日本庭園こぼれ話

日本の歴史的庭園、街道、町並み。思いつくままに
Random Talks about Japanese Gardens

片倉城跡公園・早春の花景色・カタクリ他(2022/3/25)・・・東京都八王子市

2022-03-25 | 四季の花話

毎年恒例、今年もカタクリの花を見に行きました。

実は、暖冬だったので、そろそろかな?と思って、5日前にも出かけたのですが・・・

その時は、花は、ほどんどなく

あっても、つぼみでした。

そして今日、もう花が開いたかな?と期待しつつ行ってみました。

満開でした!

花の見頃を何で知るのか、今日は花を愛でる人でいっぱい。

通路以外は立ち入り禁止なので、写真を撮るのに順番待ちも・・・

それでも、大満足のひとときでした。

そして早春の片倉城跡公園は、カタクリの他にも花盛り。

入口を入ると、コブシの花

キブシ

 

そして足下には、リュウキンカ

池の畔には、イチリンソウ

そしてミズバショウ

公園では、これから、様々な季節の花が出迎えてくれます。


庭園にも注目の金閣寺・・・京都(改編)

2022-03-16 | 日本庭園

金閣寺は、京都観光の定番だし、「いまさら」の感がありますが、その金ぴかの建物のみに目を奪われて、庭園をじっくり観賞する人は、あまり多くないのでは?

(上: 意味深い島々が浮かぶ鏡湖池)

言うまでもなく「金閣寺」というのは通称で、正しくは「鹿苑寺」。臨済宗相国寺派の禅寺です。足利三代将軍・義満が、応永4年(1397)、別荘・北山殿を造営したのが始まりで、義満の死後、遺言により、夢窓国師を開山とし、義満の法号から「鹿苑寺」と名付けられたとされます。

(上: 金閣に付属する舟屋)

「金閣」と呼ばれる三層の舎利殿は、二層と三層が金箔で覆われた絢爛豪華はもちろんのこと、一層が「寝殿造り」、二層が「武家造り」、三層が「禅宗仏殿造り」と、3つの様式を見事に調和させた建築として高い評価を得ているものです。

(上: 金箔の豪華さだけでなく、様式美も見どころ)

その舎利殿の前に広がる「鏡湖池(きょうこち)」は、金色の楼閣を映し、「葦原島(あしわらじま)=日本の国を表しているとも言われています」や「九山八海石(くせんはっかいせき)=仏教の世界観を象徴」、三尊石、鶴島・亀島、夜泊石など、大小の島々や、諸大名から献納されたという名石を配し、この上なく荘厳な雰囲気を醸し出しています。

金閣のみならず、これらの島々の形や位置の巧みさも観賞してほしいものです。日本の風土には馴染みにくい金ピカの建物が、けばけばしくなく、むしろ神々しく感じられるのは、この池庭と周囲の緑の力だと思います。(下の写真)

以前は、西の衣笠山を借景としていたということですが、現在は生長した樹木に隠されて、ほとんど見ることができないのが残念。京都名所図会などに描かれている金閣寺は、衣笠山を仰ぎ見る構図で、今とはまた異なる景観を見せているのですが・・・。

(上:名所図会に描かれた金閣寺)

(上: 庭園の緑の奥に衣笠山がわずかに覗く現在の景)

鏡湖池を半周しながら金閣の裏手に回り、園路を進むと、義満がお茶の水に使ったと伝わる「銀河泉」があり、その並びに「龍門瀑」。

滝を登りきった鯉は龍になるという中国の故事に因んだこの滝は、滝石組に「鯉魚石(りぎょせき)」のあるのが特徴で、金閣寺庭園のそれは、代表的なものとして知られ、「鯉魚石」を紹介する写真にも、しばしば登場しています。

(上: 鯉の滝上りを象徴した「鯉魚石」)

しかし実際に見ると、大きな鯉魚石に滝の方が迫力負けしているような・・・。有り難いのは、鯉魚石が間近に見られること。多くの場合、滝は庭の奥まった位置にあるので、普通の拝観では、鯉魚石はあまりよく見ることが出来ないのです。

金閣寺庭園のもう一つの見どころは、その先に高台にある「夕佳亭(せっかてい)」。金森宗和好みの茶席で、「夕日」に映える金閣が殊に「佳い」というところか名付けられたとか。

茶席前には、自然石の「富士形手水鉢」。名席の一つに数えられる茶席です。

また、方丈の前庭には、義満お手植えと伝わる「陸舟(りくしゅう)の松」があります。この松は、「京都三松」の一つとあり、宝船に見立てているのでしょうか、巨大な帆掛け船の形に仕立てられています。

(上: 帆掛け船の形に仕立てられた「陸舟の松)

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「京都三松」の他の二松は、まず、善峯寺(西京区)の「遊龍の松」=徳川五代将軍綱吉の生母・桂昌院お手植えと伝わる樹齢600年の五葉松。全長54mにも枝を伸ばした形が、波に浮かぶ龍のようだということで名付けられたそうです。

および宝泉院(左京区)の近江富士の形をした五葉松。樹齢500年とも700年とも言われています。

 

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化野念仏寺と嵯峨鳥居本重伝建地区・・・京都(改編)

2022-03-04 | 歴史を語る町並み

京都の西北に位置する嵯峨野は、平安時代から、風光明媚の地として知られ、皇族、貴族たちが山荘を建て、鷹狩りや船遊びを楽しんだ土地でした。

また、身分ある人の隠れ里でもあったせいか、そこには雅(みやび)の中に、もの悲しさが同居しているような雰囲気があります。

そうした雰囲気を強く感じさせるのが「化野(あだしの)念仏寺」。その前身は、五智山如来寺。平安初期までは風葬の習慣のあったこの地に、野ざらしとなっていた遺骸を埋葬するために、約1100年前、空海(弘法大師)によって開創されました。

(上: 石仏・石塔が肩を寄せ合う光景に、もの悲しさを感じる念仏寺)

後に法然上人が中興、念仏道場となり、寺号が念仏寺と改められます。その後、明治時代中期頃、何百年もの歳月を経て無縁仏となり、この辺り一帯の林野に散乱していた石塔・石仏を境内に集めて安置したのが、現在の念仏寺の姿です。

(上: 独特の雰囲気を持つ境内)

ぎっしり並べられた夥しい数の石塔と石仏。総数は8000体を超えるとか。それらは数10センチの小さいものですが、一体一体に魂がこもっているような、ある種、侵しがたい「気」を発しているようでした。

(上: 毎年8月23、24日の夜には、数千体の石仏に灯が点される「千灯供養」が行われる)

 化野念仏寺から、その先「愛宕神社」に至る途中の道沿い、600メートルほどの距離に並ぶ家々は、「嵯峨鳥居本(さがとりいもと)重要伝統的建造物群保存地区」に選定されています。

 

(上: 京町家の風情を伝える家並み)

この地区は愛宕神社の門前町として発展すると同時に、農業、林業、川での漁業などを生業とする集落もあったということで、下手の方では、千本格子や虫籠窓のある町家、上手の方では、茅葺き屋根の農村的景観が見られるといった具合に、地区内で2つの性格を持つ集落が共存しているところに特徴があります。

(上: 農村的景観を伝える家々)

背後の山には、夏の風物詩として有名な、8月16日の「五山送り火」の1つ「鳥居形」が点火されるそうです。