日本庭園こぼれ話

日本の歴史的庭園、街道、町並み。思いつくままに
Random Talks about Japanese Gardens

出雲大社(上)・・・島根県出雲市(改編)

2021-08-27 | 神社

10月は別名を「神無月(かんなづき)」といいますが、それは全国の神様がみんな出雲に出払ってしまうからとか。そこで、出雲では、この時期が「神在月(かみありづき)」となるそうです。

出雲大社の御祭神は「大国主大神」、古歌で知られる「イナバの白うさぎ」で、白うさぎを助けた「大黒様」としても知られています。

(上: 神域の一画にある大国主大神と白うさぎの像)

出雲大社の参道は「下り参道」。木製の「二の鳥居」から下って、一気に「神域に入る」というもの。神社仏閣の参道で「下り参道」は珍しいとか。(下の写真)

参道の両側は松並木。松は寛永年間(1630年頃)に松江藩主の夫人が祈願成就のお礼として奉納されたのが始まりだそうです。

昔は参道は3本に分かれていて、殿様や貴族だけが真ん中を通ることが許されていたとか。

(上: 「日本名松100選」にも選定されている松並木の参道)

中には巨木の松も・・・

松並木が尽きた先に、銅製の「四の鳥居」があります。天正8年(1580)に、毛利輝元によって寄進されたのが最初で、現在の鳥居は、輝元の孫の長州藩主によって造り直されたものだそうですが、銅製の鳥居としては日本で最も古い鳥居だそうです。(下の写真)

ちなみに出雲大社では、本殿に至るまでに4つの鳥居があり、それぞれ、コンクリート製、木製、鉄製、銅製と、すべて違う材質になっています。

「四の鳥居」をくぐると「拝殿」。出雲大社は巨大な注連縄でも有名ですね。最大のものは、あとでご紹介する神楽殿にありますが、ここの注連縄もかなりの巨大さ。

(上・下: 大きな注連縄に目を奪われる拝殿)

拝殿から横を見ると、神域の両側に長い建物があります。(下の写真)

これは「十九社」といい、10月に全国から集まった八百万(やおよろず)の神々が、7日間の神議り(かみはかり)の間、ここに宿泊するのだそうです。

そして本殿が正面に・・・。(下の写真)

拝殿の先にある門は、寛文7年(1667)建立の「八足門(やつあしもん)」。(下の写真)

 鴨居部分の瑞獣と流水紋の彫刻は、名工・左甚五郎作と伝わっています。

(上: 鴨居の彫刻と神紋「二重亀甲に剣花角」)

「本殿」は大社造りと呼ばれる日本最古の神社建築様式。現在の本殿の高さは24mということですが、近年、神域の発掘により、草創期の本殿がこの二倍もの大きさであったことが証明され、話題になりましたね。

(上: 本殿の背後には、八雲山を中心に、左に鶴山、右に亀山がある)

一般の参拝では、本殿の前まで行くことは出来ないのですが、私はツアーでの参加だったので、その特典で、そこまで行くことができました。しかし撮影禁止のため、ご紹介できません(残念)。印象的だったのは、地面に敷き詰められた玉砂利。一個の大きさが6~10数㎝もあり、もはや玉砂利ではなく玉石?と呼べるものだったこと。出雲大社の特別感を盛り上げていました。

-----つづく  -----

 


厳島(いつくしま)神社(干潮時)・・・広島県(改編)

2021-08-21 | 神社

ご存じのように、広島県「安芸の宮島」の海辺に建つ「厳島神社」は、満潮時には、あたかも海に浮かんでいるように見える特異な神社です。

昔から宮城県の「松島」、京都府北部の「天橋立」とともに「日本三景」の一つとして知られていますが、近年は世界遺産にも指定され、「伊勢神宮」、「出雲大社」と並んで、日本を代表する神社の一つに数えられています。

伊勢神宮は五穀豊穣をもたらす太陽神を祀り、出雲大社は国造りに関わる神、そして厳島神社は海の神を祀っています。

厳島神社の創建は、推古天皇元年(6世紀末)と伝えられていますが、今日に見る美しい社殿が造営されたのは、平安時代後期(12世紀半ば)、平清盛によってでした。

(下: 干潮時の社殿の景)

 

 厳島神社へのアクセスは、宮島口桟橋からJR西日本宮島フェリーで・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

対岸の朱塗りの大鳥居がみるみる近づいて、10分ほどで宮島着。

まずは手水場で、心身を清めて参殿。寝殿造り風の建物なので、神社に参拝というより、平安時代の御殿に上がるという感じです。

回廊を進むと、幾重にも重なった朱塗りの柱が、うつくしい光景を演出します。

そして、私が一番注目したのは、床の構造。よく見ると、板と板の間に隙間があります。

満潮時には海面が床下すれすれまで上昇するため、嵐などで、それ以上に潮位が上がった時に、回廊にかかる海水の圧力を弱め、上がった水を逃がすための工夫とか。

また、以前に参拝した時は満潮時だったのですが、今回は干潮時で、新たな景色を見ることができました。

その一つは、「鏡の池」。

海水が引いた後に、小さな池が現れるという趣向です。

そして、大鳥居の足元まで行けたこと。

遠くから眺めた時は、大きいことは大きいけれど、ごく普通の鳥居に見えたのですが・・・

近づくと、その巨大さと造形美に圧倒されました。

鳥居は柱の前後に控柱のある構造で、木造の鳥居としては、日本一の高さと大きさを誇るそうです。

また、海底に基礎を打ち込むことなく、州浜に置かれた土台の石の上に立っているだけ。その方が、満潮時や荒波に対応できるのだとか。最上部に7トンの玉石を詰め、安定のための重しにしているとも。

それにしても、干満の差が約4メートルあるという潮の流れに、よく耐えられるものだと思いました。

       

 (上: 鳥居を支える豪壮な柱と、柱の足元にぎっしりついたフジツボ。間にコインもぎっしり)

(上: 鳥居から望む厳島神社)

「驕(おご)れる人も久しからず・・・」と冒頭にある『平家物語』の影響からか、平家一族の筆頭であった平清盛は、悪いイメージで描写されることが多いのですが、厳島神社を見ていると、また別の清盛像が浮かんでくるようです。

 

* 厳島神社の大鳥居は、2021年6月17日現在、大規模な修理工事中とのことです。工事期間などについては、公式HPをご参照ください。

 

 

 

 


日本庭園ランキング・・・「しおさいプロジェクト」から(2020年度版)

2021-08-12 | 日本庭園

「しおさいプロジェクト」とは、アメリカの雑誌『ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング』が毎年発表している日本庭園の評価表です。

その特徴は、庭園そのものに焦点を当てるものではなく、「数寄屋生活空間」をコンセプトに、「くつろぎと美の空間」という観点から50庭を選出するというものです。

いわゆる名勝庭園や歴史的庭園などが必ずしも高い評価とはならず、ホテルや旅館、料亭、結婚式場などの庭園が、50庭のうち半数近くを占める結果となっているのは、そうした基準によるものと思われます。

2020年度版の上位20庭は、以下の通りで、ほとんど前年と変わっていません。

①足立美術館(島根) ②桂離宮(京都) ③皆美館(島根) ④山本亭(東京) ⑤玉堂美術館(東京) ⑥御所西 京都平安ホテル(京都) ⑦栗林公園(香川)⑧養浩館庭園(福井) ⑨隠れ里 車屋(神奈川)⑩無鄰菴(京都) ⑨栗林公園(香川) ⑪洛匠(京都) ⑫二条城二の丸庭園(京都)石和かげつ(山梨) ⑬庭園の宿 石亭  ⑭Museum李朝(京都)⑮石和かげつ(山梨) ⑯大濠公園(福岡) ⑰松田屋ホテル(山口) ⑱武家屋敷跡・野村家(石川) ⑲八芳園(東京)⑳頼久寺(岡山)

このブログでも、2017年版と2019年版をご紹介していますが、今回は、選出された50庭について、手持ちの写真の中から、建物との関わりという視点を中心に、いくつかの庭園をご紹介します。

《①足立美術館(島根)》

このランキングの初回から、18年連続で1位を獲得している庭園。

「庭園もまた一幅の絵画である」という言葉に包括されるように、庭のどこを切り取っても「絵になる」庭園です。

窓枠が額縁の役割を果たす「生の額縁」の景。

美術館の庭であるが故に、この趣向は一層、効果的である気がします。

下の写真は、横山大観の名作「白砂青松」をイメージして造られたという庭園の景。 

そして開館前には、大勢の人がそれぞれの持ち場で、隅々まで行き渡る作業をしていました。この維持管理の良さが、長年にわたり『Japanese Garden Journal』に高い評価を得ている理由の1つです。

 

《② 桂離宮(京都)》は、江戸時代初期、八条宮智仁親王・智忠親王の父子二代に渡り造営された庭園。

総面積は、約6万9千平方メートル。その中央に、複雑な汀線を持つ広大な池があり

 

 周囲に、風雅な書院や茶亭が配され

池に浮かぶ大小の中島には、土橋や板橋、石橋など趣の異なる橋が架かり

随所に据えられた燈籠、手水鉢などが点景となって、歩を進めるごとに景色が変化する、回遊式庭園のお手本のような光景が展開します。

日本の建築美、庭園美が凝縮され、その歴史的背景も含めて、個人的にはランキング1位の庭園です。

 

⑤ 玉堂美術館(東京)》は、近代日本画の巨匠・川合玉堂の美術館です。建築設計は、数寄屋建築の名手として知られた吉田五十八氏。庭園は、世界各地にも日本庭園を造っている中島健氏。

一見すると、有名な竜安寺石庭を彷彿させますが、ここでは、直線的な延段が加わることによって、古典的枯山水の景が、モダンな庭園へと変化しているのを感じます。

 

⑦栗林公園(香川)

代表的な大名庭園として知られる栗林公園は、広大な池泉回遊式庭園。

標高200メートルの紫雲山を背景に、6つの池と、13の丘で構成されています。まずは、その規模の大きさにびっくり。

 

 (上:マツに縁取られた北湖の水面の広がりの先に、借景というより、庭園の一部として迫ってくる紫雲山)

下は、栗林公園で最も有名な景の1つ南湖と偃月橋。

 

 

そして、南湖に優美な影を映すのは、茶室・掬月亭(下)

庭園内を縦横に走る園路を辿れば、まさに「一歩一景」。次々に新しい景色が展開。緑と石と水、そして建物と、すべての庭園要素が絶妙な調和を見せています。

特に松は、「手入れ松千本」といわれるだけに、数多くある松のどれもが、芸術作品のよう。

 

⑧養浩館庭園(福井)

回遊式林泉庭園と数寄屋風建物群からなり、地元の人には「御泉水(おせんすい)」と呼ばれて親しまれている庭。その呼び名の通り、幅広の遣水と広大な池が、まず目に飛び込み、芝生で覆われた築山とともに、美しい景をつくっています。

 

 

⑩無鄰菴(京都)

明治以降の庭を語るのに欠かせない造園家が、近代造園の先覚者と呼ばれる小川治兵衛・通称「植治」です。そして小川治兵衛を語るのに欠かせないのが、その作風を方向づけた、明治27~29年(1894~96)に、時の元老・山縣有朋が造営した別荘の庭園・「無鄰菴庭園」です。

(上: 建物前に広がる庭景)

⑲ 八芳園(東京)

結婚式上の庭園ですが池まで下ってくると、そこが都心にある華やかな結婚式場であることを忘れてしまうほどで、ひっそりと風情豊か。

創設者がこだわった「自然のまま」という基本理念が今も受け継がれている庭園です

(上: 風流な四阿)

 

⑳ 頼久寺(岡山)

なんと言っても景のポイントは、ダイナミックなサツキの大刈り込み。大波のように、うねりながら押し寄せてくる様に目を奪われます。

桃山時代の豪快な手法と、江戸時代の洗練された意匠が調和して、時代の過渡期の庭園としても価値があります。

 

㊼ 並河靖之七宝記念館(京都)

庭園の池の水には、琵琶湖疎水が導入されています。当時は、個人宅に疏水を引き込むことは許されていなかったのですが、七宝の研磨用に使うという理由で許可されたということ。これが個人庭園に疏水を引いた最初の例となりました。

常緑樹の木々が濃い緑の影を落とす庭の大部分には、池が広がり、母屋が池の上に張り出しているのが、流水の水音とともに、いかにも涼しげな印象。

「水のマジシャン」と呼ばれた巨匠・小川治兵衛のデビュー作です。

(上: 輸入ガラスを嵌め込んだ母屋のガラス戸に、疏水を引き込んだ植治の庭がよく映える)

㊽ 根津美術館(東京)

都心にある美術館ですが、ここもまた、それを忘れさせてくれる静寂感に包まれています。

(上=アプローチと下=ロビー前の景)

(下:茶室前の景)

庭の下に降りると、眼前に広がる池の景(下)

そして紅葉を映す秋の池

 

*お断り=ここにご紹介した写真は、主に「建物とのかかわり」を視点としているので、各庭園のベストな景観とは限りません。

 


大徳寺・瑞峯院庭園=重森三玲の造形革命(3)・・・京都市(改編)

2021-08-09 | 日本庭園

京都・「大徳寺」には、龍安寺の石庭と並び、最も有名な枯山水庭園の一つである「大仙院庭園」をはじめ、多くの印象深い枯山水庭園を持つ塔頭が並んでいます。

「瑞峯院庭園」もその一つで、ここもまた重森三玲の作です。瑞峯院は、室町時代のキリシタン大名として知られる大友宗麟を開基として、創建された禅寺。

方丈前の庭園は、寺名の「瑞峯」をテーマにした蓬莱山式庭園で、「独座庭」と名付けられています(下の写真)。打ち寄せる荒波に、もまれながらも悠々と「独座」している大雄峯・蓬莱山を表現したとあり、造形的な石組と、うねりのある砂紋がインパクト大です。 

 

 

 

 

 

 

 

 

(上: 「独座庭」の右の景は、けわしく聳える蓬莱山。左の景は、荒波の打ち寄せる半島)

 

(上: 茶室前に表現されたのは、穏やかな入江の景)

 

一方、方丈裏の庭園は、禅語からの命名で「閑眠庭」と名付けられていますが、大友宗麟がキリシタン大名であったことから、7個の石が十字架に組まれているのが特徴です。

(上: 流れるような石の配置に十字架を内包した「閑眠庭」)

 

重森三玲の造園の代名詞とも言える「立石」は、ダイナミックである一方、庭に不安定感をもたらしかねません。作庭家の力量が問われるところです。重森三玲が「昭和の巨匠」と呼ばれるのは、まさに、余人には真似のできないその石組の力強さと奥深さによってだと思います。

枯山水庭園は、時代や国境を越えて、人々を魅了し続けてきましたが、今また、新たなブームを迎えているとか。普遍性のある抽象的意匠と、込められた深い精神性が、現代人の心をとらえるのかもしれません。

---終わり---

 

 


東福寺・龍吟庵庭園=重森三玲の造形革命(2)・・・京都市(改編)

2021-08-05 | 日本庭園

前回、東福寺本坊庭園をご紹介しましたが、その庭について重森三玲自身が語っている文章を、偶然見つけました。それは早坂暁著『君は歩いて行くらん---中川幸夫狂伝』の中の一節です。

「昭和14年の日支事変の最中につくったのよ。あきれるばかり支那の文化をいただいているのに、日本軍が暴れ込んで、ワシは申し訳ないなあという気持ちで、支那ふうの寺院の東福寺を、この庭で飾ったのよ。」

(上: 東福寺本坊庭園)

文中、今では不適切な表現がありますが、重森三玲の作庭に対する気概が伝わってくるものなので、そのまま引用しました。

さて、東福寺の中には、前記の本坊「八相庭」の他に、もう一箇所、塔頭の「龍吟庵(りょうぎんあん)」に、重森三玲の庭があります。ここは、普段は公開されておらず、特別公開(京の冬の旅・非公開文化財特別公開)の時に拝観したものです。

龍吟庵は、鎌倉時代中期(1291)の開創。現在の方丈の建物は、室町時代の建築、両開き板唐戸や蔀戸など、寝殿造りの名残を留める優美な書院造りで、国宝に指定されています。

庭園は方丈正面の南庭、西庭、東庭の三庭から成り、すべて重森三玲の作庭です。

南庭は白砂を敷き詰めただけの「無の庭」を表現した平庭。しかし西庭との境にある竹垣の稲妻模様が、次に展開する庭園構成に期待を抱かせます。

(上: 「無」を表現した南庭だが、竹垣にドラマの予感)

そして期待通り、西庭で待ち受けているのが、ドラマチックな枯山水庭園です。築地塀を背景に、稲妻を表した竹垣を添えた舞台では、中央に組まれた二つの青石の立石が、龍の頭を象徴。その周囲に渦巻き状に配された石は龍の胴体。雲紋を描く白砂は海、黒砂は雲を表したもの。

(上: 龍の昇天を表した西庭)

龍が海中から黒雲を得て、昇天する姿を表現した、まさに「龍吟庵」にふさわしい、躍動感あふれる構成が眼前に展開します。

(上: 立石によって象徴された龍の頭。 下: 後方の稲妻模様の竹垣も景を盛り上げる)

そして東庭は、また別のテーマが表現されています。龍吟庵開創・仏心大明国師の幼少時の逸話の一場面=国師が幼少の頃、熱病にかかり、山中に捨てられた時、二頭の犬が、狼の襲撃から国師を守ったという故事に基づいたものとか。(下の写真)

中央に伏せられた石が国師を、その両脇の二石が犬、それらの前後の石が狼を表していると思われます。地を赤砂敷きにしているところが斬新。

これら二つの庭園デザインは、一般的な日本庭園の構成とは異なり、かなり具象的です。へたをすると、幼稚になりかねない手法が、そうはならない。そこに重森三玲の、非凡さ、技量の確かさがあるのだと思います。

---つづく---