日本庭園こぼれ話

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弘前市内散策・明治&大正時代の遺産を訪ねる・・・青森県(改編)

2022-02-16 | 歴史を語る町並み

弘前の街には、前回触れたように、江戸時代からの遺産が数多く遺されていますが、また、明治・大正の文化財も、たくさん目にすることができます。

弘前城追手門と道路を挟んで対面する追手門広場。ここには観光館や山車展示館など、モダンな意匠の建築が集まっているのですが、その中にあって、ひときわ目を引くのが、明治39年に建てられた「旧弘前市立図書館」。三階建て、八角形の双塔を持つルネサンス様式というもので、白壁に緑の窓枠、赤い屋根が美しい外観を見せています。

その隣は、青森県初の私学校・旧東奥義塾の外国人宣教師が住んでいた「外人教師館」で、明治33年の建築。一階はカフェになっています。どちらも内部の見学ができます。

(上: 旧弘前市立図書館。右端に見えるのが外人教師館)

旧弘前市立図書館の設計・施工は、堀江佐吉。青森県が誇る明治の名匠で、数多くの洋風建築を手がけたそうです。現存する代表作と言われるのが、青森県金木町の太宰治の生家・斜陽館と、弘前市の「青森銀行記念館」とのこと。

追手門広場に隣接して建つ格調高い洋館が、その青森銀行記念館(重要文化財)です。

(上: 青森銀行記念館)

旧第五十九銀行本店本館として、明治37年に建てられたもの。ルネサンス風の建築様式に従いながらも、日本の土蔵造りの構造を取り入れるなど、和洋の建築工法の融合が見られる建物です。内部は青森県産のケヤキやヒバ材をふんだんに使用し、主要な室内の天井には金唐革紙を貼るなど、重厚かつ豪華。

 

弘前市内には、古い教会も点在し、ゴシック様式、ロマネスク様式など歴史を感じさせる佇まいを見せています。青森銀行記念館近くにある「日本キリスト教団弘前教会」は、明治8年に創立された、東北最古のプロテスタント教会だそうです。

現在の建物は、明治39年に、パリのノートルダム大聖堂をモデルに、桜庭駒五郎が設計、堀江佐吉の四男・斎藤伊三郎が施工したとありました。

(上: パリのノートルダムをモデルにした日本キリスト教団弘前教会)

他にも、明治43年建築、ロマネスク様式の「カトリック弘前教会」や大正9年建築の、ゴシック様式の「弘前昇天教会教会堂」(下の写真)があり、日曜日、または特別な場合を除いて内部の見学もできます。

 

弘前公園の近く、「藤田記念庭園」の入口に瀟洒なたたずまいを見せている洋館は、弘前市出身の実業家で、日本商工会議所の創設者であり初代会頭であった藤田謙一氏の旧別邸。

大正10年の建築。設計は前出の堀江佐吉の六男・金蔵、施工は長男・彦三郎とのこと。弘前の建築史における堀江氏親子二代の存在の大きさを実感します。

(洋館裏面)

洋館から続く庭園もまた、見応えがあります。別邸建設の際に、藤田氏が東京から庭師を招いてつくらせたという庭園。

総面積約21,800平方メートル(6,600坪)という広大な敷地は、高台部と低地部の2段構成で、高低差が巧みに利用されています。

高台部は、広々とした芝庭で、木立がV字形になった視線の先に、岩木山が借景として雄姿を見せています。

(上: 写真では、見えにくいのですが、V字形の空間に、岩木山が見えました)

そこから斜面を下って行くと、崖地の部分を覆うシャクナゲの群落や、反り橋が景趣を添える滝を眺めながら、低地部の池泉回遊式庭園に至ります。

13メートルの高低差を最大限に利用し、豪快かつ表情豊かに落ちてくる滝は、見応え十分。

(上: 高低差を利用した斜面の構成が見事)

そして滝の水は流れとなって、八つ橋の架かったハナショウブ園を潤し、池へと注いでいます。池では、中島や橋、玉石を敷き詰めた州浜と雪見燈籠などが景をつくり、池畔の大きな礼拝石、飛石などとともに、大石武学流庭園を彷彿させます。

(上: 武学流を彷彿させる巧みな池畔の構成)

さらに高台部には、入口の洋館の他に、レンガ造りの倉庫を利用した考古館や書院造りの和館があり、また低地部には、茶屋「松風亭」があって、庭園の景と建物が相互に引き立て合っています。

 

* 大石武学流庭園は、津軽地方に独自に発展した庭園様式で、本ブログの別項でも、ご紹介しています。

* ここでご紹介した洋館・教会は、無料で見学できます( 青森銀行記念館と藤田記念庭園は有料)。但し、休館日が不定期(不定刻)だったり、要予約の場合もあるので、事前に各施設に、お問い合わせください。


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