日本庭園こぼれ話

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美濃の城下町・岩村(改編)---岐阜県恵那市

2019-08-11 | 歴史を語る町並み

岐阜県の東南端、美濃の山峡にある岩村は、日本三大山城の一つ、岩村城の城下町として発展した町です。

岩村城の築城は、今から800年前に遡り、初代城主は、源頼朝の挙兵に大功のあった加藤景廉の長男・景朝。景朝は、この地では遠山姓を名乗り、戦国時代に入るまでの388年間、遠山氏が東美濃一円を支配します。

そして戦国時代、岩村城の歴史の中に語り継がれる悲話があります。織田信長の叔母で、時の城主・遠山景任の未亡人にまつわる物語で、岩村に「女城主の里」という観光キャッチフレーズがあるのは、このため。

その後、岩村城の主は幾度か交代しますが、あの森蘭丸もその一人でした。

数々の伝説を秘めた岩村城は、すでに姿を消してしまいましたが、麓に開けた城下町の風情を、今も色濃く残しているのが、岩村の魅力です。

明知鉄道の岩村駅前近くから、一直線に、1・5キロにわたり古風な商店街が続いていて、その周辺が「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されている町並みです。

(上: 過去と現在が混在し、独特の雰囲気を醸し出す岩村商店街)

下の写真は、岩村藩鉄砲鍛冶の「加納家」。一部土蔵造りの木造建築で、大屋根の上には魔除けの狛犬が鎮座し、二階の窓が「漆喰傾斜窓」になっているのが特徴です。

(上: 加納家では二階の窓の傾斜に注目)

メインストリートの中心には、江戸時代の岩村藩を政治的、財政的に支えた豪商三家が軒を連ねています。一番手前の「勝川家は」、江戸時代初期から材木や年貢米を扱っていた家で、現在は「江戸城下町の館」として、当時の暮らしを今に伝えています。

 

(上: 勝川家)

隣の「浅見家」は、幕末三代にわたって、大庄屋をつとめた旧家。

 

(上: 浅見家)

その先の「木村家」は、江戸時代中期から末期に栄えた問屋で、先祖は三河国の武士。藩主転封の際に随行し、代々、藩の財政に貢献。新田開発や災害の救援、文化の発展にも尽力したという家柄です。

(上: 細かい千本格子と武者窓に、格式の高さが窺われる木村邸)

木村邸の千本格子は一段と細かく、繊細な感じで、通りに面して「武者窓」がついているのが特徴。これは藩主が来訪した時に、警護の家臣の見張り用に設けられたものとか。

 

 (上: 右手の出っ張りが武者窓)

木村邸は、江戸時代の町家としての様式をよく残し、店の構え、かまどのある台所、座敷、書院など見どころの多いその建物は、日本の建築美を再認識させてくれます。

それにしても、千本格子は、外側から見ると閉鎖的な印象を受けますが、内側からは、ずいぶん見通しがいいものですね。 

木村邸の敷地に並ぶ土蔵と土塀は「なまこ壁」造りで、これらが裏手の路地に一つの景色をつくり、「なまこ壁の通り」として、観光マップに記載されています。

(上: なまこ壁の通り。岩村には、なまこ壁の建物が多い)

岩村に、戦国時代の都市計画の名残としてあるのが「天正疎水(てんしょうそすい)」と呼ばれる清流です。これは天正4年(1576)、岩村の城下町を移転させた時に、町並みの建設に先立って、生活用水と防火用水を兼ねた疎水を通したもの。

先の木村邸や、また「工芸の館」として公開されている「土佐屋」の庭では、その疎水の一部が見られます。

木村邸の先にある「岩村醸造」は、昔ながらのたたずまいを見せる造り酒屋。店先から奥の酒蔵まで、搬出用のトロッコの線路が伸びているのが、珍しい光景。岩村醸造の数ある名酒の中でも、純米吟醸「女城主」は大人気とか。

城下町にはおいしいものが多いという定評通り、岩村にも、いくつかの名物があります。中でも、藩の御用菓子司をつとめた「松浦軒本舗」のカステーラは、今から200年前の寛政年間、岩村藩の藩医師が、蘭学を学ぶために長崎に赴いた際、オランダ人から伝授された製法をそのまま守ってきたという、こだわりの逸品。

今どきのものに比べて、少しボソボソした食感ですが、味わいは上品。この山間の地に、江戸時代から、こんなハイカラなお菓子が存在していたことが驚き。

(上: ノスタルジックな商家の店先)

珍しい昔の看板やショーウインドーに飾られた昔の道具類が見て楽しい商家の家並みが尽きると、常夜灯があり、その先に「歴史資料館」があります。

資料館前には、平成元年の「ふるさと創世事業」(なつかしい言葉です)により、太鼓櫓が復元されて、山城の城下町をアピールするのに役立っています。

(上: 復元された太鼓櫓は、城下町岩村のシンボル)

駅からここまで、ずーっと登って来たので、標高はだいぶ高くなっているようで、広場から見下ろすと、城下の町並みが眼下に広がっていました。町の中央に、背骨のように通された一本の道路に、都市計画の痕跡が見えます。

 

* 各旧家の拝観の可否や拝観料などは、岩村観光協会HPでご確認ください。