日本庭園こぼれ話

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七福神めぐり・・・川越七福神(埼玉県川越市)(改編)

2022-12-29 | 七福神めぐり

埼玉県川越市は「小江戸」と呼ばれているように、江戸幕府との関わりが深く、その歴史を窺わせる寺社や街並みが魅力です。

七福神めぐりは、川越駅北口から出発。(他に最寄りの駅として、西部新宿線・本川越駅があります。)

地図によれば、最初の寺院は「妙善寺」。駅から400mとありますが、これがなかなか見つからない。(これは毎度のことながら、駅から1番寺までの道は、何の目印もなく、分かりにくいことが多いです)

(上:何度が道に迷いながら辿り着いた「妙善寺」)

妙善寺には「毘沙門天」が祀られています。毘沙門天は、仏教の守護神で「多聞天」とも呼ばれているそうで、鎧甲に身を包んでいるのが特徴。「邪を払い、福をもたらす神」です。

次は「寿老人」の「天然寺」。妙善寺から約1km。妙善寺からは、同じように御朱印の色紙を持った人たちの後ろについて行きました。

「寿老人」は、中国の神様で、老人星の化身とか。その名のごとく、長寿の神様です。

川越七福神寺の特徴の1つが、「小江戸川越七つの音風景」として、七福神の寺の境内に「水琴窟」が据えられていることです。(中には水琴窟の機能を果たしていない蹲踞もありましたが・・・)

(上:天然寺の水琴窟。竹筒に耳をあてると、チーンと澄んだ水音が・・)

3番寺は「喜多院」。天然寺から約1、5kmです。

七福神とは関係ありませんが、途中に、日本三大東照宮の1つといわれる「仙波東照宮」があります。

ここでは、由緒については省きますが、江戸幕府と川越との深い繋がりを示すものです。

(上:荘厳な空気に包まれた神域)

そして、仙波東照宮に隣接してあるのが「喜多院」です。

七福神としては「大黒天」が祀られていますが、もともとが、創建830年、天台宗の名刹で、江戸初期には名僧・天海大僧正が住職を務めたという有名な大寺院なので、境内は初詣での人々で大混雑。

幸い、大黒天は別のところに祀られていたので、お参りして早々に引き上げました。

因みに、川越七福神の解説によれば、大黒天は「古代インドの闇黒の神で、仏教での戦闘神」とか。台所の神として崇められたのは平安時代以降のこと。「くろ(黒)く、なって、まめ(魔滅)に働いて大黒天を拝むと大福利益が得られる」そうです。

喜多院には、その由緒を物語るかのように、江戸城の客殿や書院を移築した建造物や日本三大羅漢像の1つと言われる表情豊かな五百羅漢像など、文化財が多数あるのですが、残念ながら、それらは、年末年始には拝観できません。(下の写真は、別の日に撮影したものです)

(上:書院庭園・下:表情豊かな羅漢像)

 

4番寺の「成田山川越別院」は、喜多院のすぐ近く。喜多院の人混みを抜け出して、ほっとしたのも束の間、こちらも大混雑でしたが、この寺院が大本山成田山新勝寺の別院と聞けば、それも頷けます。

祀られている七福神は、鯛を抱いたお姿で知られる「恵比寿天」。

恵比寿(エビス)というのは、外国人を意味し、「本来は異郷から来臨して人々に幸福をもたらすと信じられた神」なのだとか。

ここから次の「連馨(れんけい)寺」までは約700m。街の東から西へと横切って行きます。

連馨寺の七福神は「福禄寿神」。一般的には「幸福、高禄(財産)、長寿の三徳を人々に与える」神とされていますが、こちらの福禄寿神は「右手に霊芝、左手に神亀を持ち、癌や脳卒中を早く治しなさい。そうすれば福禄寿が得られる」と教えているそうです。

(上:連馨寺の水琴窟)

連馨寺を出て、次の見立寺に向かう途中、街の中心を北上すると、そこはいわゆる「蔵造りの街並み」地区。重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。

しかし、ここもやはり、人、人、人・・・

下の写真の、ひときわ高い建造物は、川越のシンボル「時の鐘」。

江戸時代から、町の人々に時を告げている時計台です。

 

 

 

 

 

 

 

 

「時の鐘」を過ぎた辺りから左側の路地に入って行くと、そこは「菓子屋横丁」。

なつかしいお菓子や食べ物を売る店が軒を連ねて、あちこちから、良いにおいが漂ってきます。

ここを抜けると第6番の「見立(けんりゅう)寺」。

ようやくここで、落ち着いた雰囲気に戻りました。

七福神は見るからに福々しい「布袋尊」。元は中国唐代の禅僧で「小柄で太鼓腹、各地を放浪し、吉凶を占い、福を施して倦むことがなかった」とか。

(上:見立寺の水琴窟)

そして最後は「妙昌寺」。見立寺から900mです。

祀られているのは七福神の中で唯一の女神「弁財天」。芸術、財福のご利益で知られています。妙昌寺の弁財天は、由緒を室町時代に遡り、「のちに川越城築城に際し、城の裏鬼門にあたるところから、太田道灌公からも尊崇された」そうです。

ここで七福神めぐりは終了。歩行距離は川越駅発着で、7.7kmとありました。

寺院間の距離が短く、最長でも20分くらいなので、比較的巡拝しやすい七福神巡りです。

 

* 歩行距離は川越市公式ホームページの地図を、七福神の来歴や御利益などは「越戸川越七福神霊場会」の パンフレットを参照しました。(川越七福神の由緒やご利益も、ユニークで、新しい発見がありました)

* 本文は、最新の情報ではありません。お出かけの際は、公式HPなどをご確認ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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