日本庭園こぼれ話

日本の歴史的庭園、街道、町並み。思いつくままに
Random Talks about Japanese Gardens

湧水が潤すまち(再録)・・・醒井(滋賀県米原市)

2018-02-16 | 名水

長期にわたる宇宙滞在を終えて、先日帰還した宇宙飛行士の野口聡一さんが、「地球に戻って、よかったと感じたことは」と質問された時に、こう答えたそうです。「水ですね。水。流れる水、これはいいですね。水が流れているっていうことのありがたさというものを実感します・・・」(東京新聞「筆洗」より)

この言葉で浮かんだのが、こんこんと湧く清水や、滔々と流れる川に癒された思い出です。清冽な水には、環境を浄化し、潤いを与えてくれる力があります。醒井(さめがい)を訪ねた時もそう実感しました。

中山道六十一番目の宿場として栄えた醒井ですが、現在は湧水のまちとして知られています。JR醒ヶ井駅前の国道21号線から一つ入った、旧街道沿いに流れる地蔵川が、湧水めぐりの中心です。

地蔵川の源となるのが「居醒(いざめ)の清水」。ヤマトタケルノミコトが、伊吹山で大蛇の毒を受け、高熱に見舞われた時に、この清水で癒したところ、苦しみが「醒めた」と伝わる湧水で、まちの名の由来にもなっています。

(上: 地蔵川の源泉「居醒の清水」)

この「居醒の清水」は、環境省が選定した「平成の名水百選※」の一つであり、日本経済新聞社が選んだ「平成の名水百選ベスト5」のトップに選ばれたこともあります。

清水の上には加茂神社があり、その隣には、昔は地蔵川の中に座っていたという「尻冷やし地蔵」を祀った地蔵堂があります。

流れを覗き込むと、澄んだ水の中に、鮮やかな緑の藻が一面に揺らめいています。これはバイカモ。「梅花藻」という字から想像できるように、白い小さな梅の花に似た花をつけるキンポウゲ科の沈水植物です。

地蔵川は、このバイカモの群生地としても有名。この植物は、年間を通じて15℃前後を保つ、澄んだ水を好み、砂底であること、日当たりなど、ごく限られた条件で育つもので、きれいな水の指標にもなっている植物です。

初夏から晩夏にかけて、地蔵川の至る所で、その可憐な花が見られるそうで、7月下旬から8月上旬の夜には、「バイカモ・ライトアップ」も行われています。

また、この川は、岐阜県と滋賀県のごく一部にしか生息していないという、貴重な淡水魚・ハリヨの生息地でもあります。

地蔵川に沿っては、旧問屋場をはじめ、旧中山道の面影を残す古い佇まいの店なども建ち並んでいますが、ほとんどは民家です。そして、それぞれの家の戸口には、川べりに降りることができるように階段がついています。

そこでネギを洗っている人がいました。夏にはスイカやトマト、ビールや麦茶を冷やしたりするのかもしれません。あるいは花を活けたり、植木鉢を置いたりと、ここでは川が暮らしの中に溶け込んでいるのを感じます。

そういえば、昔はどこの集落にも、共同の清水があって、洗い物をしながらの井戸端会議の場になっていたのではないでしょうか。そう遠くない昔に、普通に見られた光景であったはずです。

川沿いに下って、葉の上にギンナンがつくという珍しい「お葉付きイチョウ」のある了徳寺を過ぎると、川の中に石燈籠が立っているのが目を引きます。燈籠の竿に刻まれた文字は「十王」。「醒井三水」の一つに数えられる湧水です。

(上: 十王水の湧き口は景趣豊か)

「醒井三水」とは、「居醒の清水」と「十王水」と、この先の「西行水」の総称です。ところで、「西行水」には、ちょっと変わった言い伝えが・・・。

昔、西行法師が飲み残した茶の泡を飲んだ茶屋の娘が懐妊。それを知った西行が、もし自分の子なら泡に戻れと言うと、その子はたちまち泡になったというもの。「子授かりの水」としても知られるそうですが、この伝説の真意は一体どこにあるのでしょう。

旧中山道に沿って流れてきた地蔵川は、「西行水」の先で他の川と合流し、街道から離れて行きます。「居醒の清水」から「西行水」までは、わずか徒歩10分ほどの距離ですが、清新な空気で満たされた川筋を眺め、この小さな一本の清流が、今も昔も、旅人を癒し、そこに住む人々に潤いを与えてきたことを実感するのでした。

さらに足を延ばせば、「天神水」「いぼとり水」「斧割み水」「鍾乳水」といった伝説の湧水があり、前の三つと合わせて「醒井七湧水」と呼ばれています。

 

※平成の名水百選=全国に存在する清澄な水を再発見するとともに、広く国民に紹介することを目的として、2008年に、環境省によって選定されました。この他に、1985年に、環境庁(当時)が選定した「名水百選」がありますが、これとは重複しておらず、合計200の名水が選定されていることになります。

選定基準としては、「名水」であることはもちろんですが、加えて、地域の生活に溶け込んでいて、特に地域住民等が、主体的に水環境の保全に取り組んでいることも、重要なポイントです。

 

 

 

 


栗林公園(再録)(2)「緑と石と水の調和」・・・香川県高松市

2018-02-11 | 日本庭園

栗林公園では、マツとともに目を引くのが、庭園内のそこかしこに配された石組と奇岩怪石です。

(上: 栗林公園でもっとも古いとされる「小普陀」の石組)

南湖畔の「飛猿巌(ひえんがん)」や、西湖畔の「会僊巌(かいせんがん)」などの巨大な石組から、この庭発祥の地とされる「小普陀(しょうふだ)」という築山にある、室町時代の技法を取り入れたと見られる石組。あるいは流れの中にさりげなく置かれている石。掬月亭前の水鉢周りの石組など、どれも見逃せません。

(上: 掬月亭の縁先にある手水鉢とその周りの石組。奇岩が荒磯の風情を醸し出している)

庭園の西端に横たわる西湖の対岸は、「赤壁」と呼ばれる赤色の自然岩盤です。「赤壁」を伝って落ちる一筋の滝。これは「桶樋滝(おけどいのたき)」といい、藩主の観賞用として、当時、山の中腹に置いた桶まで、水を人力で汲み上げ、流していたところから、この名がついたとか。贅を凝らした大名庭園の一端が窺われます。

 

(上: 「赤壁」と「桶樋滝」)

下の写真は、庭園の東南端にある「吹上(ふきあげ)」。栗林公園の水源地で、ここから流れ出る水が、南庭と北庭、ともに広大な面積を占める池や流れを豊かに満たしています。

(上: 清冽な水が滔々と流れ出す「吹上」

緑と水と石が絶妙な調和を見せる栗林公園。大名庭園の南庭に対し、北庭は藩主が鴨猟をするための鴨場であったところ。南庭の華やかさはありませんが、ここでも、満々と水をたたえた2つの池が周囲の樹木を映し、深い色を見せています。

(上: 鴨場だった当時の面影を伝える北庭の池)

往時の鴨猟の様子を再現する、珍しい鴨引き堀や覗き小屋も復元。何世代にもわたる築造と、きめ細かい維持管理によって、日本有数の大名庭園の粋を、現代にまで伝えてくれているのが栗林公園です。

---栗林公園終わり---


栗林公園(再録)(1)「手入れ松千本」・・・香川県高松市

2018-02-11 | 日本庭園

代表的な大名庭園として知られる栗林公園は、高松駅の南、約2キロのところにある広大な池泉回遊式庭園です。平庭部分だけでも約16ヘクタール、東京ドームの3、5倍の広さとか。

庭園は標高200メートルの紫雲山を背景に、江戸時代初期の回遊式大名庭園である南庭と、鴨場として使われていた北庭から成り、代表的な南湖、北湖を中心にした6つの池と、芙蓉峰、飛来峰など13の丘で構成されています。まずは、その規模の大きさにびっくり。

(上: 南湖に優美な影を映す茶室・掬月亭)

栗林公園の沿革を辿れば、16世紀末、当地の豪族・佐藤氏によって築造された庭に始まり、寛永年間(1625年頃)、当時の讃岐藩主・生駒高俊公の時代に、紫雲山を背景に、南湖一帯が築庭され、続いて寛永19年(1642)に入封した高松藩主・松平頼重公に引き継がれます。

以来、五代藩主・頼恭公まで、歴代藩主が修築を重ね、延享2年(1745)に完成、明治維新までの十一代228年間にわたり、下屋敷として使用されたとあります。実に100年余りの歳月をかけて完成された庭園なのです。

東門から入ると、左手が南庭。マツの本数の多さと、姿の良さに驚かされます。「栗林公園」の名に反し、クリの木は見当たりませんが、藩政時代に北庭に備荒林として、クリの木が多く植えられていたところに、その名の由来があるそうです。

(上: 手入れ松千本の名の通り、様々に仕立てられた松でいっぱい)

全体の景観を眺めるために、南庭の入口近くにある「芙蓉峰」へ。この富士山の形をした大きな築山の頂上から見渡せば、マツに縁取られた北湖の水面の広がりの先に、紫雲山が、借景というより、庭園の一部として迫ってきます。(下の写真)

 

 「芙蓉峰」から北湖と紫雲山の雄大な景を眺めた後、隣にある、これまた大きな築山「飛来峰」に上れば、ここからは栗林公園で最も有名な景観が眼下に。

 

 

(上: 南湖の景を引き立てる偃月橋)

いくつかの島々が浮かぶ南湖と、弧を描いて架かる「偃月橋(えんげつきょう)」、対岸には、雁行する雅趣に富んだ茶室「掬月亭(きくげつてい)」と、いかにも大名庭園らしい華のある景を見せています。 

 

(上: 雅趣に富んだ「掬月亭」)

 さらに、庭園内を縦横に走る園路を辿れば、まさに「一歩一景」。次々に新しいシーンが展開していきます。 

 

(上: 箱型樹形に仕立てた松〈手前〉と、屏風に見立てた松〈後方〉を上下二段に組み合わせた「箱松と屏風松」) 

 (上: 「鶴亀の松」=亀の形に組んだ石組の上に、鶴が舞う姿に仕立てられた松がある)

 北湖の岸にある「箱松と屏風松」や、その近くにある「鶴亀松」、あるいは、南湖のほとりにある「根上がり五葉松」など、逸話の伝わるマツはもちろんのこと、「手入れ松千本」という園内のマツのどれもが、芸術作品のような枝振り。数百年の手入れの積み重ねによって、初めて現出する光景です。 

 (上: 将軍より賜った盆栽が生長したという「根上がり五葉松」。後方の建物は、掬月亭)

 

---つづく---

 

 

 

 

 

 

 

 


お断り

2018-02-11 | 身近な話題

いつもブログを読んでくださり、ありがとうございます。

このブログは自分自身の記録として、主に、これまでに訪れた日本の古庭園を中心に、歴史的街並み、古街道、名水などを、気の向くままに、記してきましたが、ありがたいことに、大勢の皆様にも読んでいただいています。

となると、今まで、時間の都合などにより、1つのテーマをいくつにも分けていて、読みにくいものが多々あることが気になりだしました。そこで、これから少しずつ、それらを「再録」という形で、まとめていこうと思っています