日本庭園こぼれ話

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弘前市内散策・江戸時代の遺産を訪ねる・・・青森県(改編)

2022-02-09 | 歴史を語る町並み

弘前市は、津軽藩の城下町。初代・津軽為信によって、慶長8年(1603)に計画され、二代藩主信枚が、慶長16年(1611)に完成させた「弘前城」は、明治の廃藩までの260年間、津軽藩政の中心であったばかりでなく、今も天守閣をはじめ、3つの櫓、5つの城門、たっぷりと水を湛えた三重の水濠が健在で、弘前公園として、街に潤いを与え、人々の憩いの場となっています。

(上: 追手門口の景)

 

49ヘクタールの面積を占める「弘前公園」は、市街地の北西に位置し、JR弘前駅からバスで10分ほど。公園の南側の入口が追手門口で、水濠と土手を覆う巨木が、市街のざわめきを吸収するのでしょうか。一歩中へ入ると、静寂感に包まれています。

 

 

 

 

 

 

 

 

(上: 弘前城)

江戸時代の遺産ではありませんが、弘前公園はまた、桜の名所としても有名です。これは明治末期頃から、市民による桜の寄贈が盛んになったもので、現在は、ソメイヨシノ、シダレザクラ、八重桜など、約2,600本余りの桜樹で埋め尽くされているとか。

 

(上: 日本最古のソメイヨシノ)

樹齢約120年という日本最古のソメイヨシノや、棟方志功画伯が「御滝桜」と命名したシダレザクラなどの名木をはじめ、巨木が多く、中でもシダレザクラの存在感が圧倒的。花の季節には、天から降る滝のような光景となることでしょう。

史料館となっている天守閣に、息を切らせて登り、津軽のシンボル・岩木山とご対面。津軽富士の異名が頷ける秀麗な山容が眼前にありました。

水濠と樹木が、随所に美しい景観をつくりだしている園内を散策し、北門から出て少し歩くと、「仲町(なかちょう)伝統的建造物群保存地区」。サワラの生垣と黒板塀が道路沿いに続き、江戸時代に「御家中屋敷」と呼ばれた武家屋敷の町並みを今に伝えています。

 

そのうちの4棟のお屋敷が、無料見学可能とのこと。

 

(上: サワラの生垣や黒板塀が土地の記憶を伝える仲町地区)

仲町から水濠の東側に回ると「津軽藩ねぷた村」です。「村」と言っても、藩の御蔵を一部改造してつくられたという観光施設で、弘前ねぷた祭りの大燈籠を展示した資料館と、津軽地方の伝統工芸品を紹介するコーナーなどで構成されています。

 

 

 

 

 

 

 

 

極彩色に描かれた勇壮な大燈籠は、迫力満点。祭りの時の掛け声とともに「残したい日本の音風景100選」に選定されている、笛と太鼓のお囃子サービス付きです。

民工芸品の体験コーナーや、津軽三味線の生演奏もあり、ここは津軽文化を丸ごと堪能できる施設です。

また資料館の中庭には、本ブログの他の項でもご紹介している、津軽特有の様式を持つ『大石武学流庭園』の1つ「揚亀園」があります。(下の写真=作庭は明治後期)

続いて、弘前公園から、南西方面に少し足を延ばすと、城下町につきものの寺町です。禅林街と新寺町と二筋あり、ずらりと由緒ある寺院が並び建っています。禅林街の最奥部にある長勝寺は、津軽藩主の菩提寺で、二代藩主によって建立された荘重な三門(重要文化財)が目を引きます。

新寺町近く端正な姿を見せる「景勝院五重塔」(下の写真)は、三代、四代藩主により、約10年の歳月をかけて完成した供養塔。国の重要文化財としては、日本最北端に位置する五重塔とか。

 

五重塔を仰ぎ見て、駅に戻る途中で、ふと目に入ったのが「富田の清水(しつこ)」の道標。見ると、道路端に小屋組があり、中が共同洗濯場のようになっています。案内によれば、江戸時代、四代藩主が越前より紙漉法を導入した際に、この清水が使われたのが始まりということ。

 (上: 江戸時代に紙漉に利用された清水が今も生活用水として活躍している)

昭和初期まで、紙漉に利用されてきましたが、その後は生活用水として使用されているもの。源泉からの流れが6つの水槽に仕切られ、最上流は飲用水に、次は米、青物洗い、洗面用と続き、一番下流は洗濯、足洗い用と、それぞれの用途が決められています。

一日の湧水量は、ドラム缶約720本分という豊富さ。今も地域の人々によって管理されているこの清水は、「名水100選」の1つに数えられています。

弘前の街には、このように江戸時代からの遺産が数多く遺されていますが、また、明治・大正の文化財も、たくさん目にすることができます。それはまた次回に・・・。

---つづく---

 

 * 「ねぷた祭り」は、地域によっては「ねぶた」と呼ばれているところもあり、地域の訛り方で違いが生まれたという説がありますが、他にも諸説あるようです。ちなみに、同じ青森県でも、弘前は「ねぷた」、青森は「ねぶた」と呼ばれています。

* 本文は最新情報ではありません。ご訪問の際は、公式HPなどでご確認ください。(特に、武家屋敷見学は、ご注意ください)

 

 

 

 


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