日本庭園こぼれ話

日本の歴史的庭園、街道、町並み。思いつくままに
Random Talks about Japanese Gardens

「中山風穴特殊植物群落地」 & 「塔のへつり」・・・福島県・奥会津

2019-07-30 | 番外編

前記の大内宿散策の起点となる「湯野上(ゆのかみ)温泉」は、会津線にからまるように流れる大川ラインの、渓谷のほとりに点在する素朴な温泉郷。

豊富な湯量を誇り、大部分の旅館に露天風呂があるのが目を引きますが、河原にも無料の露天風呂があって、誰でも入浴できます。混浴ですが、お湯につかっている人あり、そばで魚を釣っている人ありの、大らかな光景。

(数年前の話なので、この露天風呂が、今も現存するかは不明です)

(上: 清流に面した共同露天風呂)

温泉街を通る国道121号線を、街はずれで右手に入り、山道(車の通行可)を15分くらい登っていくと、天然記念物「中山風穴(ふうけつ)特殊植物群落地」に至ります。

中山は標高800メートルほどの独立峰ですが、その山腹には、寒冷地や高山にしかないはずの植物群落があり、植物愛好家に人気の地とか。その秘密は、山の特殊な構造にあると言われています。中山の表面は、角柱状の岩石が、至るところに堆積し、隙間の多い地下構造になっています。

(上: 無数の洞窟を内包する中山)

春、雪解け水がその隙間に流れ込み、低い地温のために凍っていたのが、外気の上昇する4月から10月にかけて、冷風を吹き上げるのではないかと考えられています。冷気の通り道が風穴で、その周辺は夏も温度が低いため、特殊な植生が見られるというわけです。

(上: 風穴から吹き出す冷気が、中山の特殊植物群落を育む)

特殊植物群落は、山の中腹の6つの地域に点在して、第3群地区からは遊歩道ができています。群落地といっても、それはロープで囲まれた、ほんの数メートルから十数メートルの一画なのですが、たとえば、そこだけに白樺が生えていたりと、ロープの内と外で、植生が違っているのが見てとれます。

花の見頃は、5月初旬から6月末くらいまで。中でも「オオタカネバラ」の群落は、ここが本州最大とか。風穴のそばに行くと、ヒンヤリした空気が肌に触れ、自然の仕組みの神秘を感じます。

中山風穴を後にして・・・

湯の上温泉駅の隣は「塔のへつり駅」という変わった名前の駅です。会津鉄道に多い無人駅の一つで、林の中のバンガローといった雰囲気。ここから3分ほど歩くと、大川渓谷に出ます。茶店や土産物店の裏手に出ると、視界の中に、いきなり飛び込んで来る巨大な石の「塔」!思わず息をのむ断崖の景観。

それが「塔のへつり」。「へつり」とは、この地方の方言で、川に沿った断崖や急斜面を意味するそうです。

 

(上: 浸食と風化によって浮き彫りされた塔のへつり)

「大自然は偉大な芸術家」。旅をしては、各地の風景にそんな思いを新たにしてきましたが、今回もまた・・・。

大川渓谷の向こう岸に並んで聳える断崖は、「九輪塔岩」「象塔岩」「鷲塔岩」など、その形になぞらえた名前が付いていて、主なものが10個あるので、「10の岩=塔(とう)の岩(へつり)」と呼ばれたという説もあるそうです。

吊り橋で対岸に渡り、断崖の足元に抉られた巨大な岩のアーケードを歩けば、そのスケールの大きさが、改めて実感されます。下の写真中央に、点のように見えるのが人です。

100万年の歳月をかけて、浸食と風化を繰り返し形成された大自然のオブジェ。白い岩肌に、木々の緑が彩りを添えていました。

(上: 100万年の時間をかけた大自然のアート)

帰りは、偶然来合わせたトロッコ列車に乗車。経営の苦しい第三セクターでは、どこも乗客を呼ぶために、様々なアイディアを出していますが、会津鉄道の目玉の1つは、トロッコ列車。お天気が良ければ、普通の列車より見晴らしが良く快適です。

速度も普通よりゆっくりで、景色の良い所では、最大徐行。説明のアナウンスが入ります。「皆様、左手をご覧ください。眼下の川に露天風呂がございます・・・」。みんなが、どっと左側に駆け寄ったのは、言うまでもありません。

「帽子やハンカチを飛ばさないように、ご注意ください」。こんなアナウンスを聞くのは、ずいぶん久しぶりのような気がしました。

 

※ トロッコ列車は、不定期運行です。会津鉄道のHPをご参照ください。  

 

 

 


大内宿・・・福島県・奥会津(再録)

2019-07-21 | 歴史を語る町並み

福島県南会津郡。栃木県、群馬県と境を接するこの地方は、奥会津とも呼ばれる山峡の地。

ここは、江戸時代には、「南山御蔵入り(みなみやまおくらいり)」という幕府の直轄地であった時代もあり、同じ会津でも、会津藩によって統治された会津若松地方とは異なる、独自の歴史と文化を持っているということです。

その南会津の東端、下郷町にあるのが「大内宿」。会津若松と日光街道の今市を結ぶ旧会津西街道に残る宿場町です。

大内宿の最寄り駅は、第三セクター会津鉄道の「湯野上(ゆのかみ)温泉駅」。この駅舎は、駅としては珍しい茅葺き屋根の駅で、内部も古民家のような佇まい。到着早々、温かい雰囲気に包まれました。

(上: 湯野上温泉駅=下郷町パンフレットより)

大内宿は、湯野上温泉駅から北西に6キロほど。駅からのバス便はなく、タクシー利用。宿場の入口でタクシーを降り、散策開始。(宿場内は、車の進入禁止です)

(上: 往時の宿場町の姿をよく残した茅葺き屋根の家並みは圧巻)

一歩足を踏み入れると、両側に見事な茅葺きの家並みが連なり、まるで時代劇のセットのよう。

歴史を振り返れば、大内宿は、明治時代、宿場としての役割を終えて以来、人々の記憶の中から姿を消し、経済的打撃も受けて、寂れていきました。

それが、昭和40年代、茅葺き屋根の調査をしていた一人の若い研究者に見出されたことにより、昭和56年の「重要伝統的建造物群保存地区」の指定につながったのだそうです。

トタン屋根になっていた建物も茅葺きに修復され、大内宿は江戸時代の景観を取り戻したのでした。

幅5メートル、延長400メートルの道路に沿って、一部トタン屋根があるものの、茅葺きの古民家が、両側に整然と並ぶ様は、目を見張るものがあります。

(上: 心地良い水音とともに流れる水路は、生活の必需品?)

家々のほとんどは、民宿、土産物店、食堂など。道路の両側には水路があり、サラサラと清涼感のある水音をたてて流れています。旧環境庁が定めた「音風景100選」の1つ。この水路は、宿場時代には、道路の中央にあり、用水として利用されていましたが、明治時代に道路両側に分けられたそうです。

今、その流れの中には、売り物のビールやジュース、トコロ天あるいは野菜などが冷やされていて、まるで天然の冷蔵庫。

江戸時代、物資の積み替えをする馬継ぎ宿であった「大内宿」では、道路と建物の間に、積み替えのための空き地が設けられているのが特徴の一つ。現在は、その前庭的なスペースに縁台が置かれ、お休み所として利用されています。

(上: 道路と建物の間に、荷物の積み替えのための空き地があるのが、大内宿の特徴)

先に、江戸時代の宿場の姿が甦ったと書きましたが、実際にその景観を眺めた時、そういったイメージとは違う、何か非常にお洒落な印象を受けたものです。

その理由は何かと考えて、思い当たったのが、前庭に植えられた色彩豊かな花々です。まるで欧米のガーデニング雑誌の見ているような・・・。日本的な茅葺き屋根に、ヨーロッパ風の花の飾り方が、意外に似合うことを発見。

(上: 色彩豊かな花々で飾られた前庭)

町並みの入口から、なだらかな上り坂をぶらぶら行くと、中程の左側に、大内宿町並み展示館があります。旧会津西街道の問屋本陣の建物を復元した資料館で、展示品は昔の生活用具など。

その脇から町並みをはずれて田圃の中の小径を行くと、林の中に古色を帯びた「高倉神社」。大内宿に伝わる「高倉宮伝説」に関係する神社です。

(上: 街道を少しはずれた林の中に、高倉以仁王伝説を物語る高倉神社がある)

高倉宮は、後白河法皇の第二皇子、「以仁(もちひと)王」のこと。治承4年(1180)、源頼政らとともに、平家討伐のため挙兵し、宇治川の戦いで敗れ、その時に流れ矢に当たって死んだというのが定説ですが、実は奥会津を経て新潟に逃れたという説が伝わっているそうです。

それを証明するかのように、奥会津各地には、高倉宮ゆかりの史跡や地名が数多く残っているとか。尾瀬沼は、お供の尾瀬中納言が亡くなった場所と言われています。

当時、山本村といった大内宿は、高倉宮がしばらく隠れ住んだと伝わり、とりわけ関係が深かったのでしょう。宮を祀ったという高倉神社のお祭り、「半夏(はんげ)まつり」(7月2日)は、平安絵巻のような行列で、古くは高倉宮の命日とされる5月19日に行われていたそうです。

大内宿の家並みの突き当たりには、ひときわ大きな茅葺き屋根の民宿兼食堂があり、裏手の急な石段を上ったところが子安神社で、そこから見下ろすと、山に囲まれた谷間の土地に、大内宿の集落が模型のように並んでいるのが見えました。

 

# 私が訪れたのは数年前のことなので、最新の情報については「大内宿観光協会」などの公式HPをご参照ください。