前記「金閣寺」(2/29)から仁和寺へ向かう3キロほどの道は、「きぬかけの路」と呼ばれています。昔、宇田天皇が、夏の炎天下に、衣笠山に白い絹布を掛けさせ、雪に見立てたという故事にちなんだ命名だそうです。
名前は風雅ですが、道路自体は車の往来が多く、散策に適した道とは言えません。この途中、立命館大学の裏手にあるのが「等持院」です。
住宅地の中を歩いて行くと、家々の切れ目から、思いがけず、衣笠山のまさしく笠のような、こんもりした姿がひょっこり現れました。等持院はそんな環境にあります。
(上: 等持院=パンフレットより)
丸っこい衣笠山の稜線を背景に、切妻のシャープな屋根が美しい等持院は、現在のたたずまいは質素なものですが、足利尊氏が夢窓国師を開山に創建したという由緒ある古刹で、禅宗十刹の筆頭寺院。足利将軍家の菩提寺でもあります。
方丈の北庭は、心字池を中心にした回遊式庭園。夢窓国師作とありますが、東側部分の幽邃な雰囲気に時代を感じるものの、改変された箇所や荒れた部分が多くて、夢窓疎石の卓越した造形美を偲ぶことは難しいと思われます。
(上: 時代を感じさせる庭園東側部分)
一方、西側部分は、後世に改修された部分ですが、池の対岸の斜面を埋め尽くす小さな刈込みと石組。そしてその上に建つ「茶室・青漣亭」が、明るく瀟洒な景色を創っています。
(上: 池から斜面に続く刈込みと石組のコンビネーションが見事)
以前は、その背後にある衣笠山が借景となっていたそうですが、間に大きな建物が入り込み、景観が損なわれてしまったのは、惜しまれます。
(上: 茶室への路)
これは各地の庭園を訪ねる度に抱く感想で、日本庭園における借景という要素の重要性が、もう少し考慮されることを願わずにはいられません。
(上: 背後の大きなビルにより、景観が損なわれた庭園)