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余生を楽しむ

街の発展

2018-06-04 15:24:28 | 日記
小さな祭りだが
 

 新所沢駅東口は、駅前から真っ直ぐ延びバスが走る広い通りが有る、その通りを挟んで南北に幾筋かの商店街が有り、大きな商圏を展開繁盛している。
 海鮮料理を売り物の24時間営業の「磯丸水産」居酒屋 中華料理のチエーン店「日高屋」 餃子が売りのチエーン店「餃子の満州」2店 有名和菓子店 有名煎餅店  スナック バー ラーメン 床屋 鯛焼き屋、宝飾店 当然銀行 パチンコ屋もあり、その他各店が競っている、だが八百屋 魚屋 肉屋はない、これは西口のスーパーで用足しするせいか。

 新所沢東口商店会全体の祭りではなく、幾つかの商店街の一筋が今年初めて祭りを行った、通りの長さは150m~200mくらいだろうか、両側に露店が並び近隣の親子連れなどで賑わっている。
 
 2時からサンバの踊りがあるので見物者が大勢集まる、サンバカーニバルと言えば大音響で情熱的な音楽を奏で、踊り子も大きな冠に羽の装飾を身に着け、肉体美を見せ情熱的に練り歩く、今回は規模も小さく、女性6人男性1人で、音楽はレコードで流し、小さな広場で踊っていた、規模は小さかったが、祭り参加者の目を楽しませたのではないか。

 地元の古老の話では、昭和30年代初頭の新所沢駅は、今より少し南にあり「北所沢」と言って居た様だ、当時は駅前から南は泉町、西は行政道路を超し小手指近辺まで、北は南入曽迄一面の雑木林で、地元では八丁山と言われ、駅前に人家はなく、近隣の娘さんが勤務を終えて帰宅時、暗くなると家族が提灯 懐中電灯を持って迎えに来たとか、昭和30年代初めまで、入曽に通じる雑木林に覆われた所では、追剥が出没したとか。

 小生が昭和36年1月に新所沢の団地へ越した頃は、駅と直結した西友 駅前に団地商店10軒 個人商店10件ほどあり、団地以外は全て雑木林、東口はなく、川越へ通じる道以外は、戦時中所沢飛行場へ勤務する職員住宅が川越道の北側に点在するのみ、見渡す限り雑木林と畑が広がっていた。
 当時の新所沢駅の時刻表と言えば、朝夕の通勤時間帯は6本くらいあるが、日中は上下2本ずつ1時間に4本しか走っていない、その後まもなく新所沢発、新所沢止まりが出来て、1時間上下8本になった。

 昭和51年仙台赴任から帰埼した時には、東口も区画整理され良い街並みが整いつつあった、西口は駅前から公団住宅が広がり、西友 パルコ  ビックAなどスーパーはあるが、個人商店は限られる、東口は老舗商店や趣ある店が並び、個人住宅も広がりここ40年くらいで、あの茫漠とした土地が大きく変貌して、今回祭りも開いた、益々発展して行くと思う。
 とは言え小生駅の跨線橋を渡って東口へ行くのは、年に10回有るか無いか、用がなければ足も向かない
 

 
祭りが開かれたパティオ商店会
 
会場へ行くカーニバルダンサーたち
 
どきっ 目の前に美尻 
 
出演前のちょっぴり緊張
 
観客に愛想を振り撒きながら会場へ
 
自分も踊りを楽しみ、観客も楽しませる
 
暑い中情熱的に踊るダンサー
 
サンバが終わったら急に人が引く