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『中庸』最終回第三十二節、三十三節

2015-07-06 10:24:04 | 漢文解読
永かった『中庸』の解読もいよいよ最終回に入りました。少し長いので二回に分けて公開します。

                            『中庸』第三十二節
孔子は古の聖人である堯・舜の偉大な道こそ、私の進むべき道の根本であると述べ、その後継者であり周を開いた文王・武王が定めた法度に法り、道を明らかにされた。さらに上は四時の変化を引き起こす天の法則に従い、身の調和を崩さずに徳を修め、下は大地が万物を育むように、万民を教化されたのである。その行為は、万物で、地の懐き続けない物は無く、天の覆い尽くせないものが無いのと同じであり、それは春夏秋冬が順序に従って乱れることなく運行されることや、日月が乱れることなく代わる代わる天地を照らすのにも比擬せられる。天地の偉大な働きは、自然の節理に基づき、秩序に違わないので、万物は相並んで生成しているのに、互いにいささかも害しあう事は無く、それぞれが道に従い生きているのに、互いに衝突しあうことも無く、それぞれの分を守っている。孔子の教えも、この天地と同じで、その徳は川の流れのように、それぞれに及び、万物を育み、日月のように万物全てを照らす。孔子の道は誠にこの天地のように偉大である。
このように天地にも比擬せられる孔子のような至聖の者だけが、聰明睿知にして、民を治めるにふさわしく、心が豊かで温和でやさしく、万物を包容するにふさわしく、強い行動力と決断力を備えていて、何事にも揺るがず、言動が厳かで偏らない態度は、人々から畏敬される徳を備えていて、外に現れた言行は美しいあやが有り条理が整っており、内には詳密明晰な判断力を備えており、物事の秩序を誤り無く分別する徳を十分に備えておられるのである。このように孔子の徳は遍く広く深く行き渡り尽きることが無く、その時々に適切に出だされるのである。その徳が遍く行き渡る様子は天のようであり、どこまでも奥深く行き渡る様子は深淵のようである。聖人がこのような徳を顕せば、その者を尊敬しない民は一人もいないであろうし、その言は誰もが信じ、その行いに喜ばない民はいない。それ故にその輝かしい名声は中国全土に充溢し、辺境の四夷にまで及んでいるのである。凡そ舟や車の行き着く限り、人が歩いて行き着く限り、天が覆い尽くす限り、台地が戴く限り、日や月が照らす限り、霜や露が落ちて大地を潤す限りの所で、生きとし生ける者全てが、この至徳を備えた聖人を尊敬し親しむのである。だからこそ天に比肩して相並んでいるのである。
このように、この世で至誠を身に備えた實の聖人であってこそ、天下を治める條理に通じ、天下の大本としての中庸の道を確立し、天地が万物を変化させ育てる道を知るに至ることができるのである。だからこのような聖人が、中庸の道からはずれ、偏った言動を行うことは到底考えられない。天下を治める条理を実践する態度も、懇ろで誠に厚く、善徳を行い、天下の大本たる中庸の道を確立した其の思慮は、淵々としてどこまでも深く深淵であり、天地の働きを理解する其の姿勢は、天の如く浩々として際限なく広遠である。かりそめにもこのような實の聖人のように、聡明にして思慮深く遍く知っており、その至徳が天の徳にも等しい者でなければ、一体誰がこのようなことを理解することが出来ようか。

仲尼祖述堯舜、憲章文武。上律天時、下襲水土。辟如天地之無不持載、無不覆幬。辟如四時之錯行、如日月之代明。萬物竝育而不相害、道竝行而不相悖。小川流、大敦化。此天地之所以為大也。
唯天下至聖、為能聰明睿知、足以有臨也、裕溫柔、足以有容也、發強剛毅、足以有執也、齊莊中正、足以有敬也、文理密察、足以有別也。溥博淵泉、而時出之。溥博如天、淵泉如淵。見而民莫不敬、言而民莫不信、行而民莫不說。是以聲名洋溢乎中國、施及蠻貊。舟車所至、人力所通、天之所覆、地之所載、日月所照、霜露所隊、凡有血氣者、莫不尊親。故曰配天。
唯天下至誠、為能經綸天下之大經、立天下之大本、知天地之化育。夫焉有所倚。肫肫其仁。淵淵其淵。浩浩其天。苟不固聰明聖知、達天者、其孰能知之。

仲尼、堯・舜を祖述し、文・武を憲章す。上は天の時に律(のっとる)り、下は水土に襲(よる)る。辟えば天地の持載せざる無く、覆幬(フ・トウ)せざる無きが如し。辟えば四時の錯行するが如く、日月の代明するが如し。萬物竝び育せられて相害わず、道竝び行われて相悖らず。小は川流し、大は敦化す。此れ天地の大為る所以なり。
唯天下の至聖のみ、能く聰明睿知、以て臨む有るに足り、裕溫柔、以て容るる有るに足り、發強剛毅、以て執る有るに足り、齊莊中正、以て敬する有るに足り、文理密察、以て別つ有るに足ると為すなり。溥博淵泉にして、時に之を出だす。溥博は天の如く、淵泉は淵の如し。見わして民敬せざるは莫く、言いて民信ぜざるは莫く、行いて民說ばざるは莫し。是を以て聲名、中國に洋溢し、施きて蠻貊に及ぶ。舟車の至る所、人力の通ずる所、天の覆う所、地の載する所、日月の照らす所、霜露の隊つる所、凡そ血氣有る者は、尊親せざるは莫し。故に天に配すと曰う。
唯天下の至誠のみ、能く天下の大經を經綸し、天下の大本を立て,天地の化育を知ると為す。夫れ焉んぞ倚る所有らん。肫肫(ジュン・ジュン)として其れ仁なり。淵淵として其れ淵なり。浩浩として其れ天なり。苟しくも固に聰明聖知、天に達する者にあらざれば、其れ孰か能く之を知らん。

<語釈>
○「祖述」、その道を根本として述べること。○「憲章」、法則としてその道を明らかにすること。○「持載」、物を維持して載せること。○「覆幬」、鄭注:「幬」も亦た「覆」なり。上から覆うこと。○「小徳川流」、川の流れがそれぞれの流域を潤すように、個々に及ぼす徳。○「大徳」、天地が万物を蓋い載せて、手厚く化育するように全体に及ぼす徳。○、「聰明睿知」、耳は敏く、目は遠く微細なものまで觀ることが出来、深遠なる道理を悟りうるすぐれた才知。○「有臨」、政治に臨む意。○「裕溫柔」、心が広く豊かで、温和でやさしい。○「有容」、万物を受け入れて包み込む。○「發強剛毅」、意志が強く動力があること。○「有執」、固く執り持って揺るがないこと。○「齊莊中正」、厳かで偏らないこと。○「文理密察」、言行には美しいあやが有り、条理に適っており、細微なことまで察して明弁できること。○「有別」、天地の次序に基づき、万物を分別することが出来ること。○「溥博淵泉」、遍く遠く行き渡り、深遠にして枯れることが無い。○「有血氣者」、生きとし生けるもの。○「經綸天下之大經」、江戸末期の大儒学者、安井息軒は、「經」は「法」なり、治国平天下の大法の筋道に通ずる事とする。○「大本」、衡(息軒氏の名)按ずるに、大本は即ち中なり。○「肫肫」、鄭注:忳忳に同じ、懇誠の貌。懇ろにして誠なること。

次回に続く