23
弟子の子游が孝について尋ねた。孔子は答えた、「このごろの孝はよく両親を養うことだと思われているようだ。それでは犬や馬でもよく養っているのだから、敬う心を以て親を養わなければ、どのようにして犬や馬と区別することができようか。孝を行うには敬を忘れてはいけない。」子游問孝。子曰、今之孝者、是謂能養。至於犬馬、皆能有養。不敬、何以別乎。
子游、孝を問う。子曰く、「今の孝は、是れ能く養うことを謂う。犬馬に至るまで、皆能く養うこと有り。敬せずんば、何を以て別たんや。」
<解説>
親の面倒を見ていても心が伴わなければ、それは本当の孝行とは言えない。『孟子』盡心上の二百十三節にも、「食いて愛せざるは、之を豕交するなり。愛して敬せざるは、之を獸畜するなり。」とある。
24
弟子の子夏が孝について尋ねた。孔子は答えた、「父母に仕える事に、喜びを感じ自然と顔色に表れることが難しい。父兄に何か仕事があるとき、子弟が代わってその仕事をしたり、ご馳走があれば父兄に勧めるたりすることを世間では孝だと思われているが、果たしてそんなものが孝だと言えるだろうか。」子夏問孝。子曰、色難。有事、弟子服其勞、有酒食、先生饌。曾是以為孝乎。
子夏、孝を問う。子曰く、「色難し。事有れば、弟子其の勞に服し、酒食有れば、先生に饌す。曾ち是を以て孝と為すか。」
<語釈>
○「色難」、集解:包咸曰く、色難は、父母の顔色に承順するを、難しと為すを謂う。朱注:色難は、親に事うるの際、惟だ色を難しと為す。この二説のように「色」を父母の顔色に解する説と、子の顔色に解する説とがある。どちらも通ずるが、解説に述べた程子の子夏について述べた言葉から、後者を採用しておく。○「先生饌」、集解:馬融曰く、先生は、父兄を謂う。「饌」(セン)は、食を進める事。
<解説>
21から24までの4節はみな孝について述べられているが、その内容はみな異なっている。これについて朱注に程子曰く、「懿子に告ぐるは、衆人に告ぐるなり、武伯に告ぐるは、其の人憂う可きの事多きを以てなり、子游は、能く養いて或いは敬を失うなり、子夏は、能く義に直くして或いは温潤の色少なし、各々其の材の高下、其の失う所を與うるに因りて之に告ぐ、故に同じからず。」とある。教条的に物事を考えず、事に応じて述べていながら、それでいて真理をついている。これが孔子の優れた所である
25
孔子言う、顔回と一日中話していても、質問もしなければ意見も言わない。まるで愚か者のようである。しかし私の前から退いた日常の顔回を見ていると、その行いは私の言ったことを更に発展させており、私の言葉を十分に理解している。顔回は決して愚か者などではない。子曰:、吾與回言終日、不違如愚。退而省其私、亦足以發。回也不愚。
子曰く、「吾回と言うこと終日、違わざること愚なるが如し。退きて其の私を省すれば、亦た以て發するに足る。回や愚ならず。」
<語釈>
○「回」、孔安國曰く、回は、弟子なり、姓は顔、名は回、字は子淵。○「不違如愚」、集解:孔安國曰く、違わざるとは、孔子の言に怪問する所無く、黙して之を識ること愚者の如きなり。○「足以發」、朱注:發は、言う所の理を發明するを謂う。
<解説>
この節は孔子が顔回を誉めたものである。顔回は弟子の中で孔子が最も愛した弟子であり、その資質を高く評価していた。しかし三十二歳の若さで孔子より先に亡くなり、孔子の落胆は大きかったようである。