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老いて楽しく

余生を楽しむ

初詣

2018-01-03 15:26:05 | 日記
所沢神明社
 
 所沢の鎮守神明社へは元日の朝7~8頃家から徒歩で初詣に行く習慣が40年来続いている、信仰心もあるが健康のための意味もある。

 以前は神明社まで30分少々で行ったが、今では足の筋力の衰えによる歩幅が狭くなったせいか、40分弱掛かる様になった。

 以前除夜の鐘の頃深夜歩いて参拝したことが有る、拝殿から階段下、そして旧市役所裏まで、参拝者が並んでいた、参拝を終えて所沢駅へ行ったところ、終夜運転はなくなり、終電延長をしていたがそれももう無い、終夜運転が無くなったとは思っても居なかった、所沢駅から深夜の街をとぼとぼ歩く羽目になった、途中コンビニの前、居酒屋の前、酒に酔った若者がグループで気勢を上げている、「老人狩り」など流行っていて少し怖かった、以後深夜参拝は止めた。

 今年も8時前に境内に、何時もなら直ぐ参拝出来るのに、今年は階段下まで並んでいた、おみ籤を買う人も階段下まで並んでいた、店じまいする熊手屋も有ったが、開いている熊手屋は、参拝を待つ間の10分くらいの間に4回も、拍子木と手拍子で祝儀をしていた、昨年は好景気だったので、熊手の売れ行きも良かったようだ。
 
例年になく多い参拝者列を作る
 
初詣をする善男善女
 
好景気のせいかよく売れる熊手、拍子木と手拍子でご祝儀
 
早々に店じまいの熊手屋、ほかの店はよく売れているのに
 
早朝故に客足が疎らな売店、日が暖かくなると日中の初詣客が増えるだろう
 
帰る頃には初詣客さらに増える
 
元日朝9時過ぎの所沢銀座商店街、日頃の人通り、車の喧騒がひっそり、嘘の様
 

紅白歌合戦

2017-12-31 10:05:59 | 日記
この20年来見ていない
 
 紅白歌合戦が始まったのは戦後6年目の昭和26年、正月番組として始まったと記憶する、当時はまだテレビはなくラジオ放送だった、「合戦」と名前を付けるのは、敗戦後すぐの日本として、如何なものかとGHQから横槍が入ったと聞くが、70数年前のこと小生の記憶では定かではない。

 年を重ねて人気も出て、第4回昭和29年からは大晦日の番組になる、白組 紅組とも20人くらいの出演者だっただろうか、出演歌手も男性 伊藤 久雄、林 伊佐緒、霧島 昇、灰田 勝彦、近江 俊郎、藤山 一郎、紅組は笠置 しづ子、越路 吹雪、渡辺 はま子、奈良 光江、淡谷 のり子等聞き慣れた歌を歌っていた、売れっ子歌手は他の劇場出演が忙しくて、紅白出演を断っていたとか。

 当時は歌手も曲名も分かっていたので、自分でも紅白メンバー表を見て、自分なりに点数をつけ、どちらが勝つか楽しんだものである。

 当時の世相は白黒テレビが発売されたが、庶民の手には届かない価額、町の要所に「街頭テレビ」が設置され、当時プロレスで力道山が人気者になり、プロレスやボクシングタイトル戦等、白井 義男がバンタム級、日本初の世界チャンピオンになった、大きなイベントがあると街頭テレビの前に人は群がってテレびを楽しんだ、昭和30年代に入るとテレビが急速に普及して、街頭テレビの時代も終わった。
 当時各商店は終夜営業、商店街は煌煌と明かりが付き活気があり、国鉄 私鉄とも終夜運転、紅白歌合戦 ゆく年くる年を見て床屋へ行って、友達と待ち合わせ、有名社寺へ初詣に行ったものである。

 昭和38年には紅白歌合戦も、視聴率81,4%を記録して、正に国民的行事になった、その頃は自分でも紅白歌合戦を楽しみ、「ゆく年 来る年」」見て床にはいったものだ。

 昔の紅白歌合戦は知っている歌手、知っている曲で楽しめたが、時代の流れで、カタカナ文字のグループ、横文字の曲名、踊って早口で歌われたらさっぱり分からない、分からない歌を聞いても少しも楽しくない、やっぱり年を取り時代に着いて行けなくなり、世の中から取り残された自分を感じる。

 紅白歌合戦も近年は視聴率も30%台、ゆく年くる年も興味なくなった、他の番組も、数人の出演者が自分らでげたげた笑っているが、その笑いがこちらに伝わってこない、40数年前にある評論家が「テレビは一億総白痴化」と評していたが、とてもいい番組もあるが、下らないバラエテイを見ているよりは、この20年来8時半に床へ入る習慣、白河で夜船を漕いでいた方がずっと太平楽だ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

PCクラッシュ

2017-12-28 15:37:25 | 日記
ガラクタの山
 
 今年9月にそれまで7年程快適に使っていたデスク型PCが、起動時非常に時間が掛かり、操作中に思はぬ障害が起きたり、不安定になって来た、C ・Dドライブもソフトやファイルで満杯状態、ファイルを外付けHDDに移したが、焼け石に水、状況は余り変わらない、買い替えの時期と思い、行きつけの家電量販店で、デスク型PCを買ってきた。

 初期設定をし、ネット メールも開き快調に滑り出したと思ったが、 ウインドウズ ビスタと10では内容が大分進化していて使い勝手が大分違う、八十路を過ぎて衰えた頭脳を駆使して苦心惨憺 四苦八苦して、何とか通常に使える様にした。

 或る朝通常に電源を入れたら、訳の分からに動画が出て、何処をどうしても消す事が出来ない、止む無く強制的に電源を切る、再起動したら「正常に起動できません」の表示に、「再起動すると回復するかもしれません」「修復オプション」と二つの表示、どちらを何を遣っても回復しない。

 メーカーへ電話したら、リカバリー(初期化)するしか方法は有りませんと冷たい返事、初期化はいいがそれまでの大切なファイルが消えてしまう、ある程度バックアップは取ってあったが、金には代えられぬ貴重な資料、是非共残したいが仕方ないかと諦めた。

 今の世の中PCがないと、外部情報やメール通信にも支障をきたす、スマホが有るがあまり得意ではない、止む無く以前PC教室で使った、ノートPCを引っ張り出し復活させたが、使い勝手が悪く、メールは受信はするが発信ができない、自分の思いつく手段を尽くしたが発信できない、プロに委託した、プロパイダーのサーバーにアクセス設定を修正した、素人にはとても出来ない事だ、素人が思い及ばぬ操作して復活した。

 リカバりするPCもファイルを来春草々復活させて呉れると言う、ファイル復活は嬉しい。
 
7年愛用したPC とてもよく働いてくれた
 
以前PC教室で使っていたノートPC 、日常使う為のソフトをインストール、ファイル保持用各種ホルダーを作り、使いやすくしたが、メールの受信はするが発信ができない駄物。
 
9月に買い替えたデスク型PC、買った時から不調で2ケ月で大クラッシュ、「正常に起動できません」の画面、何を遣っても復活しない、結局は初期化する外ない、12月15日世田谷のぼろ市へ行ったが、ぼろ市でも売れないだろう
 
表示されたオプション、何を遣っても復活しない、途方もない道楽息子を抱え込んだ気がする、PC3台有っても皆ガラクタばかり、来年は宝の山が欲しいものだ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

悪徳運転手

2017-12-20 08:42:23 | 日記
故意に遠回り
 
 先日友が亡くなり、所沢斎場で告別式が行われ、友と2人参列した、航空公園駅からタクシーを利用し斎場へ、航空公園駅前の道を直進、聖地霊園を左折して斎場へ、駅から最短距離だ、料金は1,320円これが通常のルートだ。

 葬儀が終わり、帰り斎場へタクシーに来て貰い、航空公園駅へ送って貰った、このタクシー悪徳運転手だった、来た道を其の儘通れば、車によっては少々の違いが出ても1,300円前後だろう。
 この運転手斎場を出て右へ曲がれば最短ルート、何故か北へ出て曲 がりくねった細い道を走る、同乗した友と話しながら乗っていたので余り不審を感じなかったが、どうも道が変だ、地名松下と言う所で広い道に入り、北原のスーパー「ヤオコー」の前を通り、市の水道施設を通過、航空管制室の交差点を右折して、航空公園通りへ出る、なんと随分迂回したものである。

 葬儀に参列した年寄り二人、地理不案内と見たのだろう、馬鹿にして料金稼ぎの迂回運転、どっこい此の辺はサイクリング 散歩で地理を知り尽くしている、航空公園駅へ着いたら1,700円超、帰りの運賃は400円も高い、これを繰り返したら、月間の稼ぎが大きく違うだろう、この運転者「一事が万事」この迂回運転は常習なのかも知れない、地理不案内の人は何の疑問もなく料金を支払うだろう。

 その日の勤務日報は手書きか、今は自動的に記録されるか知らぬが、日報を精査すれば、経営者も不正を見抜ける筈、それを見抜けぬ会社に発展はない。

 この運転手の名前も会社名も分かっているが、この会社の車には以後絶対に乗らない、会社経営者は従業員教育を徹底して、会社の信用を図るべきだ。


誘い2題

2017-12-18 14:23:22 | 日記
思いがけない誘いと恒例の誘い
 
 昨夕、もう10年以上も会わなかった義理の甥っ子から電話がった、名前を言われたが、言葉の不鮮明さもあり、何回か聞き返した、やっとご無沙汰していた甥っ子と分かった。
 その甥っ子が暫くご無沙汰してしまったので久しぶりに飲まないかとの誘い、この男50歳前後で血気盛り、酒も強い、食欲も旺盛だろう、小生酒量も食欲も極端に減少、ラーメンを食べに行っても、麺は2/3は残す、半ラーメン、餃子は6個で満腹、お付き合いも大変だが、思い出して誘って呉れたのは嬉しい限り、酒量も食も自分の適量で付き合い、甥っ子と楽しく飲み交わそうと思う。
 この甥っ子、東上線の志木駅の近くに住まう、ならば本川越駅改札で会うことにする、若いのだから川越駅から本川越まで来いよと言った、さてどんな店へ連れて行った呉れるのか楽しみ。
 老いた義理の叔父を思い出し、酒食に誘って呉れる、とてもとても嬉しい事だ。
 

 親友の同級生が、新春恒例の明治座公演に今年も誘って呉れた、1月29日か30日と言う、友の都合のいい日に決めて貰い29日なった、かぶりつきの席で、芸能人の声が生で聞こえる席で演技を鑑賞、出演者の演技に大いに笑い楽しむ、昼は大食堂で幕の内弁当を振舞われ、午後の公演も早めに終演、顔の皺が伸びたか減ったか分からないが、大いに楽しませて貰う。
 地下鉄で新宿へ直行、「思い出横丁」で一献酌み交わし、西武新宿線で友は東大和市駅へ、小生は新所沢駅へと別れる。
 もう5年も続く年間恒例行事、他人や友は大切に大事にしていると、楽しい事が増えてくる、人を大事にする事を何時も心掛けている。
 また来年も年明けから楽しい事が続きそうだ。

 
 
 
 
 
 
 
 
 

楽しい誘い二題

2017-12-09 10:50:15 | 日記
その1
 小生 比較的大きな組織の会員になっている、その会員が同じ趣味を持つサークルが幾つかあり、小生も2つの会員になっている、自分が会員でないサークルも飛び入り歓迎で、時には飛び入り会員になって、そのサークルの人と行動を共にして会話を楽しみ、昼食を共にし、親交を深めていた。

 そのサークルが忘年会を企画し、飛び入り歓迎をHPに掲載した、その会の企画に何回か飛び入り参加して行動を共にしているので、皆さん顔見知りだが、会員でないので、忘年会の飛び入り参加は申し込まなかった。
 
 親しき同級生が「スーパーオールド」と言う、確かにそんな年齢を実感する今日この頃、酒量は落ち食が極端に細った、そんな状態で、酒も飲めず食べられなければ、参加しても楽しくある筈がないと思っていた。
 先日その会の人から忘年会に参加しないかと誘いの電話があった、人は他人から嫌われていたら決して誘いはないだろう、このサークルの人達が、あの人に声を掛けようと言って呉れた事は大変嬉しい事だ。
 譬え余り飲めず食べられなくても、心温かい人達と会話して、心の交流が出来たらこんな良い事はない、雰囲気で酒も飲め食も進むかもしれない、11日の忘年会が楽しみだ。
その2
 親友とも云える同級生、此の男スーパーオールドなのに何処にそんな活力が潜んでいるのか、老人向け運動の指導 福祉介護の何か資格を取り指導 御嶽山ボランテア 写真クラブの撮影会旅行 地域の役員を遣り、一ヶ月空いた日が少ない彼氏、21日空いてるから忘年会を遣らないかとメールが入る。
 この同級生とは年何回か飲む、お互い小遣いには不自由ないから、旬の旨い物を肴に適量酌み交わし、国民学校時代から80年来の友、ざっくばらんで話題は尽きず。
 せっかくの忘年会2人だけでなく、いつものメンバーに声を掛けたら2人が都合が良いと言う、会合場所は所沢と言う、となれば小生幹事か良いだろう、中野区 朝霞市 東大和市から集まってくる、これも一つの提案から、予定がなかった忘年会、スーパーオールドが4人集まり、旧交を温める。

 思いがけない忘年会が2つ飛び込み、大いに親交を温めたい。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

先見の明?

2017-12-05 13:49:24 | 日記
備えあれば憂いなし
 

 平成22年秋口に, 近くにある「島忠ホームセンター」で、電気を使わないアナログの、芯上下式の石油ストーブを、8千数百円で自分の小遣で買ってきた、今は電気で総て物足りているのに何でこんな物を買ってきたと妻が怒った、だが自分の小遣いで買ったのだから、幾ら怒ろうが文句を言おうが、家計には響かない、文句を言われる筋合いはない。

 では何故時代に逆行してアナログストーブを買ったのか、今は電気万能時代、炊事 洗濯 冷暖房 電気が無ければ何も機能しない、もし電機が無ければ、生活は混乱を来す、何か大災害が起きたらインフラに支障を来す、電気に頼らない熱源と水が有れば人間生きられる、最低限だけ用意して置くと言う漠然とした思いが有って、無意味と思はれるアナログストーブ買ったのかもしれない。

 そんな思いが翌年3月11日に現実として的中した「東日本大震災」だった、関東地方も電力不足で計画停電が始まった、3月初旬と言えばまだ寒い、電気を使わないアナログストーブが活躍、停電で照明に懐中電灯の乾電池が、底をつきどの店へ行っても、乾電池売り場は空っぽ、小生全く慌てない、乾電池が無ければ蓄電池があるじゃないか、島忠で軽自動車用バッテリーを買って来た、電気が来ている時に充電、LED電球を居間と台所に配線、明かりと暖房は確保された、幸いガスは供給されていて、煮炊きも確保された。

 東日本大震災の後使われずに邪魔者扱いにされていた、アナログストーブが今日役に立った、電気工事で午後停電する、旧式ストーブの出番。

 何時か役に立つだろうと捨て難く、収納場所を取る、だが思はぬ時に役に立つことがある、そんな事で古い所帯はガラクタが増える。

 
6年間眠っていたストーブも役に立った、保管がいいので新品同様
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

年寄りはお金持ち

2017-11-29 13:49:38 | 日記
 やっぱりなじんだ家がいいか

 我が家から徒歩10分足らずの所に老人ホームが建設された、12月に入居開始と言う事で、まだ予約されていない空室の内覧会案内広告が入った、どんな住まいが提供されるのか、その費用はどのくらいか知りたくて案内会に参加した、アット言う間に30人超見学者が集まる、皆さん凡そ70歳上くらいの年齢の人達、皆さん大いに関心が有りそう、係員の説明を聞く、全居室50部屋以上あり既に17室が契約済み、5室が商談中と言う。

 誰も一番に知りたい事は入居一時金 毎月の経費だろう、その説明があり、居室へ案内される、1LDK 39,47m2 一時金¥2,120万円  2LDK 60,85m2 一時金¥3,690万円、各部屋コンパクトで機能的に作られている、各居室のリビングは床暖房が施されてる、風呂場 洗面所 トイレ洗濯機置き場少し手狭の感じだが、うまく配置されている、1DK は独身用か、2LDKなら老夫婦の余後を過ごすにはいいかもしれない。

 仮に2LDKで試算すると、契約時支払い一時金 ¥3,690万円は振り込むと同時に15%が会社の収入、残金が10年分の家賃になる、因みに計算すると、

3690万円-5,535,000=31,325,000÷120=261,041円

           毎月の家賃  ¥261,041円
             管理費  ¥151,200円
           食費2人分  ¥123,060円

電気 水道 新聞  テレビ ネット代 仮に¥20,000として¥555,301円
 毎月の経費が上記の通りかかる、我が家ではとても払い切れない額だ、だが家賃は一時金で振り込んであるから、毎月の支払額は294,260円になる。それにしても此のハウスへどんどん申し込む人がいる、皆さんお金持ちだ。


 仮にこの老人ホームに転居となると、収納場所が狭く、現在タンス3棹、本箱1棹、整理タンス1棹、台所の大型食器戸棚2棹、玄関の大きい下駄箱、応接間のサイドボード、応接セット、座卓、間口1間奥行き半間天袋付き押入れが4間あり、各押入れが満杯、車庫兼物置には古い本箱に、工具、テープ、補修用具があり、居間の茶箪笥くらいは持って行けるとしても、90%は廃棄するようだ、業者に頼めば数10万円掛かるだろう、そして引っ越し費用、業者に頼めば全て遣ってくれても、この年になると引越しはきつい。

 マンションを購入すれば、自分の居室は所有権が有り、自分の財産だが、老人ホームは一時金数千万円払っても、それは家賃になるから、所有権はどこにも存在しない、一時金が10年分の家賃になるが、10年後もホームに住み続ける事は出来る。
 もし何かの都合で、入居後仮に5年後にホームを退去しなければならなくなった時は、家賃残5年分は全額帰ってくるが、部屋の汚れを入居時の様に補修しなければならず、その費用はどのくらい掛かるか、残額返金はあまり多くは期待できないかもしれない。 

 
入居時費用と毎月の経費
 
一番広い居室、収納場所少なく、家具もあまり置けない
 
食堂 365日毎食レストランで食事をしている様で、常に他人の目があり、会話も入ってくるだろう、家族で静かに食事を楽しむとはいかない。
メニューは事前に表示され、好みでなければキャンセルできる、
 
談話室 親類 知人 友人等が訪れた時ここで歓談する
 
大浴場 ここを利用すれば管理費に含まれる、だが居室の風呂を利用すれば、給湯代が掛かる
 
流し場も広い
 

収納場所が少ない、この他もう一か所あり

 
トイレ 風呂場 洗面所 洗濯機置き場コンパクトに収められている
 
毎月の食費を節約するには、自室のキッチンを利用して炊事する.
 小さなシンクにIHのヒーター、調理台も水切り台もない、流しの脇に冷蔵庫を置けば一杯、炊飯器 電子レンジ オーブントースターは別途何か台を置かなければならない、毎日の食事となれば、冷蔵庫を使わない食品も多く、調理小物なども増えてくる、毎食事を作るのは無理かな、寛ぎの間に台所用品が並んでいたら、ちょっと艶消しだ。
 
ベットでなくても布団でもいい、布団なら日中片付けられる、
 
各居室から一歩廊下へ出ればそこは公共の場所、50数室の住民全てと仲良くなり、笑顔で挨拶できればいいが、人間感情の動物、気が合わない、虫が好かないと思う人もいるだろう。
 戸建て住宅で家が離れていれば良いが、 一つ屋根の下に住んでいると、廊下、食堂 ラウンジ、風呂場何処で顔を合わせるかわからない、それもチョット気が重い。
 見学に行って色々な事が分かった。
庭の花木を楽しみ、ゆとりある各部屋でお互い好きなことを遣り、堀炬燵の部屋でお茶を飲み、食事をして、夜は2台のテレビで好きなチャンネルを見る、互いにあまり干渉しない、こんな生活が老人ホームに移ったらがらりと変わる、狭い居室で四六時中顔を突き合わせて居ると、鬱陶しく感じる時もあるだろう、年を取ると新しい環境に中々なじめない、長年やってきた生活様式が一番いいのだろう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

使い捨て

2017-11-22 10:58:39 | 日記
 

 戦前 戦中 戦後を生き抜いてきた小生、昭和10年代支那(今の中国)事変は拡大して、 支那大陸に広大な戦域を広げていた、米英との開戦の危機をはらみ、戦時体制で物資は極端に不足していた、衣料品 米などは配給券が支給され、その点数がなくなると買えなくなる、国の標語で「贅沢は敵だ」と言われ、物資不足の耐乏生活を強いられた。

 衣料品は切れた所は縫い合わせ、穴の開いた所は継ぎを当て着ていた、当時は誰もがそうだから恥ずかしくなかった、家庭用品なども壊れれば修理して使い、完全に使えなくなる迄使った、物は修理して大切に使うものと教え込まれ、少年時代の教えは年をとっても脳に焼き付いている。

 戦前から戦後少しの間「鋳掛屋(いかけや)」という商売があった、鍋 釜 薬缶等台所用品の穴の開いた部分を穴埋めして、大きく傷んだところは別な金属を当て修理する商売で、路上の一角で店開きすると、近隣の主婦が痛んだ鍋や釜を持って来て修理した、小生子供の頃は日常茶飯事に見られた風景だった、今の人に「鋳掛屋」などと言っても何の事か分からないだろう。

 戦後高度成長期を経て物資が豊富に出回り、衣料品 家庭用品 電化製品は故障しても、修理ではなく買い替えが定着した、戦時中「贅沢は敵だ」と国の標語に対し、素の字を足して「贅沢は素敵だ」という言葉が生まれた。

 この物資が豊富で何でもある時代、修理して使おうなんてことが古い頭なのかもしれない、修理より買い替えた方がずっと得という体験を屡々する。
 以前 H25年9月にブラウン製電気剃刀を¥9,480で買った、風呂場で髭を剃ることが多く、電気剃刀はさほど多用しないが、先日使っていた時痛みを感じ、見たら上刃が破れていた、たった4年しか使わないのに。
 近くの家電量販店へ、替え刃を取り寄せて貰うよう頼みに行った、価額は4千円を超すという、同じブラウンのほとんど同型の新品が、¥5、162で陳列されている、上刃が破れることは下刃も摩耗している、ならば千円ほど足せば新品が買える、迷わず新品を買った。

 5年前1万円近い物が、性能がが向上していて半値に近い、そうゆう事で使い捨て時代になったと実感する。

 
左のが古いので、右のが新品、型はほぼ変わらず、性能は向上している
 

戦前にはどこでも見掛けた鋳掛屋職人
ウイキーペデアより拝借写真 

 
 
 
 
 
 
 
 

工場見学

2017-11-16 11:31:15 | 日記
マヨネーズ工場 サントリービール工場
 
 史跡めぐりの会に参加させて貰っている、10月には東大和市駅前の「東京都 薬草植物園」と「森永乳業多摩工場」へ案内された。

 今回は京王線仙川駅に近いキューピーマヨネーズ「マヨテラス」と府中にある「サントリービール武蔵野工場」へ連れて行って貰った、ビール工場の見学は工場案内の後、ビールの試飲が楽しみのひとつ。
 
今回は工場見学が2つあり少し早めの、所沢駅構内に8時集合、集まった会員は今日は21名、リーダーから今日の行程に就いて説明が有る
 
幾つか電車を乗り継ぎ、京王線仙川駅から歩いてほど近い所に、キュ-ピーマヨネーズのマヨテラスがある、広い敷地に大きな建物の工場群が立ち並ぶ、大企業はどこも同じように、正門を入ると広い敷地が公園風に整備してある、資材を搬入する大型トラックがひっきりなしに行き交う。
 
キューピーマヨネーズの容器を巨大化した施設前で工場内の案内説明を受ける、
 

工場案内もモニターを介した説明が多く、ガラス越しに工場内を見られるのは、2~3箇所、今は完全自動化され、工場内には人影が見えず、時折モニター監視の人が見えるだけ。
 卵を割る設備は1分間に700個を割り、瞬時に卵黄 白身 殻を分離する、殻は良質なカルシュームとして医療に活用、薄皮も有効利用されている、白身は当然栄養価高い食品に加工されている、卵って全て利用され捨てるとこ何もない優れた食品だ。
 マヨネーズの容器は酸化防止の為、薄い各種機能を持ったフィルムの4重構造になっている、知らなかった、

工場内は人影が無く、時折 モニター監視の人が見回りする、
 
工場案内が終わった後、食堂で野菜サラダに、今はバジルソース他沢山のドレッシングがスーパーに並んでいる、マヨネーズに蜂蜜 ジャム 各種ドレッシングを和えて食べる試食会、同じ野菜サラダでも、マヨネーズと各種ドレッシングを和えると、こんなに味が違うんだと教えられた、食の楽しみが増えた、この野菜サラダの提供を受けほぼ満腹。
 
マヨテラスからのお土産、これも一つの楽しみ
 
キユーピー工場見学の後、仙川駅近くの「天狗」で昼食時間、肉豆腐天ぷら定食が出た、キューピーで野菜サラダをご馳走になったので、ほぼ満腹、周りの人が小生の酒好きを知っていて、〇〇さん酒飲まないのと言ってくれる、飲みたい気分全くない、肉豆腐少々、天ぷら二つ、御飯 漬物 サラダ全部残す、腹一杯で飲める雰囲気ではない、肉豆腐 天ぷら定食、全く箸が動かない
 
府中の武蔵野サントリービール工場へ、広い敷地に瀟洒な入口
 
工場案内を終えた後、ビール試飲会、一人3種のビールを一杯ずつ3杯飲める、マヨネーズ工場での野菜サラダ、天狗での食事 いくら酒好きでも腹に入る余地は殆どない、まわりの女性が、私の分も飲んでと言ってくれるが、一杯も持て余していたが、隣の人がこれは味が変わって旨いから飲めと勧めてくれた、確かに旨かったが、胃の膨満感が邪魔して、飲み切るのが辛かった、健全の人は各種味を楽しんでいた
 
ビールと言うのは注ぎ方によって、泡がキメ細かく、とてもクリーミー、レストランなど行って生ビールを注文しても、これほどきめ細かいビールを提供してくれる所はない、ビールの注ぎ方の講習をしていた、流石ビール専門のところだ