老いて楽しく

余生を楽しむ

紅白歌合戦

2017-12-31 10:05:59 | 日記
この20年来見ていない
 
 紅白歌合戦が始まったのは戦後6年目の昭和26年、正月番組として始まったと記憶する、当時はまだテレビはなくラジオ放送だった、「合戦」と名前を付けるのは、敗戦後すぐの日本として、如何なものかとGHQから横槍が入ったと聞くが、70数年前のこと小生の記憶では定かではない。

 年を重ねて人気も出て、第4回昭和29年からは大晦日の番組になる、白組 紅組とも20人くらいの出演者だっただろうか、出演歌手も男性 伊藤 久雄、林 伊佐緒、霧島 昇、灰田 勝彦、近江 俊郎、藤山 一郎、紅組は笠置 しづ子、越路 吹雪、渡辺 はま子、奈良 光江、淡谷 のり子等聞き慣れた歌を歌っていた、売れっ子歌手は他の劇場出演が忙しくて、紅白出演を断っていたとか。

 当時は歌手も曲名も分かっていたので、自分でも紅白メンバー表を見て、自分なりに点数をつけ、どちらが勝つか楽しんだものである。

 当時の世相は白黒テレビが発売されたが、庶民の手には届かない価額、町の要所に「街頭テレビ」が設置され、当時プロレスで力道山が人気者になり、プロレスやボクシングタイトル戦等、白井 義男がバンタム級、日本初の世界チャンピオンになった、大きなイベントがあると街頭テレビの前に人は群がってテレびを楽しんだ、昭和30年代に入るとテレビが急速に普及して、街頭テレビの時代も終わった。
 当時各商店は終夜営業、商店街は煌煌と明かりが付き活気があり、国鉄 私鉄とも終夜運転、紅白歌合戦 ゆく年くる年を見て床屋へ行って、友達と待ち合わせ、有名社寺へ初詣に行ったものである。

 昭和38年には紅白歌合戦も、視聴率81,4%を記録して、正に国民的行事になった、その頃は自分でも紅白歌合戦を楽しみ、「ゆく年 来る年」」見て床にはいったものだ。

 昔の紅白歌合戦は知っている歌手、知っている曲で楽しめたが、時代の流れで、カタカナ文字のグループ、横文字の曲名、踊って早口で歌われたらさっぱり分からない、分からない歌を聞いても少しも楽しくない、やっぱり年を取り時代に着いて行けなくなり、世の中から取り残された自分を感じる。

 紅白歌合戦も近年は視聴率も30%台、ゆく年くる年も興味なくなった、他の番組も、数人の出演者が自分らでげたげた笑っているが、その笑いがこちらに伝わってこない、40数年前にある評論家が「テレビは一億総白痴化」と評していたが、とてもいい番組もあるが、下らないバラエテイを見ているよりは、この20年来8時半に床へ入る習慣、白河で夜船を漕いでいた方がずっと太平楽だ。