日本庭園こぼれ話

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鎌倉散歩・・・報国寺~瑞泉寺~覚園寺(改編)

2020-02-27 | 日本庭園

ご存じのように、鎌倉には歴史を語る寺院がたくさんあり、時間がゆったりと流れるのを感じながら、四季折々の散策を楽しむことができます。

ここでご紹介するのは、まず、美しい竹林のある「報国寺」です。

報国寺は、臨済宗建長寺派の禅宗寺院で、南北朝時代が始まった建武元年(1334)、足利尊氏の祖父に当たる足利家時の開基と伝わっています。

本堂前の庭園の奥には、「やぐら」という鎌倉特有の、岩肌をくり抜いて造った横穴式墳墓がありますが、それが家時を初めとする足利一族のお墓ということ。

 (「やぐら」は、庭園にも、独特の景色をつくり出している)

この寺は、いつ訪れても、手入れがよく行き届き、清浄感で満たされているのが印象的です。朝一番に訪れた時は、お寺の住人が総出で、境内を掃いたり、草むしりをしたりと、維持管理に手を掛けている様子が窺われました。

そのためでしょう、本堂裏手に広がる竹の庭の美しさは格別です。

約2,000本の孟宗竹が、天に伸びる竹林は、全体としてみても素晴らしいのですが、1本1本の竹が実に見事で美しいのです。林間の遊歩道に入ると、空気までが青く染まってしまったかのよう。

竹の根元の所々には、小さな石仏や燈籠、五輪塔などが据えられていて、どこを切り取っても絵になる景色です。竹林の片隅には茶席があり、サラサラと風の通る音に耳を傾け、木洩れ日の中に舞い散る竹の葉を眺めながらの一服に心が安らぎます。

※アクセス=鎌倉駅より京浜急行バス、「浄妙寺」バス停下車、徒歩3分

次は「瑞泉寺」へ。報国寺から瑞泉寺へ至る道筋では、たくさんの鎌倉らしい風景に出会います。まず報国寺から、金沢街道を少し戻ったところには「杉本寺」。苔むし、すり減った石段の両脇に、ずらりと並んだ白い幟がはためく、特徴的な光景が目に飛び込んできます。

坂東観音札所第一番霊場・杉本寺は、寺伝によれば、天平6年(734)、僧行基が自身で刻んだ十一面観音を安置して開創と伝わる鎌倉最古の寺。鎌倉に幕府が開かれた直後の1189年、火災の際に、本尊自らが境内の杉の木のもとに難を避けたという言い伝えがあり、以後「杉本寺」と呼ばれるようになったそうです。

杉本寺から金沢街道を横断し、滑川に沿った小径を約10分。住宅地を抜けると、辺りが突然、山中の雰囲気に変わり、その先にぽっかりと、トンネルというか、岩盤をくり抜いた洞門が口を開いています。それが「釈迦堂切通し」。

鎌倉は海に面し、三方を山に囲まれた、いわば自然の要塞と言える地形の中にあります。そこに外部との交通を保ちながらも、外敵の侵入を容易に許さないような道路が整備されました。それが「切通し(きりどおし)」と呼ばれるものです。

7ヶ所あった切通しのうち、もっとも往時の面影を伝えているとされるのが、この釈迦堂切通し。そのフォルムの壮大なこと。地層の横縞も美しく、圧倒的な迫力で、あたかも人と自然が共同して完成させた芸術作品のよう。ただし、今は通り抜け禁止です。

金沢街道を鎌倉駅方面に戻り、「岐れ路」の分岐点で右に入れば、荏柄天神を経て、鎌倉宮に至るお宮通りとなります。もっともこれはバスに乗る場合のことで、方向を定め、途中の住宅街の小径を入って行っても、なんとなく目的地に着いてしまうのが魅力的。

「荏柄天神社」は、平安後期の創建と伝わり、福岡の太宰府天満宮、京都の北野天満宮と並んで、日本三大天神と呼ばれる名社。鎌倉に幕府を開いた源頼朝が、ここを鬼門の守護神と仰ぎ、改めて社殿を建立したということ。梅花の透かし彫りのある朱塗りの本殿が目に鮮やかです。

少し歩いて、「瑞泉寺」到着。

                            

鎌倉の瑞泉寺は、現在では水仙や梅をはじめ、四季折々の花々が境内を彩る「花の寺」として知られています。しかし一歩、裏庭に足を踏み入れると、前庭とは全く異なる「異様な」景色に驚かされるのではないでしょうか。

そこにあるのは、岩盤を穿って彫り出した「庭園」です。これが庭園と呼べるのか、首を傾げたくなるのですが、れっきとした「国指定名勝庭園」として、リストに載っています。

この庭園の由緒については、少々長い説明が必要です。我慢してお付き合いください。作庭者は夢窓疎石。後に国師号を授けられ、夢窓国師とも呼ばれています。

疎石は鎌倉時代(1275)、伊勢の生まれ。幼少時に出家し、甲斐国(山梨県)、京都、奈良、美濃国(岐阜県)など各地に移り住みながら真言宗、天台宗、禅宗を修めます。そのかたわら、行く先々で庭園をつくり、名園と評価されているものも少なくありません。

たとえば、この瑞泉寺庭園の他、永保寺庭園、恵林寺庭園、西芳寺庭園、天龍寺庭園にその名が刻まれています。それにより、夢窓疎石は、庭園史上、もっとも重要な作庭家の一人に位置づけられています。

瑞泉寺は鎌倉後期の1327年、夢窓疎石を開山とする臨済宗円覚寺派の寺院で、鎌倉五山に次ぐ関東十刹第一位の寺格を誇っています。疎石の作庭の特色は、「残山剰水(ざんざんじょうすい)」という、もともとは、中国の山水画について言われた言葉で、「全景を描ききらず、部分的に描くことで、かえって自然の雄大な景観を表現することができる」という考えを取り入れたこと。

これにより、平安時代の王朝風の庭園とは異なる、画期的な変化を庭園意匠にもたらし、室町時代以降の庭園に、大きな影響を及ぼしたということです。 

瑞泉寺庭園は、そうした庭園の魁(さきがけ)となるものと言われていますが、境内の裏山の凝灰岩の岩盤を穿ち、滝、池、中島などを彫りだした、庭園というよりは、壮大な彫刻作品と呼びたくなるような岩庭。いつ見ても、異次元空間と対面しているような気分になります。

解説には、富士山の眺望を得る山頂の、「偏界一覧亭」の前景を兼ねるとありますが、鎌倉五山の僧侶たちが、詩会を催したというその場所は、現在は通行禁止で、立ち入ることができません。もしその視点から眺めることができれば、また違った感想が浮かぶかもしれません。 

この庭園は、長らく埋もれていたものを、古図面と発掘調査に基づき、昭和45年(1970)に、ほぼ完全に近い形で創建当初のまま復元されたということ。鎌倉に現存する、鎌倉時代の唯一の庭園としても貴重です。

アクセス: JR鎌倉駅東口からバスで「大塔宮」下車、徒歩17分、または鎌倉駅から徒歩30分

荏柄天神社の200メートルほど先にあるのが、「鎌倉宮」。大塔宮護良(おおとうのみやもりなが)親王を祀る神社です。親王は、後醍醐天皇の皇子として、鎌倉幕府討幕の中心となり活躍しますが、足利尊氏と対立し、捕らえられ、土牢に幽閉され、翌年処刑されます。

時代下って、明治2年、明治天皇は、建武の中興に尽くした護良親王の遺志を後世に伝えるべく、親王が幽閉されていた地に、鎌倉宮を創建します。幽閉されていたと伝わる土牢の鬼気迫る情景に、親王の無念の思いが重なります。

鎌倉宮前の「大塔宮」が、駅からのバスの終点。ここから道が分かれ、右に行けば前記の「瑞泉寺」、左に10分ほど行くと「覚園寺(かくおんじ)」です。どちらも、谷戸(やと)あるいは谷(やつ)と呼ばれる谷地の最奥部に位置しています。

(覚園寺への小径)

「覚園寺」の拝観には、比較的開放的な鎌倉の寺社とは異なり、制限があります。見学は10時から15時まで、1時間毎の時間制。その時間に入口近くの愛染堂前に集まると、ご住職や寺僧の方が、40分ほどかけて境内の奥を案内してくださるという形です。そうした事情もあり、覚園寺は、古い鎌倉の面影をもっともよく残す寺の1つと言われています。しかし、残念なことに境内奥は撮影禁止のため、その様子をお目にかけることができません。

(上: 覚園寺門前)

谷間に奥深く延びた寺域は、表の雰囲気とはガラリと異なる鄙びた山里の風情。そこに見事な茅葺き屋根の薬師堂が建ち、傍らには、樹齢700年という、うねるような幹を持つイヌマキの巨木が、どっしりと根を張り、長い歴史を物語っています。

薬師堂の中には、鎌倉有数の巨像という、本尊の薬師如来坐像を中心に、両脇に日光・月光菩薩、さらに三尊像の守護神・十二神将が安置されています。特に目を引くのは、日光・月光菩薩のお顔がエキゾチックなこと。あたかも西欧の美人女性を思わせるご尊顔を拝し、遠くシルクロードに思いを馳せるのでした。

覚園寺はまた、寺域に「やぐら」(報国寺の項参照)の多いことでも有名で、その1つを拝観しました。あたかも自然の洞窟のように見えますが、岩肌に残された無数の鑿(のみ)の跡が、人力の証拠。ちなみに、鎌倉には、約2、000もの「やぐら」が点在しているそうですが、覚園寺裏山の天園ハイキングコース途中には、約200のやぐらが集まっている「百八やぐら」があります。

鎌倉宮と瑞泉寺の中間あたり、今はただの草むらですが、そこは永福寺跡。奥州征伐から戻った源頼朝が、中尊寺や毛越寺の荘厳を模して建立したというもので、発掘調査によって、壮大な伽藍や浄土式庭園の存在が確認されたそうです。往時に思いを馳せれば、鎌倉に雅やかなイメージが加わります。

鎌倉宮から小径を歩いて、「鶴岡八幡宮」に向かえば、途中、白旗神社の裏山に、頼朝公の墓があります。(下の写真)

そして鎌倉幕府の守護神・鶴岡八幡宮。鎌倉のシンボルと言える樹齢1、000年の大イチョウが、大風で倒れてしまったニュースはショックでした。(下の写真)

ここから鎌倉駅までは、500メートルほど。歴史的な「段葛(だんかずら)」の参道をまっすぐ進むか、脇道に入って、多彩な小店がぎっしり並ぶ小町通りを行くか、選択に迷うところです。

# 各社の拝観時間、交通については、古い資料なので、訪問の際には事前の再検索をお願いします。

 


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