私の70代

愈々90代に足を踏み入れ、人生の最終ラウンドに入った想いです。野菜作りとパソコンにも向き合っていきます。
 

菅原伏見東稜に再会

2012年11月15日 | 旅行

 今回の『百舌鳥・古市古墳群を訪ねて』で、第11代垂仁天皇・14代仲哀天皇・15代応神天皇・16代仁徳天皇・17代履中天皇・18代反正天皇と6人の天皇陵を廻った事になります。古代の古事記・日本書紀の時代になる訳ですが、1.500年余前の時代を歩いている感覚は全くありませんでした。
 
 ただ、弥生時代後半から古墳時代にかけて大陸との交易で、文化・技術・人材(移民・帰化)を取り入れて、仁徳陵に代表される広大な前方後円古墳があり、銅・鉄製の出土品があることを感じていました。

 私が、60余年前車窓から眺めた”前方後円古墳”は百舌鳥・古市では出会うことはありませんでした。が 古市古墳群で案内地図が解り辛くて「宮内庁古市陵墓監区事務所」を尋ねた時の若い職員さんの一言でした。『貴方のさがして見える古墳は、〇〇線の・・・?』 その時は、古墳めぐりの道順を聞くだけで気にも止めませんでした。が、最後の5日目(10月29日)は朝から帰るだけの予定で・・・、例年だと奈良か京都の社寺を一社ぐらい廻って帰るのですが、その元気もなく・・・しかし、心残りで・・・『貴方のさがして見える古墳は、〇〇線の・・・』を思い出して電話をしてみました。
 「貴方に対応した職員は今日休みをとっています。一度連絡を取って又連絡をします」・・・直ぐ返事がありました。それは、”垂仁天皇陵”で電車の窓から見える古墳と思われます。近鉄橿原線”尼ガ辻駅”で降りて直ぐ近くにあります」でした。
 奈良で、今居るところから近い!!バスと電車を乗り継いて”尼ガ辻”には約1時間で着きました。

     
   すぐ横を走る電車の窓からも、綺麗な墳形を見せています。 菅原伏見東陵 『宝来山古墳』です
  全長227mの前方後円墳で広い周濠が印象的な綺麗な古墳です。
  後円部径123m・高さ17.3m、前方部幅118m・高さ15.6m周濠を含めた全長は330mにもなります。
  (上の写真・文はインターネットから)

   駅を降りて西え少し歩くと三叉路に「垂仁天皇陵南え二丁」の石柱がたつていました。(約200m)家並みはすぐ途切れて田畑が広がり、緑の水を湛えた広い濠と緑の墳丘が見えてきました。

     

     

     

     
 濠周を歩きながら『この前方後円古墳に間違いない」』と確信しました。堺や古市と違って古墳の廻りに田園風景が広がっているのに安堵もし、本当に”来て良かった”と思いました。 

  
 歩いた道に『歴史の道』の石柱が立っていました。垂仁天皇陵から唐招堤寺そして薬師寺に通じていることを知りました。古墳から20分ほど歩いて近鉄橿原線の踏切を超えると覚えのある唐招堤寺が見えてきました。道を右にとると薬師寺があり、西の京駅があります。この二寺には、過去数回以上来ているのにバスや自家用車で、狭い歴史の道を通ることは無く、こんな近くにあったのに知らずに来たわけです。西ノ京には向かわずに近いバス停を選んで奈良え帰りました。疲れていたからです。
 
 JR奈良線の車中で、遅い昼食をとりながら”淡い感傷に”したっていました。昭和の初期に生まれて、あの戦中・戦後の厳しい環境のなかで、ほんの数秒ですが、車窓から見た前方後円古墳の美しさが脳裏にやきついていました。60余年過ぎて会いまみえることが出来た訳ですから・・・。
 最近特に意識することがあります。戦後生まれの人が老人の仲間入りされる年代になった事です。 『よくここまで、来たもんだ!!』が実感です。
 70歳半ばでパソコンを覚えて、現役時代には夢にも思えなかった老後を送っている思いです。

   


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1 コメント

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Unknown (クリス)
2012-11-20 20:35:09
古墳めぐり頑張りましたね。
写真が素敵に撮れていますね。
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