日本庭園こぼれ話

日本の歴史的庭園、街道、町並み。思いつくままに
Random Talks about Japanese Gardens

諸戸氏庭園(再録)---三重県桑名市

2018-10-28 | 日本庭園

「諸戸氏庭園」(名勝庭園)は、「六華苑」に隣接してあります。実は六華苑も「旧諸戸清六邸」の名を冠しているのです。

そこでまずは、両諸戸邸のルーツから。

この土地は室町時代に、織田家家臣だった矢部氏の館があり、「江の奥殿」と呼ばれていたところ。江戸時代、17世紀後半に、豪商・山田彦左衛門が別邸として、ここを買い取り、庭園を拡張整備しました。

明治17年(1884)、庭園は米穀業により一代で財を築いた初代諸戸清六の手に移り、御殿と池庭が付け加えられました。

初代没後、土地財産は2つに分けられ、家屋敷は次男・清太が相続、二代目清六は、四男が襲名、家業を受け継いだということです。その後、それぞれに手を加えたものが、現在の「諸戸氏庭園」であり「六華苑」というわけです。

現在の管理は、前者が財団法人諸戸会、後者は桑名市によって行われています。

六華苑の裏手に回るように歩いて行くと、運河に面して重厚な佇まいを見せているのが、「諸戸氏庭園」の入口に当たる薬医門と本邸。脇には、米蔵として使われた煉瓦蔵が3棟並んでいます。

(上: 店舗と住宅から成る諸戸氏本邸のどっしりとした外観)

本邸は、黒漆喰塗りの土蔵造り2階建て。太い格子窓や2階の虫籠窓にも風情がある明治22年の建築。店舗と住居で構成されているものの、公的な部分と私的な部分とが、明確に区分されているところが、前時代の店舗建築との違いとか。

薬医門をくぐった先に御殿玄関。その手前には、芝生の築山と巨石で構成された車廻しがあり、そこに日露戦争で使用された砲弾が飾ってあるのが目を引きます。

(上: 日露戦争時の砲弾が据えられている前庭)

戦争時に軍用米を提供していたために、戦勝記念として賜ったものということで、そんなところからも、当時の諸戸家の財力、社会的地位が窺われます。

 

「諸戸氏庭園」(名勝庭園)は、大きく2つの部分に分かれています。東側半分は、菖蒲池を中心に構成され、江戸期の山田彦左衛門時代から伝わるものです。

(上: 諸戸氏庭園の原型を今に残す菖蒲池部分)

当時はハナショウブの代わりにカキツバタが植えられていたようですが、八ツ橋や蘇鉄山、あるいは藤棚のある藤茶屋などが点在しています。

手前の一段高い所にある草庵「推敲亭(すいこうてい)」もまた江戸時代のもの。表千家六代・覚々斎宗左の作と伝わり、三畳に小ぶりの出床を巡らし、三方を障子戸にした開放的な造りで、月を眺めながら詩歌を「推敲」したところから名付けられたとか。

西側は、明治時代に拡張した部分。「御殿」と池庭で構成されています。御殿は木造平屋入母屋造り。西本願寺をモデルにしたといわれるだけに、どっしりと豪快で、堂々とした構えですが、床がかなり高くなっているために、圧迫感はありません。その高さに合わせて据えられた縁先手水鉢は、下からだと見上げるほどの巨石。

(上: 高い床が特徴的な御殿)

前面の池は、琵琶湖を模したということで、竹生島に見立てた岩を配し、鳥羽や志摩から運んできた青石などの巨石と、枝振りの良いマツが景色をつくっています。

(上: 琵琶湖を模し、右手の岩を竹生島に見立てている)

池畔に玉石を敷き詰めた州浜は、2段になった護岸石組。この庭は、もともと水田を埋め立ててつくった低い土地のため、揖斐川の干満に応じて水位が変化する潮入りの庭としての趣向が凝らされていたのです。

(上: 池越しに州浜と御殿を眺める)

東京から浜離宮などを手がけた宮内省の技師を招いて、設計を依頼したということ。現在は水門が閉じられているので、干満により、州浜が見え隠れしていたという風情は幻のものとなってしまいました。

(上: 巨石と枝振りの良いマツが、豪壮な御殿建築を引き立てている)

御殿の隣には、小規模ではありますが、洋館と玉突き場の建物が並んでいます。どちらも当時の上流階級のステイタス・シンボル。しかし、保存状態は芳しくなく、非公開です。十分に手入れが行き届いているとは言えない現状でも、非常に見応えのある庭園なので、他の非公開箇所を含め、今後はさらに整備を進めていただきたいものです。

(上: 巨石を配した石組)

 

諸戸氏庭園は、毎年、春秋の期間限定公開です。今年の秋の拝観は、11月 3日(土)~12月2日(日)になっています。詳しくは、公式サイトをご参照ください。

*記事は、何年か前の訪問時の姿に基づいています。多少、変わっているところがあるかもしれません。ご了承ください。

コメント

六華苑(再録)---三重県桑名市

2018-10-28 | 日本庭園

桑名といえば、江戸時代には東海道四十二番目の宿場。木曽川、長良川、揖斐川の3つの川が伊勢湾に流れ込む河口近くに位置し、港としても大いに繁栄した町。蛤が有名で、十返舎一九の『東海道中膝栗毛』では、弥次さん喜多さんが、茶店で名物・焼き蛤を食べている場面が思い浮かびます。

正直なところ、桑名については、そのくらいの知識しかなかったのですが、ここには明治の豪商による2つの名園が残されていることを知り、この地がぐーんと身近なものに感じられるようになりました。

その一つが「六華苑」(名勝庭園)です。JRまたは近鉄・桑名駅から、八間通りという、城下町時代の名残でしょうか、真っ直ぐ延びた幅広い道路を1キロほど行き、左折して、さらに300メートルほど行った揖斐川の川岸にあります。

入口は和風ですが、長屋門をくぐり、カーブになった園路を進むと、目の前に瀟洒な洋館が現れます。何の予備知識もなく、この庭園を訪れたら、きっとびっくりするであろう和から洋への転換です。

(上: 眼前に現れた、4階建ての塔屋が付属する瀟洒な洋館)

前置きが長くなりましたが、「六華苑」は、明治時代の大実業家・諸戸清六の二代目を襲名した四男・清吾が、その邸宅として、大正2年に完成させたもの。

広大な敷地に洋館と和館が連結して建ち、建物の前面は、広々した芝生地、その向こうに大きな回遊式庭園があるという、典型的な明治の和洋折衷様式を今に伝えています。

洋館は、鹿鳴館他、日本に数々の洋館の傑作を残したイギリス人建築家・ジョサイア・コンドルの設計。

4階の塔屋が付いた木造2階建てで、庭に面してはベランダやサンルームがあり、和館が連続しているところも含め、デザイン的にはシンプルながら、同じくコンドル設計の東京・岩崎邸の延長線上にあるものです。

(上: 明治から大正にかけての洋館建築の典型を見る六華苑)

内部意匠もまた洗練され、当時はさぞ目を見張るものであったろうと想像されます。

(上: 和と洋の融合が見事な六華苑の構成美)

庭園は、和と洋の調和が見事。洋館前の広い芝生地では、園遊会などが催されたのでしょうか、他の洋館庭園意匠に共通する空間が、ここにもあります。 

(上: 庭園は、明るく大らかで、新時代の池泉回遊式庭園を思わせる)

そして背後の庭は池泉回遊式。こちらは和の空間ですが、鏡のように空と周囲の緑を映す広い池が、庭に大らかな雰囲気を醸し出しています。

小ぶりでさりげなく組まれた滝や護岸石。全体的には大名庭園の趣ですが、より軽やかで、明るい印象なのは、明治期に多く作られた財閥庭園の特徴でしょうか。

和館の裏手には、稲荷社、離れ屋、蔵などが建ち、当時の和洋折衷様式が、よく偲ばれます。

アクセス、開館時間など、詳しくは、公式サイトをご参照ください。

 

 

 

 

コメント

パワースポット in 弥彦(3)・・・湯神社

2018-09-06 | 番外編

前回、前々回と、弥彦に点在するのパワースポットを数々ご紹介してきましたが、もう一箇所ご紹介したいのが、観光パンフレットで「パワースポットNo3」に挙げられている「湯神社」です。

弥彦温泉発祥の地で、温泉の神として崇められているとか。弥彦駅に隣接して広がる公園の裏山にあり・・・

公園の高台にある広場から、本格的な参道が始まります。

一本道なので、迷うことはないと思いますが、最初は、並び立つ鳥居が目印

その後は、赤い幟が目印となります。

最後に石段を下ると、その先に湯神社が・・・

湯神社到着

湯神社は、別名を「石薬師様」といいます。神社にお供えされている「石」で、身体の悪い部分を撫でると治ると言われているからです。

地元では、湯神社よりも、石薬師様を縮めた「いっしゃくさま」という呼び名が最も親しまれているかもしれません。

参道周辺は樹木が多く、夏は蚊が多いので、訪れる時期としてのお勧めは春秋です。弥彦公園は、モミジの名所なので、特に秋は、紅葉も一緒に楽しめます。

 

 

 

コメント

パワースポット in 弥彦(2)・・・弥彦山頂

2018-08-24 | 番外編

前回、弥彦のパワースポットを、いくつかご紹介しましたが、今回はその続きです。

弥彦に数あるパワースポットの、ナンバー1は、前回ご紹介した「弥彦神社」ですが、ナンバー2が、神社の背後に聳える弥彦山山頂にある「御神廟」。弥彦神社の奥の宮です。弥彦山は標高634m(スカイツリーと同じです)、登山はちょっと・・・という方には、ロープウエイがおすすめ。(車なら、スカイライン利用も・・・)

山の上からの眺めは、絶景。眼前に広がる日本海。水平線の向こうには佐渡島

振り返れば、広大な越後平野

「御神廟」までは、ロープウエイ山頂駅から、700mほど山道を歩きます。

途中には、急坂もありますが、全体的には平坦な道で、徒歩15分ほどで到着

 

御神廟には、弥彦神社の祭神「天香山命」と妃神が仲良くお2人で祀られているので、縁結びの名所としても知られているとか。

ここからの眺めも素晴らしいので、お参りの後は、目の保養をしてください。

コメント

パワースポット in 弥彦(1)

2018-08-24 | 番外編

これまで、このブログでも何度かご紹介してきた新潟県弥彦村は、越後一宮・弥彦神社の門前町として発展してきました。

(上: 高く聳える杉並木に囲まれた弥彦神社参道)

弥彦神社の御祭神は、天照大神の曾孫にあたる「天香山命(アメノカグヤマノミコト)」で、万葉の昔から、人々の信仰を集めてきたと語り継がれています。

(上: 弥彦山を背景に建つ弥彦神社拝殿)

「佐渡弥彦米山国定公園」の一環として、観光地の要素は様々ありますが、今回ご紹介するのは、パワースポット。「おやひこさまから、スピリチュアルなパワーをもらおう」と、観光パンフレットのキャッチコピーにありました。

「パワースポットその1」は、もちろん弥彦神社。深い森に囲まれた神域は、荘厳な雰囲気に満ち、足を踏み入れただけで、パワーをもらえそうです。

(上: 境内の一画に並ぶ、天香山命の子孫が祀られている摂社)

境内には、「パワーストーン」(下の写真)もあります。宝物殿の前にある「火の玉石」というもの。地元では、「重い軽いの石」とも呼ばれるそうで、まず願い事を心に思い描き、石を持ち上げて軽く感じれば「成就」、重ければ叶うことが「難しい」とか。

 

「パワースポットその2」は、弥彦神社の背後に聳える弥彦山山頂にある「御神廟」。奥の宮と呼ばれるこの地には、弥彦神社の御祭神と妃神が祀られれています。

標高634m(東京スカイツリーと同じ高さ)の弥彦山は弥彦村のシンボル。

その向こうに広がる日本海に面して、天香山命が上陸したと伝わる野積海岸があります。沖に見えるのは佐渡島。

そして「パワースポットその3」は、弥彦駅に近い公園の裏山にある「湯神社」。弥彦温泉発祥の地で、温泉の神として信仰されています。(今回は、時間の関係で、上記2箇所は訪れることが出来ませんでした。)

「パワースポットその4」は、温泉街に点在する弥彦神社の末社です。

まずは「祓戸(はらえど)神社」。昔、弥彦への本街道入口にあたる位置にあり、不浄な物の怪の侵入を防ぎ、訪れる人の罪や汚れ、過ちを「祓い除く」と言われています。

実は、ここは子どもの頃の遊び場でした。当時は「パワースポット」という言葉は、聞いたことがありませんでしたが、知らない間に「スピリチュアル・パワー」を授かっていたかもしれませんね(笑)。

 

「住吉神社」は、水難からの加護を願い祀られたもの。ご神木のケヤキの巨樹は、樹齢800~1000年、高さ30m、幹周り8m。

 巨大なタコが8本の足を広げたような枝振りを見せているところから「タコケヤキ」と呼ばれていますが、残念ながら、タコの足にあたる枝は、伸びすぎたためか、途中で切られてしまっていました。

それでも、幹の巨大さは、大蛸のイメージを彷彿させます。

 

余談ですが、「住吉神社」から「上諏訪神社」に行く途中には、「聖人清水」という湧水スポットがあります。

親鸞聖人の霊力で水が湧いたと伝わる泉で、今も渾々と水が湧いています。

 

「上諏訪神社」は、武勇に優れた神を祀り、災いを防ぎ、農耕の神としても信仰されているそうです。

 ここにもケヤキの巨木が・・・

 

さらに、火防(ひぶせ)の神を祀る「火宮神社」と、上諏訪神社と同じ神を祀り、相撲にゆかりのある「下諏訪神社」が加わります。

(上:下諏訪神社)

これらのスポットは、いずれも人家が立ち並ぶ中にある小さな一画ですが、そこだけは結界の中にあるかのような、特別な空気感に包まれています。守護神のように聳え立つ巨木や、社を囲む木立が、そうした雰囲気の創出に一役買っているのかもしれません。

(上: 祓戸神社=樹木の存在が、スピリチュアルパワーを増幅させているかのよう)

 

そしてこの他に、弥彦神社の近くにある「宝光院」があり、合計6箇所が「パワースポット4」として数えられています。

宝光院の境内裏手に聳え立つのは、「婆々杉」という杉の巨木。樹齢1000年を超えるそうで、新潟県の天然記念物に指定されています。この「婆々杉」にまつわる伝説については、以前ご紹介しましたので、興味のある方は、本ブログの「婆々杉=2010年7月4日」の項をご一読ください。

 

※ パワースポットと弥彦観光の詳しい情報は、下記の弥彦観光協会HPをご参照ください。 http://www.e-yahiko.com/

 

 

 

 

 

コメント (2)