日本庭園こぼれ話

日本の歴史的庭園、街道、町並み。思いつくままに
Random Talks about Japanese Gardens

豪商・田中本家と蔵造りの街並み=記念館の庭(4)・・・長野県須坂市(改編)

2021-02-28 | 日本庭園

長野市の東、約15キロに位置する須坂(すざか)は、江戸時代は、須坂藩一万石の館町(やかたまち)。善光寺平と呼ばれる長野盆地の交通の要地として賑わい、明治時代には、製糸業で繁栄しました。町並みには、そうした歴史を偲ぶ土蔵造りの家々が多く残されています。その中でも特に目を引くのが、田中本家博物館の屋敷構えです。

田中本家は、江戸中期、享保年間(1733)創業の商家。穀物、菜種油、煙草、綿、酒造業などの商売を始め、藩の御用商人を務めるとともに、大地主へと成長。幕末期には、その財力は須坂藩のそれを上回る、北信濃屈指の豪商となったということです。

当時の面影を伝える屋敷は、約100メートル四方を20棟の土蔵が囲んだ中に、母屋や客殿、庭園が点在する豪壮なもの。土蔵5棟を改装した展示室には、田中家代々の生活に使用された陶磁器、漆器、衣装、書画、玩具などが、季節毎の企画で展示されていますが、その数と質の良さは、ため息もの。

収蔵の「お宝」は、全部で2万点以上もあるといい、美術的、骨董的価値はもちろんのこと、江戸から昭和へと、それぞれの時代の風俗を知る上でも貴重な資料で、「近世の正倉院」とも言われています。

 

そして庭園。田中本家には、いくつかの趣の異なる庭園があります。順路に従うと、まず入口の長屋門をくぐったところに表庭。一面に敷かれた白砂利が清浄感を醸し出し、見事な枝振りの松が景を引き締めています。

軒下に滾々(こんこん)と水が湧いて、雨落ち部分に小さな流れを作っているのも清々しい眺めです。これは名付けて「春の庭」。

(上: 雨落ち部分の湧水が空気を浄化するかのよう)

蔵の展示館を出ると、そこは裏庭で、垣根の中に様々な草花が植えられた、内々の庭。枝垂れ桜の大木が、春の美しさを想像させます。

主庭は江戸時代末期につくられたという池泉回遊式庭園。左手奥に滝口があり、池の周囲には形良く刈りこまれた松が配され、池の正面には、天端の平らな大石が扇の要のように、どっしりと据えられて、格調高い雰囲気の庭です。モミジの紅葉が素晴らしいということで、ここは「秋の庭」。

(上: 重厚な中にも華やぎがある主庭)

出口近くには「夏の庭」があります。せせらぎにナツツバキの緑が影を落とす涼しげな庭の構成。散った花が水面を覆う頃の景は、さぞ幻想的なことでしょう。どの庭もそれぞれに風情があり、手入れも良く行き届いて、心地よい気分で満たされました。

(上:「夏の庭」をモチーフに、流れの景で構成された中庭)

 

須坂では、田中本家の他にも、街を歩くと、その歴史を物語る土蔵造りの建物が、たくさん目に入ります。市が中心街の歴史的景観の保存に乗り出し、伝統的な建物の修理や、景観に合わせた建造物などの修景に補助金を出したり、あるいは、新しく公共的な建物を建てる際には、蔵のデザインを積極的に取り入れるなど、様々な対策を講じた結果ということ。ちなみに、須坂の隣の駅が、町並み修景で名高い小布施です。

 

蔵造りの家並みのメインストリートは、長野電鉄・須坂駅から歩いて10分ほどの中町を中心に、四方に走る道路。

新町通りの「塩屋醸造」(下の写真)は、味噌と醤油の店ですが、ご先祖が川中島の合戦の時に上杉方について禄を失い、塩の商いを始めたことから、その屋号が誕生したという老舗。どっしりとした店構えの裏手に何棟もの蔵が並んでいるのが、表からも窺えます。

中を見学できるというので、大暖簾をくぐって敷地の中に入ると、早速どこからか醤油のいい香りがプーンと。かたわらに据えられた大きな石は、母屋と醸造蔵の仕切を表す「岩屏風」。その奥に九棟の蔵が連なっています。

創業の祖を記念して「清右衛門蔵」と総称されるそれらの蔵は、三十石桶が立ち並ぶ「木桶仕込み天然味噌蔵」。醤油・もろみを貯蔵する「諸味(もろみ)蔵」、醤油を絞る「醤油蔵」などなど。その中で、伝統的製法を守りながらも、新しい技術を導入し、様々な味噌、醤油が造られてます。

蔵の内部は古色蒼然。でも、改装するわけにはいかないのです。なぜなら、味噌蔵の土壁には、10円玉一個分の面積に、1億以上の「菌」が付いていて、それが味噌の味を決定するのだそうです。

蔵の壁や天井、空中に生息し続ける自然菌は、味噌の味を引き立てる「蔵の精」とも言うべき存在とか。蔵を守ることの大切さは、こんなところにもあるんですね。

もう一ヵ所見学したのが、須坂クラシック美術館(上の写真)。クラシック美術館って何だろう?と、その名称からは、さっぱり見当が付きませんでしたが、そこは古民芸と、「銘仙(めいせん)」と呼ばれる織物の展示館でした。

建物は、江戸時代に藩御用達の呉服商で、明治時代に製糸業で成功した牧家が、明治20年代に建てたもの。母屋、上店(うわのみせ)、土蔵、長屋門の四棟から成り、須坂の伝統的町家の中でも最大規模の一つということ。贅沢で凝った造りが随所に見られます。

欄間の細工、長押の釘隠し、箱階段・・・。そして縁側に嵌められたお洒落なガラス戸。ここでは建物もまたクラシック美術品なのでした。

※最新の情報ではありません。訪れる際には、公式HPなどをご確認ください。

 


本間家=記念館の庭(3)・・・山形県酒田市(改編)

2021-02-18 | 日本庭園

山形県の北部に位置する酒田市は、江戸時代、最上川水運と日本海海運の要衝として栄えた湊町。多くの豪商が軒を連ね、自治組織が発達したという土地柄です。

酒田の発展の礎となったのは、12世紀末、奥州平泉滅亡の際、藤原秀衡ゆかりの女性(後に尼となり、徳尼公と呼ばれる)を守って落ちのびた36人の家臣。この地に移り住んだ彼らは、地侍となり、町づくりを行い、その子孫が「酒田36人衆」として、自治組織を確立していったとあります。

そして、時代下って、寛文12年(1672)、河村瑞賢が幕命を受けて、西廻り航路を開くと、酒田に出入りする船舶は急増。北前船の拠点として、「西の堺、北の酒田」と称されるほどの繁栄を見るのです。

(上: 川沿いに建ち並ぶ倉庫群が往時の繁栄を物語る)

後に日本一の大地主として名を馳せる本間家の初代が、「新潟家」を開業したのは、こうした酒田の輝かしい歴史が始まった元禄2年(1689)のことでした。「新潟家」の名が示すように、ご先祖は越後に関係があったようです。

本間家3代・光丘は、千石船による商いを始める一方、農業振興のための土地改良や植林事業など、公共事業支援を積極的に行い、さらには藩財政の相談役も務めた、本間家中興の祖とされる人物。

現在、市の中心部に本間家旧本邸として残る豪壮な屋敷は、光丘が、明和5年(1768)に、藩主酒井家のために、幕府巡見使の本陣宿として建造、その後拝領し、本邸として使用していたというもの。

そんな由来を物語るかのように、見事な枝振りの松の巨木が頭を覗かせている薬医門と、その前後に長く延びる白漆喰の築地塀。それはまさしく大身の武家屋敷のたたずまい。

(上: 豪壮な門構えに、「本間様」の隆盛が偲ばれる)

そして建物は、表は、二千石旗本の格式を備えた武家屋敷の構えで、その奥は商家の造りになっています。このように、2つの建築様式が一体となっているのは、極めて珍しい例だそうです。

内部の表座敷の部分もまた、檜の柾目を使ったり、飛騨から職人を呼び寄せたという春慶塗りを用いるなど、どこを見ても贅を凝らした造りになっていますが、家族の日常生活の部分は、意外に質素。

そんなところに、「本間様には及びもせぬが、せめてなりたや殿様に」と謳われた本間家と、「徳を重んじ、利益の4分の3は社会に還元する」を家訓とした本間家の両面を見た思いです。

 (上: 庭は一見、質素だが、据えられた石は見事。北前船で運ばれたものだ)

そして、本間家の別邸・・・

酒田駅の近くにある本間美術館は、本間家4代の光道が、文化10年(1818)に建てた別荘でした。「酒田の迎賓館」として、藩主や幕府要人、明治以降は皇族や政府高官の宿泊施設としても利用された建物です。注目すべきは、この建造もまた、港湾労働者の冬期失業救済事業の一つだったそうです。

本館庭園は、四阿のそばの老松に鶴が飛んできたことから、酒井侯が「鶴舞園(かくぶえん)」と名付けたという池泉回遊式庭園です。佐渡の赤玉石、伊予の青石、鞍馬石など、北前船によって運ばれたという全国の名石がたくさん使われていて、当時の隆盛が窺われます。

(上: 鶴舞園)

高低差のある敷地が、変化のある景色を生み、眺めも抜群の庭です。

「清遠閣(せいえんかく)」と呼ばれる本館は、瀟洒な木造二階建て。二階部分は大正時代の建築で、窓に嵌められたガラスや電灯などに、モダンの香りが・・・。展示品は、本間家に代々伝わる古文書や拝領品などです。

(上: 清遠閣に至る八つ橋が風情豊か)

 

最後にもう一つご紹介したい庭園は、本間家ではないのですが・・・

私は、この地を訪ねるまで、酒田と言えば本間家しか知らなかったのですが、本間家と並び称された東北地方の大地主・伊藤四郎右衛門の別邸跡が、やはり酒田駅の近くにあります。

明治24年築造の清亀園。パンフレットには「庭園は、当時50数名の門下を擁した名庭師・山田挿遊の手によるもの」と書かれていました。

和室を備えた建物とともに、現在は酒田市の生涯学習施設として一般に開放されている清亀園の庭園は、昭和54年に復元された池泉回遊式。昔は庭園内に田んぼもあった、というほど広大だったそうです。

今は規模もずいぶん縮小されているようですが、松、庭石、燈籠などが、要所要所に目を引く景色をつくり出し、名園の面影を漂わせています。

(上: 清亀園)

 

 


並河靖之七宝記念館=記念館の庭(2)・・・京都市(改編)

2021-02-11 | 日本庭園

ここは明治・大正時代を代表する七宝作家・並河靖之の旧邸。明治27年竣工の建物の、通りに面した外観は、京格子、虫籠窓、駒寄せを備えた「表屋造り」。

それに連なる主屋は、書院造りの系統を引く「御殿造り」。2つの様式が組み合わさった珍しい構造として、建物自体もまた貴重な遺構です。随所に、青蓮院や修学院離宮など、名建築の写しも見られます。

(上: 格子戸、虫籠窓、駒寄せなど、京町家の特徴を備えた並河靖之七宝記念館の入口部分)

平成15年に、並河靖之七宝記念館として開館。

室内には、輸入品のガラス障子を用い、鴨居も当時としては高い六尺(約1.8m)。そのためここには、表の外観とは全く異なる、明るく開放的な空間があります。また、邸内には、旧工房を利用した展示室と、復元された窯場があり、当時の工房の様子が偲ばれます。

建築、室内の意匠、七宝作品・・・どれも見応えのあるものですが、ここでは特に、記念館の庭園をご紹介したいと思います。

作庭は、七代目小川治兵衛。通称「植治」は、「日本三大造園家の一人」「近代造園の祖」「水のマジシャン」など、様々な尊称とともに語られる明治の偉大な造園家です。

作品としては、名勝・無鄰庵や平安神宮神苑をはじめ、南禅寺界隈の別荘群の庭園がもっとも有名ですが、そのさきがけとなる作品として、近年、特に注目されているのがこの「並河靖之七宝記念館」です。

庭園は池泉回遊式。表情豊かな園路や、大ぶりな沓脱石、一文字手水鉢など石の扱いも魅力的ですが、やはりこの庭の主役は水。

常緑樹の木々が濃い緑の影を落とす庭の大部分には、池が広がり、母屋が池の上に張り出しているのが、流水の水音とともに、いかにも涼しげな印象。

この池の水には、琵琶湖疎水が導入されています。当時は、個人宅に疏水を引き込むことは許されていなかったのですが、七宝の研磨用に使うという理由で許可されたということ。これが個人庭園に疏水を引いた最初の例となりました。

(上: 輸入ガラスを嵌め込んだ母屋のガラス戸に、疏水を引き込んだ植治の庭がよく映える)

小川治兵衛30代前半の作。生涯において、南禅寺界隈に疏水を利用した庭園を数多く作庭した巨匠のデビュー作として、意義深い庭園と言えるでしょう。

※拝観等については、並河靖之七宝記念館HPをご参照ください:

 

 


遠山記念館の庭=記念館の庭(1)・・・埼玉県(再編)

2021-02-05 | 日本庭園

埼玉県川越市は「小江戸」としての町並みが人気ですが、散策の際に是非、足を延ばしたいのが遠山記念館。

遠山記念館は、川越の隣町、川島町にあり、当地出身の日興證券創立者・遠山元一氏が、幼少時に没落した生家を再興し、苦労した母の住まいとするために建てた邸宅が始まりです。

川越駅からバスで30分程。「牛ヶ谷戸」停留所で下車。水田が広がるのどかな雰囲気の中を、要所に立てられた案内板を頼りに歩くこと15分。やがて、いかにも旧家らしい長い土塀が見えてきて、重厚な長屋門が迎えてくれます。

(上: 長屋門)

 

(上: 遠山記念館の表玄関のたたずまい)

建物は、昭和8年から3年近くをかけ、当時最高の建築技術と、全国各地から集めた銘木を使って竣工したというもので、東棟、中棟、西棟と、それぞれ様式の異なる伝統的日本建築3棟が、渡り廊下で結ばれています。

その後、邸宅の保存と、元一氏が長年にわたって蒐集した美術品を一般に公開することを目的に、敷地内に美術館を併設し、記念館として、昭和45年に開館されました。

収蔵品は、日本と中国の絵画、書跡、陶磁器、染織を中心に、アジアから中近東、中南米、ヨーロッパと、時代も国も種類も実に多彩。古今東西の美術品が、季節のテーマに応じて展示されています

(上: 周囲の雰囲気に調和するモダンな蔵造り風美術館)

続いて邸宅の拝観。邸宅は9,000平方メートル余りという敷地の北側に並列し、南側は広々とした庭園に面しています。

表玄関のある東棟は、豪農の屋敷を彷彿させる、どっしりとした茅葺き屋根の建物。ここから望む庭園は、枯流れのある和風庭園。縁先には、近年復元された水琴窟が興趣を添えています。

(上: どっしりと風格のある東棟)

(上: 東棟の庭は和風)

中棟は書院造り。前面に明るい芝庭がスカッと横たわり、後方では和風の植栽と流政之作の御影石の現代彫刻が調和しています。

(上: 書院造りの中棟)

 

 (中棟から眺めた芝庭と植栽)

西棟は数寄屋風の建築。ここでの庭の眺めの主役は、自然石を組み合わせた井筒と端正な石燈籠のコンビネーション。(下の写真) 

このように、庭園は眺める位置によって、それぞれに趣きを変えながら、風情豊かな姿を見せてくれます。建物内の意匠もまた、派手ではないけれど、気品があり、吟味した材料を使った設えと、職人の確かな仕事ぶりが窺えます。

記念館で過ごした、ゆったりと、気持ちの良いひとときを思い出しました。