長野市の東、約15キロに位置する須坂(すざか)は、江戸時代は、須坂藩一万石の館町(やかたまち)。善光寺平と呼ばれる長野盆地の交通の要地として賑わい、明治時代には、製糸業で繁栄しました。町並みには、そうした歴史を偲ぶ土蔵造りの家々が多く残されています。その中でも特に目を引くのが、田中本家博物館の屋敷構えです。
田中本家は、江戸中期、享保年間(1733)創業の商家。穀物、菜種油、煙草、綿、酒造業などの商売を始め、藩の御用商人を務めるとともに、大地主へと成長。幕末期には、その財力は須坂藩のそれを上回る、北信濃屈指の豪商となったということです。
当時の面影を伝える屋敷は、約100メートル四方を20棟の土蔵が囲んだ中に、母屋や客殿、庭園が点在する豪壮なもの。土蔵5棟を改装した展示室には、田中家代々の生活に使用された陶磁器、漆器、衣装、書画、玩具などが、季節毎の企画で展示されていますが、その数と質の良さは、ため息もの。
収蔵の「お宝」は、全部で2万点以上もあるといい、美術的、骨董的価値はもちろんのこと、江戸から昭和へと、それぞれの時代の風俗を知る上でも貴重な資料で、「近世の正倉院」とも言われています。
そして庭園。田中本家には、いくつかの趣の異なる庭園があります。順路に従うと、まず入口の長屋門をくぐったところに表庭。一面に敷かれた白砂利が清浄感を醸し出し、見事な枝振りの松が景を引き締めています。
軒下に滾々(こんこん)と水が湧いて、雨落ち部分に小さな流れを作っているのも清々しい眺めです。これは名付けて「春の庭」。
(上: 雨落ち部分の湧水が空気を浄化するかのよう)
蔵の展示館を出ると、そこは裏庭で、垣根の中に様々な草花が植えられた、内々の庭。枝垂れ桜の大木が、春の美しさを想像させます。
主庭は江戸時代末期につくられたという池泉回遊式庭園。左手奥に滝口があり、池の周囲には形良く刈りこまれた松が配され、池の正面には、天端の平らな大石が扇の要のように、どっしりと据えられて、格調高い雰囲気の庭です。モミジの紅葉が素晴らしいということで、ここは「秋の庭」。
(上: 重厚な中にも華やぎがある主庭)
出口近くには「夏の庭」があります。せせらぎにナツツバキの緑が影を落とす涼しげな庭の構成。散った花が水面を覆う頃の景は、さぞ幻想的なことでしょう。どの庭もそれぞれに風情があり、手入れも良く行き届いて、心地よい気分で満たされました。
(上:「夏の庭」をモチーフに、流れの景で構成された中庭)
須坂では、田中本家の他にも、街を歩くと、その歴史を物語る土蔵造りの建物が、たくさん目に入ります。市が中心街の歴史的景観の保存に乗り出し、伝統的な建物の修理や、景観に合わせた建造物などの修景に補助金を出したり、あるいは、新しく公共的な建物を建てる際には、蔵のデザインを積極的に取り入れるなど、様々な対策を講じた結果ということ。ちなみに、須坂の隣の駅が、町並み修景で名高い小布施です。
蔵造りの家並みのメインストリートは、長野電鉄・須坂駅から歩いて10分ほどの中町を中心に、四方に走る道路。
新町通りの「塩屋醸造」(下の写真)は、味噌と醤油の店ですが、ご先祖が川中島の合戦の時に上杉方について禄を失い、塩の商いを始めたことから、その屋号が誕生したという老舗。どっしりとした店構えの裏手に何棟もの蔵が並んでいるのが、表からも窺えます。
中を見学できるというので、大暖簾をくぐって敷地の中に入ると、早速どこからか醤油のいい香りがプーンと。かたわらに据えられた大きな石は、母屋と醸造蔵の仕切を表す「岩屏風」。その奥に九棟の蔵が連なっています。
創業の祖を記念して「清右衛門蔵」と総称されるそれらの蔵は、三十石桶が立ち並ぶ「木桶仕込み天然味噌蔵」。醤油・もろみを貯蔵する「諸味(もろみ)蔵」、醤油を絞る「醤油蔵」などなど。その中で、伝統的製法を守りながらも、新しい技術を導入し、様々な味噌、醤油が造られてます。
蔵の内部は古色蒼然。でも、改装するわけにはいかないのです。なぜなら、味噌蔵の土壁には、10円玉一個分の面積に、1億以上の「菌」が付いていて、それが味噌の味を決定するのだそうです。
蔵の壁や天井、空中に生息し続ける自然菌は、味噌の味を引き立てる「蔵の精」とも言うべき存在とか。蔵を守ることの大切さは、こんなところにもあるんですね。
もう一ヵ所見学したのが、須坂クラシック美術館(上の写真)。クラシック美術館って何だろう?と、その名称からは、さっぱり見当が付きませんでしたが、そこは古民芸と、「銘仙(めいせん)」と呼ばれる織物の展示館でした。
建物は、江戸時代に藩御用達の呉服商で、明治時代に製糸業で成功した牧家が、明治20年代に建てたもの。母屋、上店(うわのみせ)、土蔵、長屋門の四棟から成り、須坂の伝統的町家の中でも最大規模の一つということ。贅沢で凝った造りが随所に見られます。
欄間の細工、長押の釘隠し、箱階段・・・。そして縁側に嵌められたお洒落なガラス戸。ここでは建物もまたクラシック美術品なのでした。
※最新の情報ではありません。訪れる際には、公式HPなどをご確認ください。