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『孟子』巻第八離婁章句下 九十二節

2018-02-15 10:25:04 | 四書解読
九十二節

孟子が齊の宣王に告げた。
「君主が臣下を自分の手足のように大切に思っているなら、臣下も君主を自分の腹や心のように大切に思うものでございます。君主が臣下を犬や馬と同じように思っているなら、臣下も君主を単なる路傍の行きずりの人ぐらいにしか思いません。君主が臣下を土塊やあくたのように思っているなら、臣下も君主を仇のように思うものでございます。」
王は言った。
「礼には、以前仕えた君主の為にも喪に服すべし、という定めがあるが、どうすれば、そのような礼儀を重んじた臣下を得られるのか。」
「ここに一人の臣下が居り、諫言進言がよく聞き入れられ、その結果君主の恩沢が人民に及ぶようになりましたが、たまたまやむを得ない理由により國を去ることになったとすれば、君主は護衛を付けて国境まで送らせ、往く先々まで事前に連絡して便宜を図り、三年間は其の帰りを待ち、それで帰ってこなければ初めてその領地を回収いたします。これを三有禮と言いますが、このように君主が礼を尽くせば、臣下もこの君主が亡くなれば喪に服すでしょう。ところが今は臣下となっても、諫言も進言も聞き入れられず、君主の恩沢は人民に及ばない。しかもやむを得ない事情により国を立ち去ろうとすると、捕らえて国から出そうとしない。幸いに出られたとしても、往く先々まで追いかけて苦しめる。しかも国を出たその日のうちに、領地を取り上げてしまう。こういうのを仇讎と申しますが、仇の為には、着る喪服などございましょうか。」

孟子告齊宣王曰、君之視臣如手足、則臣視君如腹心。君之視臣如犬馬、則臣視君如國人。君之視臣如土芥、則臣視君如寇讎。王曰、禮、為舊君有服。何如斯可為服矣。曰、諫行言聽、膏澤下於民。有故而去、則君使人導之出疆、又先於其所往。去三年不反。然後收其田里。此之謂三有禮焉。如此、則為之服矣。今也為臣、諫則不行、言則不聽、膏澤不下於民。有故而去、則君搏執之、又極之於其所往。去之日、遂收其田里。此之謂寇讎。寇讎何服之有。

孟子、齊の宣王に告げて曰く、「君の臣を視ること手足の如くなれば、則ち臣の君を視ること腹心の如し。君の臣を視ること犬馬の如くなれば、則ち臣の君を視ること國人の如し。君の臣を視ること土芥の如くなれば、則ち臣の君を視ること寇讎の如し。」王曰く、「禮に、舊君の為に服する有りと。何如なれば斯(すなわち)ち為に服す可き。」曰く、「諫行われ言聽かれ、膏澤、民に下る。故有りて去れば、則ち君、人をして之を導きて疆を出でしめ、又其の往く所に先んず。去りて三年反らず。然る後に其の田里を収む。此を之れ三有禮と謂う。此くの如くなれば、則ち之が為に服す。今や臣と為りて、諫は則ち行われず、言は則ち聽かれず、膏澤は民に下らず。故有りて去らば、則ち君之を搏執し、又之を其の往く所に極む。去るの日、遂に其の田里を収む。此を之れ寇讎と謂う。寇讎には何の服か之れ有らん。」

<語釈>
○「國人」、朱注:國人は猶ほ路人を言うがごとし、怨み無く徳無きを言う。関心を持たない路傍の行きずりの人。○「膏澤」、恩沢の意。

<解説>
君臣の関係は、孔子も、「君、臣を使うに礼を以てし、臣、君に事うるに忠を以てす。」と述べている。更に趙岐の章指に云う、「君臣の道は、義を以て表と為し、恩を以て裏と為す、表裏相應ずるは、猶ほ影響のごとし、舊君の服は、蓋し興る所有り、宣王を諷諭し、勸むるに仁を以てす。」礼と忠も表裏の関係である。