寂しい限りである |
昨年末から小遣いが減らない、昨年12月から今年に掛けて、毎月2万円に満たない、今迄2~3倍使っていたのに、小遣いが減らないのは寂しい事である、お金は使ってこそ楽しいが、使う所が無くて減らないのは、人との交流も減り、美術 芸術鑑賞で博物館 美術館巡りして、帰りプチ贅沢をして外食も楽しみの一つ、最近は小食になり外食も減った、こんな事も高齢化で出不精になったせいか。 |
純粋にスポーツを楽しみたい |
過去戦前戦後に於いても政治が大きく関与したオリンピックが幾つか有った、全世界の国々が一堂に会して行うスポーツの祭典、政治的に何かと利用するには絶好の機会かも知れない。 |
食べられなくなった |
若くて現役の頃は欲が一杯だった、社内に於いて少しでも地位の向上を図り、人の上に立ち、給与も上げて老後の備えと、我武者羅に働いた、その努力分は報いられた。 そんな欲望に燃えている時が人生の絶頂期かも知れない、若い時は目標が何であれ、努力すべきだ。 人間の欲望 名誉欲 権力欲 金欲 物欲 食欲と多くの欲望が有るが、限り無くあの世に近い年齢にななると、何の欲望も無くなったが、せめて旨い物を食べたいと、残るは食欲のみ、その食欲が1年少し前から急激に減退。 月に何回か友達と食事をする事が多かった、だが同じ物を注文して、小生半分を残してしまう、一緒に食事している人にとっては、余りにも小生の小食に気を使ってしまう、そんな事で友人との会食も少なくなった。 最近外食は殆どしない、例えばハミレスでハンバーグ定食を頼んでも、ご飯抜き単品メニューそれも付け合わ野菜は食べるが、ハンバーグ3分の1は残してしまう。 ラーメン店でも、野菜そばを頼んでも、野菜を食べなければと野菜を食べると、麺はほんの少しで腹一杯、麺は残してしまう、店に申し訳ない。 家の近くに「餃子の王将」や中華チエーン店「日高屋」が有る、此処は小食の人にやさしいメニューが有る、半餃子 半ラーメン 半チャーハンがある、小生そのメニューで満腹、200円の半ラーメンで満腹,、安い人生になった。 最後に残った食欲も無くなり、総ての欲を無くした人生とても気楽だ、だがあの世が限りなく近くなった、食欲も無くなりやがて「即身仏」にでもなれたら最高の往生だ。 |
日高屋の半ラーメン、丁度いい量だ |
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確定申告も楽になった |
2月から3月に掛けて確定申告が有る、今から10数年前になるだろうか、源泉徴収票の額を、税務署発行のマニアルを見て、課税対象額を計算して記入する、その課税対象額から、医療控除 保険控除 扶養控除 基礎控除 総てを計算して手書きで記入、ぼんくらの小生そんな計算等で一日掛になってしまった。 もり かけ問題 蕎麦屋的次元の低い談義ではない、加計さん 奥さんの昭惠さんも国会へ呼んで、はっきり証言してすっきりして、秋の総裁選へ望んだら、のらりくらり答弁は許されぬ、はっきりしてくれ。 |
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一日大いに楽しんだ |
毎年此の時期なると、親しい友から明治座へ誘われる、今年で6回目だ、今年の公演はコロッケの「水戸黄門漫遊記」他物真似2部。 招待券で座席の指定は無いので、良い席を取るには早く行って並ばなければならない。 友が早く行って並んでいると言うが、友にだけ苦労させる訳にはいかないので、自分でも6時半家を出た |
浜町駅を出ると目の前が明治座、明治座入口にコロッケのオンパレレード、巨大写真が飛び込む |
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小生8時に明治座へ着いたら、1階廊下から2階 階段上まで並んでいる、友は先頭から10人目くらい、一体何時に来たのだろう、館内暖房だけでなく、ストーブを各所に置いて暖房を利かす |
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9時15分座席券交換が始まる、S席1列19番と20番最前列のど真ん中、良い席が確保できた、友が早く来て並んで呉れたお陰だ |
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役者の声がマイクを通さず生で聞こえる |
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開幕まで時間が有り、明治座売店へ、女性達がこれでもか これでもかと、そこを通るたび何回でも試食品を勧めてくれる、酒のおつまみの瓦煎餅を貰う、色々なお菓子の味を楽しめて、売店見学も楽しい |
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開幕前に先ずは一杯、緞帳が上がると撮影禁止 |
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第一部笑いあり、お涙頂戴の人情喜劇「黄門漫遊記」1時間半が終わり、客席の半数が食堂で提供される幕の内弁当に舌鼓 |
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2部女性歌手の物真似、物真似第一人者というが、真似る歌手の名前も題名も分からず、上手かどうか小生には分からず |
3部はコロッケの物真似独演、顔も歌声も全くその歌手になり切っている、笑い有りトーク有り大いに楽しむが、鶴田浩二物真似は、耳に手を遣り顔も鶴田浩二になり切り、歌い終わった時思わず大きな拍手、他の歌手の歌も迫真の演技、芸人とは言え芸もここまでくると感動する |
3時終演だったが、コロッケの人生論を滔々と20分以上話す、人は愛を以て人に接すれば、他人も必ず愛を持って接してくれる。 自分でも心を開いて人に接すれば、人も心を開いて接してくれると思っている、大いに共感した。 多くの芸能人の物真似をする、その人皆に許可を得なけらばならず、人との折衝で得た人生訓なのだろう、一つの公演の座長としての責任感、矢張り一家言を持っていた。 今迄単なるお笑い芸人と思っていたが、こんな素晴らしい人生観を持っていたのだと、改めて見直した。、 |
帰りは森下へ出て大江戸線で新宿西口で降り、思い出横丁友の馴染みの店「岐阜屋」へ気楽な店で、もつ煮込み、レバニラ炒め、餃子とささやかなおつまみで、ビール、梅入り酎ハイ2杯づつ、ほろ酔い気分で電車で40分家に着くのは小一時間掛かる、丁度いい量だろう |
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思い出横丁を出て、西武新宿駅で電車を待つ時は、高層街にも、明かりが灯り始めていた |
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朝早くから観劇の為いい場所取り、売店での試食、親しき友と劇を楽しみ、大いに笑い感動し、食事を楽しみ、帰宅前にささやかな酒宴、終日大いに語り合い、とても素敵な一日を作ってくれた友に感謝し、至福な一日を過ごした |
ボッコボコに遣られた |
前回、道祖神のとんと焼き櫓造り、子供としては一大事業で、同級生 先輩 後輩皆が力を合わせなければ出来ない事だ、みんな仲良く楽しんで事業を完遂させた、その地元の生徒達と仲良くなるには、大変な試練が有った。 東京からの疎開者は、田舎の生徒の仲間になるには、強烈な洗礼を受けないと仲間入り出来なかった。 その理由は、昭和19年当時の田舎の生徒は、ほとんど洋服だったが、中には筒っぽの着物の子もいた、女子生徒の中には弟や妹を背負って授業を受けるのもいた、教科書ノート筆箱等教材は十文字に縛って、他の教材や弁当は袋に入れて持って来た、履物は自家製草履か下駄だった、ランドセルの子は居なかった。 疎開者は、学童服に学帽、ランドセル、運動靴を履いて登校、田舎の子と疎開の子と服装の差が有り、その事だけではなく、他にも何か反発するものが有ったのだろう。 学校の脇に古墳を思わせる高さ10m程の小山が有り、頂上は狭いながらも平地が有る、疎開して暫くすると、昨日山で疎開者が地元生徒に総殴りに遭ったと聞かされ、そんな事を何回か聞いた、何時自分に番が回って来るか、心が慄いたが運命の日は来た、「放課後山へ来い」と宣告された。 山へ行ったら獰猛な顔付きの奴等10人程に囲まれた、これはボコボコにされるなと覚悟した、兎に角我武者羅に暴れ回り、鼻血を出す奴、唇を切る奴、痣が出来る奴、だが多勢に無勢たちまち抑え込まれボッコボコ、頭は瘤だらけ鼻血、痣、ポケットは千切られボタンは全部取れて、大の字にひっくり返っていた、悪童共これで良しと引き上げた。 小学校正門前に村役場が有り、叔父が兵役係で勤務して居た、取り敢えず叔父の処へ行った、親元を離れそうでなくても心細いので、叔父の顔を見たら一気に涙がこぼれた、役場の女性が傷の手当をしてくれ、叔父が帰って洋服を繕って貰えと言って呉れた。 疎開者が受けた暴力事件も10数件に及んだが、当時吉岡校長と言うのが居たが、これがどうしようもない校長、何の改善策も講じないで居たが、見兼ねた父母 村民から暴力阻止を学校へ申し入れた、暴力行為は止んだ、この校長も後に更迭された。 暴行を受けた小生としては腹の虫が収まらない、何か復讐をと思うが腕力では多勢に無勢敵わない、 だが意外と早くその機会が訪れた、ある朝登校すると、暴力を振るった悪餓鬼3人が宿題遣って来たか」と言う、「遣って来たよ」と答える「見せて呉れ」という「宿題は自分で遣るもので、見せる物では無い」と突っ撥ねる、さらに見せて呉れという「ヤーダヨ」と断る、悪餓鬼も先生に怒られるのが怖いらしい、さらに見せて呉れと懇願される、此処で完全に主客転倒した、宿題を見せてやる、こんな事がきっ掛けで暴力を振るった悪餓鬼と交流が始まる。 当時戦争は末期、ガソリンが無くて、松の根っこから松根油を採るため、樹齢50年を越した松の木の根っこ堀りに動員された、小学生には重労働である、疎開者の小生祖母が用意して呉れた弁当を持って参加した、祖父母は農家だったので食料は不足なかったが、疎開者と言う事で、暴力を振るった悪餓鬼が、「俺お握り余分に持ってきた、これ食えよ」とお握りを呉れた、他の者も俺も持ってきた遣るよと言って呉れた、完全に悪餓鬼との心が繋がった、嬉しかった。 悪餓鬼達も本当は心根は優しい、都会の子と田舎の子と肌が合わなかった鬱憤を晴らし共に仲間だという、暴力行為も仲間入りとしての洗礼だと今は思っている、その仲間達と野球チームが結成され、山梨県下中等野球大会で優勝した、もう70数年前の痛みを伴う楽しい思い出である。 |
第一回山梨県中等野球大会優勝記念 真ん中は温厚篤実な斎藤校長先生、後列に並ぶ一番背の高い今で言うイケメン先生が担任、目を掛けて呉れた佐藤先生、前列に座っているのが暴力を振るった悪餓鬼共、真ん中立っている左から2人目が小生、この時は暴力沙汰の恩讐を乗り越え、とても良い友達だった。 |
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今でも行われているのか |
昭和19年から20年に掛けてB29の空襲が激しくなり、学童疎開が始まった、東京の学校では絶対体験出来な事を田舎の暮らしで、数々の貴重な体験をした。 昭和21年正月7日門松が取れると、中学生がリヤカーを引いて全戸を回って、門松を初め、注連縄、牛蒡連縄、縁起物、昨年神に祀った飾り物一切を回収して歩く、その家に依っては、米を少々とか餅を幾つか、或いは現金を呉れたりする(当時戦後の大インフレが始まっていて、幾らだったか)集めた正月用品はの倉庫に保管。 田んぼの真ん中に小さな祠の弁天堂があり、敷地200坪くらいだったか、周りの田んぼは、2毛作の麦あり、灌漑用の小川が流れ、ドントを燃やしても延焼の心配はない。 ドント焼きの柱になる木を、土手の補強に植えられたポプラの比較的真っ直ぐな枝3本切り出す、子供達だけの為危険防止に、青年団か大人何人か立ち会ってくれる。 10日頃になると4m程のポプラの枝を立ち上げ、3層に分ける、この時も大人が助言して呉れる、子供主体なので余り手を出さない、一番上は、火持ちを良くする為河原で拾った流木や薪類を詰め、2層目は比較的燃え易く火持ちする物、一番下は藁、豆殻、胡麻殻など火付き良い物を入れる、櫓の周りは門松で飾り緑でとても綺麗だ。 12日頃には完成させ15日のドント焼きに備える、だが何時の世にも悪い奴は居るもので、完成したドントに15日前に火を付けるのがいる、実際15日前に燃やされてしまった例もある。 放火防止に一番下の層に、筵や毛布で囲い防寒して、布団を持ち込み、蝋燭の明かりの中で、集めた餅やご飯を炊いて食べる、寒い中3~4人が雑魚寝で泊まる、3晩くらい泊まるが、子供心には何か冒険をして居る様でとっても楽しい行事だった。 15日の夕方になると、の人達が集まり、数百人の輪が出来る、子供達だけで綺麗に作ったドントに、自分達が火をつける、何故かとっても誇らしい気分になる、子供達だけでドントを作り、大人が見守ってくれ、子供の成長を確かめるのだろう。 火が付き勢いを増すと、書初めを棒の先に吊るし火にかざし、上昇気流に乗って高く舞い上がると、字が上手になると言われる、少し火勢が静まると、柿の枝に刺した繭玉や餅を焼いて食べる、火勢が衰えると村人も三三 五五帰っていく、我々は小川から水を運び火を消す、大人が完全消火したのを見届けて解散、七草以後一週間ばかりドント焼き造りをして、一つの行事を完成した。 この後お天神講と言うのが有って、の宿になった家で、集めた米や食品を使い、お母さん方が集まり、赤飯 汁粉 その他沢山の料理を作ってくれ、ドント焼きに関った子供達にご馳走してくれる、大人達も集まって酒宴を張る、こうゆう事が村人の絆なのだろう。 田舎へ疎開したから出来た事、とてもいい体験だった。 |
日没近く櫓に点火 |
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1月の乾燥時期たちまち燃え上がる |
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宵闇が迫ると火の明かりが鮮やかに |
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櫓も崩れ火の塊に、相当な熱気で近付けない |
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書初めも燃やし、繭玉を焼く ウエブ上の画像を拝借 |
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東久留米七福神巡り |
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毎年初にウオーキングの会で、都内はじめ近郷の七福神めぐりに連れて行って貰う、そのご利益かも知れない、毎年風邪一つ引かず無病息災で過ごしている。 今年は西武池袋線の東久留米駅周辺の七福神を巡った、駅前広場は整備され、マンション群が建ち並び、瀟洒な家が軒を連ね整備されていい街並みを見せている、こんな市街化された街中に落合川 黒目川二つの清流が有る、どちらも湧水を水源として、透き通る流れに鴨 白鷺が羽を休め大きな真鯉 緋鯉も散見できる、川沿いには遊歩道も整備され、流域には原風景を思わせる自然も多く残っている。 東久留米周辺にはこれという有名寺院はないが、各寺院其々の趣が有る、特に大圓寺は広大な寺域を有し、本堂 山門 鐘楼 伽藍を有し、開山から1,100年以上経つ古刹だ、このお寺、寿老人、福禄寿、恵比寿大黒三福神を祀り、七福神巡りも五つのお寺を回れば済む、7寺回らずに済み大変楽だった。 人間歩くことが一番の健康法、総ての欲から解放され後に残るのは健康、元気でいれば楽しい事が一杯ある、この七福神巡り19,000歩 歩いた、足腰が鍛えられ体も丈夫になる、この健康が七福神が与えてくれたご利益なのかもしれない。 毎年各企画をしてくれるリーダーに感謝している |
多聞寺 |
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落合川流域に残る自然風景 湧水場所 |
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米津寺 (べいしんじ)![]() |
千年以上経た古刹 大圓寺 三福神が祀られている |
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市街地の中の清流 黒目川 |
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法泉寺 |
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淨牧院 |
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立派な山門 |
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外見も内容も同じ物を |
外見は鏡餅、中身は鏡餅の意味をなさない切り餅、神を欺く内容に驚いた、年間を通して、スーパー等で切り餅を売っているメーカーだ、今年から此のメーカーの餅は一切買わないことにする。 |
中型お供えは型の通りお供えの格好をしている、大型お供えも形は悪いが、お供えの形(外見だけ)をしている写真を撮って気が付いたが、中型お供えと、大型お供えの色が違う、中型は透明で内容が分かるが、大型はコーテイングされているようで中身が見えない |
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矢張りからくりが有ったか、大型お供えから出て来たのは、切り餅七個、今年は11日の鏡開きのあられ切りの作業が無くなった、中型お供えは切り餅にする |
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v |
縁起物を途切らせると |
40年程前友人に川越(北院)喜多院初大師参拝に誘われた、正月3日が初大師、大変な賑わいで拝殿から山門を経て、一般道まで6列に並んだ長蛇の列、参拝迄1時間超を要した、友 数人とお喋りしながらで良かったが、何とも寒空の下無駄な時間を費やした、参拝後 家内安全お札、交通安全お札、縁起物の達磨を買った、この達磨を買った為に、40年間川越へ通う事になった、3日初大師は参拝者が多くて、時間の浪費、日にちが違っても、ご利益は変らないだろうと、2日早朝に達磨収めに行くのが習慣になった。 因みに40年前は写真の達磨の値段¥800程だったか、年を追って随時値上げされ、今は¥2,500する |
新規購入達磨、まだ目玉が入らないこの後直ぐ、一年間の願い事を込めて、目玉を入れる |
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喜多院の達磨収め処には、多くの達磨が収められている、中には黒目が小さく白目ばかり目立つのが有る、白目が多いと少し不気味だ、達磨さんの目は白目を少なく大きく入れてやる方が、迫力が有る |
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