馬籠(まごめ)は木曽十一宿の最南端。馬籠峠から約3キロの、坂道の途中にあり、どうして、こんな急勾配の土地に宿場ができたものか。妻籠宿同様、入口には高札場があり、そこから600メートルほど続く町並みが形成されています。
(上: 馬籠宿の入口。右手奥に高札場)
(上: 急な坂道の途中にある馬籠宿)
街道には石畳が敷き詰められ、その両側に築かれた石垣の上に家々が並んでいる様は、何か城塞の町を思わせ、古いヨーロッパの町並みにも似ています。
(上: 石畳と石垣がヨーロッパの古い町を彷彿させる)
明治28年に大火があったそうで、町並み自体は新しいのですが、宿場町の外観を大切にした再建によって、往時の雰囲気がよく保たれています。
(上: 風情豊かな宿場の町並み)
石畳の坂道を下って行くと、右側に「馬籠脇本陣資料館」。脇本陣としての建物は焼失してしまいましたが、唯一、宝暦年間(1753)に坪庭に組まれたと伝わる石垣が残っています。亀甲形の切石を、きっちり積み上げた、曲線の美しい石垣で、石1つが米1俵だったという高価なもの。
資料館の2軒ほど先、町の中心あたりに、「藤村記念館」があります。ここは島崎藤村の生家、馬籠本陣の跡地。明治の大火で類焼し、隠居所のみが残って、あとは畑地になっていたのを、昭和20年頃、文豪・藤村を顕彰するものをということで、土地の有志が中心となり、谷口吉郎氏(近代数寄屋で知られる建築家)に設計を依頼、工事には村人が協力して、昭和22年に完成しました。
(上: 馬籠本陣だった当時の外観が復元された藤村記念館入口)
正門の冠木門と黒板塀を復元。正面の白壁の障壁には、「血につながるふるさと、心につながるふるさと、言葉につながるふるさと」と、藤村の言葉が書かれた扁額が掲げられています。
(上: 藤村関連の膨大な史料を展示する記念館)
記念館の隣で喫茶・民芸店を営む大黒屋は、『初恋』のおふゆ様の生家。
「山の中とは言いながら、広い空は恵那山の麓の方にひらけて、美濃の平野を望むことのできるような位置にある。何となく西の空気も通って来るようなところだ」(『夜明け前』より)
(上: 広い空が開ける木曽路の終わり)
宿場の坂道の途中から眺めると、はるか下方まで、広々と空が開け、木曽路の長い谷を抜け出たことが実感されます。馬籠の次の宿場の「落合宿」は、もう岐阜県です。
* アクセスなど詳しい情報は、馬籠観光協会のHPを参照ください。
* カテゴリーは、「歴史を語る町並み」にしましたが、もちろん、木曽路は「古道」でもあります。
---「木曽路を歩く」終わり---