奈良盆地の東側を南北に走る「山の辺の道」は、我が国最古の国道とも言われる古道。初期王朝の揺籃の地でもあり、様々な古代の残映が、道沿いのそこかしこに点在しています。
現在残る山の辺の道は、奈良・春日から桜井までの30キロを指すそうですが、今回は、より見どころが多く、ポピュラーな南半分の10数キロを歩きました。
出発点は天理市にある「石上神宮(いそのかみじんぐう)」。ガイドブックには、石上神宮までは、天理駅からバス10分と書いてあったのですが、バスの本数がとても少ないので、駅からタクシーに乗りました。(徒歩で30分くらいだそうです)
深い木立に囲まれた石上神宮は、4世紀頃、崇神天皇の時代に創始された、日本最古の神社の一つとされています。
(上: 『南・山の辺の道』の起点となる石上神宮)
神武天皇東征の時に、国土平定に偉功のあった神剣を祭神とする一方、朝廷の武器庫として、物部氏が代々、祭祀を司ってきたとも言われています。
楼門の先、回廊に囲まれた拝殿の入母屋造り、檜皮葺きの屋根の、スーッと横に伸びたラインの美しさが印象的でした。
(上: 石上神宮の境内脇から、山の辺の道が延びている)
境内脇から山の辺の道に入ると、まもなく「内山永久寺跡」。しかし文字通りの「跡」で、緑の影を映す溜池の他には何もありません。12世紀初頭に、鳥羽天皇の勅願により創建された大寺院でしたが、明治の廃仏毀釈により破壊されたそうです。
(上: 池畔に立つ芭蕉の句碑だけが、昔の栄華を伝える内山永久寺跡)
今は池畔に「内山や とざま知らずの 花ざかり」と詠んだ芭蕉の句碑が立っていることにより、かろうじて、そこが昔は由緒ある地であったことが想像されるのみです。
内山永久寺跡を過ぎると、道はアップダウンを繰り返し、両側には柿畑。そこを抜けると、眼前には広々とした農の風景が開け、柿畑やみかん畑となっている丸い小山が、あちこちに見え始めます。
(上: 畑の中に点在する小山)
このあたりでは、こんもりした丘や畑は、古墳と見ていいと言われているので、それらも古墳なのでしょうか?それにしても、その数の多いことに驚かされます。
少し歩くと、木立の中に「夜都岐(やとぎ)神社」。
(上: 夜都岐神社への道)
春日大社の四神を祀っているという素朴な神社で、拝殿の藁葺き屋根に歴史を感じます。
(上: 緑に包まれた藁葺き屋根の拝殿が、素朴で味わい深い夜都岐神社)
---つづく---