫ろうとすれば、解説本もいくつか重ね読みしていくと理解が深まる。このあたり、本書著者の造詣の深さの一端を示すものかもしれない。

 第87番寂連法師の「村雨の露もまだひぬ~」は "The drops from a light shower"
と訳されている。この「村雨」も実に興味深い。
 解説本の著者によって、その解釈がまちまちで、かなり幅があるのだ。説明を加えず使っている人もいる。紹介しよう。「一時的に強く降ってはやみ、やんでは降る雨。秋のにわか雨」(有吉)、「村雨は一しきりづつ、むらむらと降る雨をいふなり」(岡田)、「むらさめ、は村雨・叢雨・群雨の義、一群ずつ強く降り過ぎる雨、秋から冬にかけて多い雨」(久保田)、「断続して急にはげしく降る雨」(島津)、「あわただしく通り過ぎてゆく雨で、特に、秋から冬にかけて降るにわか雨をいう」(鈴木)、「むらさめはひとしきりさっと降っては、通りすぎて行く、むらのある雨。村雨は当て字だ」(高橋)、「村雨-というから、ぱらぱらッと降って過ぎてゆく雨であろう」(田辺)、安東・白州両氏は説明を加えていない。お読みいただいた方の手許の国語辞典はどう説明していますか? 著者の英詩訳と有吉本とをまず対比読みしていて、他本を調べてみた次第だ。おもしろい。手許の日本語大辞典(講談社)を引くと、「短時間に強く降る雨。強くなったり弱くなったりする。驟雨。にわか雨。通り雨」と記す。どのあたりをイメージするかで、 "a light shower" もあるのか・・・・と思った。英語には雨の表現はどれくらいバリエーションがあるのだろう。

 第72番祐子内親王家紀伊の「音に聞く高師の浜のあだ波は~」という歌の英詩訳が未だ私にはすっきりと納得できない。この英詩訳で原歌のウラの意味が感じとられるのだろうか・・・・と。”for I know I'd be sorry if my sleeves got wet." という後半の訳はネイティブの人にはウラの意味がピンとくる言い回しなのだろうか。
 田辺聖子氏の訳はこんな具合である。
 「噂に高い 高師の浜の/ 仇浪を/ かぶったりしますまい/ 袖がぬれてしまうんですもの/ -- あなたが浮気なおかただってこと/ 噂で聞いてますわよ/ あなたの仇なさけに/ うっかり心ひかれたりしたら/ 涙で袖を濡らすだけだわ」
 
 小野の小町の歌について、一言付け加えておこう。対比読みして再認識した点である。本書の著者は「花」を明確に桜と訳出している。解説本には、同様に桜の花と明示した解釈をしているのが多いが、単に「花」と留め解説している本(安東、岡田、白州、高橋)もある。手許の本では、この「花」について吉海直人氏が問題提起している点だ。
 古典語学習で花は桜の代名詞とされるのは間違いが無いが、『万葉集』では花は梅だった。『古今集』での歌の配列で撰者が桜と解釈している。だが小町がそう思ったかどうかと吉海氏は疑問を呈されているのだ。そして「移る」という語を問題とし、「色移る」の連想から「移ろう」との混同がないかと問題提起されている。「でも桜は、変色する前にサッと散ってしまうものではないでしょうか」と。
 こういう問題提起を読むと、和歌のことば一語への興味が一層深まっていく。

 最後に、一つ気になった点に触れておく。第97番は藤原定家の「来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに~」という歌だ。嶋岡氏は明確に「淡路町松帆崎の海岸をいう。明石海峡に面している」と記されている。英詩訳で、”the shore of Matsuo Bay" と記されているのは、単純な誤植なのだろうか。英語のbayというのはどのような範囲で使う言葉なのだろう・・・・。グーグルの地図で見ても、淡路島の松帆の浦の海岸は私には英和辞典で「bay」の説明にある「湾、入り江」というイメージが湧かない。

 英詩訳を読み、原歌の意味を考え直してみるというのは、新鮮な感覚だった。
 ドナルド・キーン氏が本書に「前書き」を寄稿されている。キーン氏は末尾にいう。
 「これは、今までのところ、『小倉百人一首』の、もっとも卓越した名訳である」。

 ご一読、ありがとうございます。


上記で著者名表記した本の一覧をまとめておきます。
『百人一首 全訳注』 有吉 保・講談社学術文庫
『百人一首』 安東次男・新潮文庫
『百人一首一夕話 上・下』 尾崎雅嘉、古川久校訂・岩波文庫
『百人一首の世界』 久保田正文・文春文庫
『百人一首』 島津忠夫・角川日本古典文庫
『私の百人一首』 白州正子・新潮文庫
『百人一首を歩く』 嶋岡 晨・光風社出版
『百人一首』 鈴木日出男・ちくま文庫
『百人一首』 高橋睦郎・中公新書
『歌がるた小倉百人一首』 田辺聖子・角川文庫
『カラー版田辺聖子の小倉百人一首 上・下』 田辺聖子・角川文庫
『百人一首への招待』 吉川直人・ちくま新書

本書と直接関係はないが、百人一首の謎解きから、再び百人一首に引き込まれた。
そのきっかけとしては・・・・
『絢爛たる暗号 百人一首の謎を解く』 織田正吉・集英社文庫
『百人一首の魔方陣 藤原定家が仕組んだ「古今伝授」の謎を解く』太田明・徳間書店
『QED 百人一首の呪』 高田崇史・講談社文庫
『百人一首の秘密 驚異の歌織物』 林 直道・青木書店


ネット検索してみた事項を一覧にしておきたい。
平安気分で「かるた始め」京都・八坂神社  :朝日新聞
   動画も載っています。
名人、逆転でV14 クイーンV8 百人一首かるた:朝日新聞

百人一首 / 全100首を一気に読める動画 :YouTube

平安装束でかるた始め 京都・八坂神社 :YouTube
百人一首/国民文化祭_30秒ビデオ
かるた日本一決定 名人は12連覇、クイーンも6連覇(10/01/09)


百人一首  :ウィキペディア
百人秀歌  :ウィキペディア
藤原定家  :ウィキペディア


<番外・附録>
社会人向けの百人一首を扱った短期講座を受講したとき、講師から教示を得たもの。
百人一首のパロディとして、蜀山先生が『狂歌百人一首』を作ったという。
ネット検索してみたら、紹介サイトがあった。うれしいかぎり!
蜀山先生 狂歌百人一首 (蛇足解説付)」という。
天保14年(1843)に出版されているのだ。こんなのは学校では教えてくれない。

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)