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大関ケ原展

2015-05-08 13:05:46 | 日記

                                                                            大関ケ原展

 5月17日迄江戸東京博物館で「大 関ケ原展」を開催している、天下分け目の大合戦、
歴史では勉強してきたが、興味が有ったので去る4月29日に見学してきた。子供の頃
習った歴史と、大人になって見つめる関ヶ原合戦、東軍にしても西軍にしても、各武将が
身の安全 地位向上の思惑で動くのや、身を賭して主君に忠誠を誓う武将、色々な思惑を

以て始まった戦争、権力を掌握するためのドロドロした穢い闘争でしかない、どんな策略 
作戦を用いようとも勝てば「官軍」である、子供の頃学校で習った歴史と、大人になって見
つめる目は違っていた。

特別展示室は撮影禁止、音声案内を借り要所々々音声案内が有り、歴史で学んだ事と
差して変わりはないが、家康 三成其々の性格 思惑 人心の掌握 戦略 根回しは「たぬき
じじい」と言われた家康が勝っていた様だ、西軍が圧倒的
有利だったが、表面西軍に属す
としながら東軍に寝返った武将、戦況の優劣を見て寝返った武将、武士の風上にも
置けぬ
卑劣な行為、毛利秀元の16,000の大軍が東軍の一軍に阻まれ、実質関ヶ原で実力を
発揮できなかったのと
、寝返りが西軍敗北の一因のようだ。寝返った武将は江戸幕府開設
後、減封 改易になったのは言うまでもない、二心ある部下など信用する上司などいる
筈が
ない。

 
 今迄何か催し物が有ると江戸東京博物館はよく行った、何時行っても入場券を買うのに
並ぶ事はない、4月29日何も
考えずに思い立って行った、開場9:30分、開館時間より少
し遅れ9:40分に入館したところ、館内長蛇の列およそ300
人弱いたか、切符購入に20分
待たされた、こんな事は初めて、何も考えずに行った小生が馬鹿だった、GWの初日皆関

ある特別展、開館前に並んでいた様だ。


特別展示館は展示品前に3重~4重の人垣、来たからには一番前で展示品を傍でを見たい、
当日は25℃を越す夏日、
館内冷房は弱く人いきれで暑い事、大汗をかいて展示品鑑賞。
 家康の甲冑 佩刀 武具 日用品や、徳川四天王の甲冑 武具など陳列、三成の遺品は少
なく、ここにも勝者と敗者の差
は歴然、関ヶ原激戦の陳列品を鑑賞、美術館 博物館の展示
品を鑑賞するのは普通に歩くより疲れる、足が棒のように
なってしまう。

 特別展示館を見て、常設館は今迄も何回か見ているのでパスしようと思った、だが係員が
常設館の展示品を3分の2入れ替え、リニューアルしたので見て行くようにと云われ、
重い足を引きずり常設館へ、以前の展示品が入れ替わり、江戸時代 明治 大正 昭和の戦前
戦後の急速な生活様式の変化、特に各地にできた団地はダイニングキッチン 各戸に水洗
トイレ 風呂場が有るのはそれまでの生活を一新する文化生活で、団地族言われ、あこがれの
的で、入居
抽選はいつも40倍~50倍の競争率だった、その時代時代に沿った生活用式の
展示と一緒に、学校給食の変化が添えられ
ている、生活の向上と共に学校給食の質の向上
も展示されている。

 
戦時中の空襲の火災模様や投下された爆弾 焼夷弾などが陳列されている、東京空襲で
爆弾の炸裂、焼夷弾に
依り大火災、火に囲まれ逃げ場を失った体験者も、もう少なくなった。

 祭日だったせいか、芝居小屋の前でジャグジーと微妙なバランス曲芸が有った、GWの
特別演技だろう、今まで
こんな催を見た事がない祭日で特別だったのだろう、、しばし曲技を
楽しみ昼過ぎ退館する、驚いた事に切符購入者が
館内蛇行して並び、外へ出たら館外にも
行列ができたいた。

 
徳川家康着用甲冑 石田三成着用甲冑
 
関ヶ原で家康が最初に布陣した地 合戦前家康本陣を移動
 
三成が布陣した小高い丘
 
関ケ原激戦の地
 

 源氏車紋散糸巻太刀拵(げんじくるまもんちらしいとまきたちこしらえ) 江戸時代、大名は儀礼の際には、

衣冠に糸巻拵の太刀を帯びるのが決まりであった、太刀とは,儀仗・軍陣に用い、刃を下向きにして腰に

つるすのを通例とする刀剣、幕府内でも正月儀礼には必ず使用されていた、此の源氏車紋散糸巻太刀

拵は、その典型である。
普通武士は大小太刀を落とし差しと言い、刃を上に向け腰に手挟む、刀を抜いて構えた時には刃は下を

向き臨戦態勢に入れる。上級武将の儀礼時は刃を下向き水平に腰に下げる、相手に敵対感情はなく、

衣冠束帯に拵太刀を佩いての姿は優雅である。

ここからは常設館展示品になる,常設館はフラッシュをたかない限り写真撮影はOK 

大名火消の火事装束

上級武士の火事装束頭巾、、当時江戸には
大名火消し、町火消しが有り火事現場では
両者が激しく
衝突する事が有ったらしい。

 
芝居小屋前の曲芸披露
 

戦前東京市内にはフォード製セダンが「円たく」として走っ
ていた、東京市内何所まで行っても1円均一、当時の1円
は高額だった、因みに当時の煙草の値段を紹介しよう。
金鵄(ゴールデンバット)が15銭 光30銭 鵬翼20本入り
50銭米1升32銭くらいだったか、庶民には中々利用でき
ないタクシーだった。

戦後発売された日産のダットサン貨物車、他に
おおたと言う小型貨物メーカーが有ったがいつ
の間にか消えていた。小生この貨物自動車で
練習して免許証を確保した、兎に角運転席が狭い、
ブレーキを踏むのに膝がハンドルにぶつかり、
大変狭くて運転し難い車だった、今から65年前で
は仕方ないか。
 

都内に落とされた500k爆弾の不発弾、これが炸裂
すると直径15m深さ5m
以上の穴が開く、

油脂焼夷弾と黄燐焼夷弾、此の長さは3分の一くらい、
実物は1,5mくらいある
 
朝は切符購入で20分待ちだったが、午後は館内から館外まで大変な行列