日本庭園こぼれ話

日本の歴史的庭園、街道、町並み。思いつくままに
Random Talks about Japanese Gardens

嵯峨野散策(6)---二尊院

2011-07-31 | 日本庭園

本尊に釈迦如来と阿弥陀如来の「二尊」を祀ることから、その名が付いた「二尊院」は、9世紀半ばの平安時代、嵯峨天皇の勅願により、慈覚大師が開山したと伝わる名刹です。

小倉山の東麓に位置し、格式の高さを伺わせる豪壮な総門は、かの豪商・角倉了以が、伏見城の薬医門を移築したというものです。総門の先には、「紅葉(もみじ)の馬場」と呼ばれるほど、広くて長い参道が延びています。

(上: 「紅葉の馬場」の名にふさわしい広く長い参道)

また、小倉山の丸い稜線が背後に覗く伸びやかな本堂。その前面には、白砂が敷き詰められ、いくつか低い竹垣で丸く囲った中に、苔と形の良い松などの古木がバランス良く配されて、境内全体が清新な空気で満たされているかのようです。

(上: 小倉山を背にした境内は、白砂と緑のコントラストが清々しい)

5分、10分歩いただけで、次々に風雅な寺院に行き当たる嵯峨野散策。次は「祇王寺」です。


嵯峨野散策(5)---常寂光寺

2011-07-27 | 日本庭園

 大河内山荘を出て北に向かえば、まもなく、その侘びた名に心惹かれる「常寂光寺」。開山は桃山期、歌人としても優れていたという日禎(にっしん)上人。豊臣秀吉の意に逆らい、隠棲したのが、小倉百人一首の選者・藤原定家ゆかりのこの地だったのです。

(上: 茅葺き屋根の仁王門が景趣を添える参道)

茅葺き屋根の仁王門が、いかにも山寺らしい風情。紅葉の名所としても有名なだけに、仁王門から本堂に至る石段付近に枝を広げたモミジの参道は格別。

 

(上: モミジの幹枝の美しさも再認識する参道)

背後の高台には、秀麗な多宝塔があり、素晴らしい眺めが展開します。

 

(上: 秀麗な姿が印象的な常寂光寺・多宝塔)

近くには、芭蕉の門人・向井去来が庵を結んだ「落柿舎」もあり、このあたりは、嵯峨野めぐりのメインストリート。お洒落な店がぽつぽつ見え始めます。

道端の屑入れにも竹籠をかぶせて、景観への配慮が嬉しい。そんな中を歩いて、次に目指すのは小倉山の東麓の「二尊院」です。

 


嵯峨野散策(4)---大河内山荘

2011-07-24 | 日本庭園

天龍寺の北門を出て、目が覚めるような鮮やかな緑の竹林の中を5分ほど歩けば、「大河内山荘」です。

(上: 侘びた雰囲気の大河内山荘の門)

ここは往年の時代劇スター・大河内傳次郎氏が、昭和6年から、30年の歳月と、映画の出演料の大半を注ぎ込んで造った別荘。百人一首で知られる小倉山の南面に、約2万平方メートルといわれる広大な敷地を有しています。

(上: 大河内山荘アプローチ)

庭は自然風景と溶け込み、周囲の山々を借景に、眺望抜群の庭園ですが、樹木が茂り過ぎたためか、ずっと前に訪れた時よりも、広々感が薄れているのが気になりました。それでも、前面の芝庭から眺める比叡山や東山連峰は雄大。

(上: 平安の貴族の姿が現れそうなシーン=入園券の写真を引用)

上の建物は「大乗閣」。寝殿造り、書院造り、数寄屋造りなど、日本建築の伝統的様式を組み合わせてあるそうです。

変化に富んだ景色を楽しみながら、園内をめぐり歩いて高台に出れば、嵐山と小倉山が目の前に迫り、山の中腹に大悲閣、その向こうには銀色に光る保津川と、大河内氏が愛した眺めが展開します。

「フィルムではない、消えることのない美」を求め続けた映画スターの思いが結実したのが大河内山荘です。


京都・嵯峨野散策(3)---天龍寺

2011-07-21 | 日本庭園

「宝厳院」「弘源寺」と、天龍寺の2つの塔頭をご紹介しましたが、今回は、大本山・天龍寺。あまりにも有名で、今さらの感がなくもありませんが、嵯峨野散策の起点でもあり、やはり天龍寺は欠かせません。

寺伝によれば、天龍寺は、南北朝時代の1339年、吉野で亡くなった後醍醐天皇の菩提を弔うために、足利尊氏が夢窓国師を開山として創建したということ。そういえば、「天龍寺船」による中国・元との貿易で造営資金を調達したことなど、日本史の教科書にありましたね。

(上: 天龍寺参拝入口)

往時は、京都五山第一位の寺格を誇り、嵐山、大堰川をも寺域に取り込んだ壮大な寺院群だったそうですが、度重なる火災により焼失。現在の堂宇は、ほとんどが明治期の再建です。

しかし方丈前の「曹源池」は、日本造園史上三大巨匠の一人に数えられる「夢窓国師」の、作庭当時のままの姿を伝えていると言われ、大和絵の豪華と水墨画の幽玄が、一幅の絵のように眼前に広がります。 

(上: 見事な石組が点在する曹源池。対岸に龍門瀑の景)

古色を帯びた池に点在する石組の数々。中でも中国の龍門瀑に想を得たという三段の滝石組と、その手前の自然石の橋の存在感は、遠目にも圧倒的な迫力で、後世の庭園構成に大きな影響を与えています。

(上: 嵐山を借景にした曹源池)

願わくは、もう少し間近で見たい。何しろ広い池の対岸にあるので、有名な鯉魚石は、ついに発見できずじまい。この後、池の周りの園路伝いに近づいたものの、今度は樹木に、視界を遮られてしまうのでした。

池を半周したあたりで北門に抜けると、嵯峨野路への近道。門を出た途端に出会う竹林の美しさは、息を呑むほど。

(上: スーッと天に伸びた青緑のラインが感動的な竹林の小径)


京都・嵯峨野散策(2)---弘源寺(天龍寺塔頭)

2011-07-18 | 日本庭園

「弘源寺」は、前回ご紹介した「宝厳院」と同じく、天龍寺の塔頭で、両寺は、毎年ほぼ同時期に特別公開されるようです。

弘源寺は、室町幕府の管領であった細川右京太夫によって創建されたもので、創建時の室町時代には、広大な寺領を有していたそうですが、現在は天龍寺の一塔頭。こじんまりとした寺院ですが、嵐山を借景とした枯山水とともに、清々しいたたずまいを見せています。

この庭園は「虎嘯(こしょう)の庭」と呼ばれ、禅の悟りの境涯を表しているそうです。

寛永年間に造営された本堂の柱には、幕末の蛤御門の変の際に、天龍寺に陣を構えた長州藩の兵士が、試し切りをしたという刀傷が残り、当時の事変を物語っています。

弘源寺の寺宝は多く、特に本堂を飾る、日本画家・竹内栖鳳とその門下生(上村松園、小野竹喬など)の作品群に見応えがあります。

また毘沙門堂の正面扁額は弘法大師の直筆と伝わり、その天井は、日本画家・藤原孚石の筆になる「四季草花四十八面」によって、華麗に埋め尽くされています。

嵯峨野のムードにふさわしく、風雅な寺院です。

 ※ 拝観は季節限定です。日程については公式HPなどをご参照ください。
kogenji.jp/